奥田知志
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ウンチを踏んだ夜―対話ではないが対話的ではある
「対話」はお互いが「はなしたい」と思っていないと成立しない。「相談」は「相談したい」と思っている人が相談窓口に自らやって来られるのでともかく成立する。ただ、人が「相談する気」になったり、自分が困った状態にあることに「気づいたり」するには、日常的な「他者」との関わり、つまり「対話」が必要だと思う。「いきなり相談」はあり得ない。「何気ないやりとり(対話)」が日常的にある中で「そしたら一度相談してみるか
もっとみる「リクライニング闘争」
急遽、東京で午前10時に打合せが入りった。北九州発が満席で福岡午前7時発を予約。だが、その時間に自宅から福岡空港に到着できない(電車がない)ことに気づき土壇場で8時発に変更。「遅れます。すいません」と連絡し空港に向かった。希望のまちに関する大事な打合せに遅れる。焦っていた。
機内はほぼ満席状態。僕の席は普通席の最前列。搭乗した時から膝の上にパソコンを開き原稿を書き始める。滑走路が混在しているそ
「今も時々思う―問いの中に生きる」
NPOの専務である森松さんの母上が急逝された。とりあえず森松さんの故郷である沖縄に向うことにした。僕の親父の時は、森松さんが滋賀まで来てくれた。日帰りで押しかけると迷惑かも知れない。でも行こうと思った。享年93歳。ずいぶん前にお会いしたきりで、最近はすっかりご無沙汰していた。長く離れて暮らしていたとは言え、実際にもう会えないとなると寂しい。「もっとこうしてやったら」、「ああしてやったら」。息子と
もっとみる大変惨(むご)いことでございました
東八幡教会は毎春子どもたちと平和の旅に出かける。長崎、広島、そして沖縄。このサイクルで旅に出る。すでに25年ほど続いている。コロナもあり今年は5年ぶりの広島平和の旅にでかけた。
今回語り部を引き受けて下さったのは切明千枝子(きりあけちえこ)さん。15歳で被爆され94歳になられる。最初は座っておられたがすぐに立ち上がり一時間以上立ったまま子どもたちに語りかけてくださった。「本気で平和を創って
「人間ってやつは―飛行機の中での出来事」
春休みになって飛行機はほぼ満席状態が続いている。羽田から北九州に向かう機内は、日ごろはサラリーマンがほとんどだが今日は子ども連れが多い。帰省なのか、旅行なのか。あちこち小さな子どもが座っている。その日は天気が良く大きな揺れもない快適なフライトだった。
しかし、なにがどうした。ひとりの子どもが泣きだした。二歳ぐらいか。するとそれに合わせるように他の子どもが泣き始め、機内は泣き声の合唱状態。いた
「平和憲法はそもそも現実的ではない」
戦争反対、非戦、軍備も反対。そんなことを言っていると「バカかお前は。現実を見ろ。このお花畑野郎」と言われる。「ロシアとウクライナの戦争が現に起こっているのだからそんな理想論を語っても意味がない」と。
結果「現実に合わせて憲法を変える必要がある」という人が現れる。昨今、結構な人がそれを支持するようになっているようだ。だがそれは根本的に間違っている。なぜなら「そもそも憲法は現実的ではない」から。憲法は
「慌てるな、まだ終わりではない。なんとかなる」
今、心細くこの時を迎えている人に伝えたい。「まだ、終わりではない」。「あわててはいけない」。僕は、僕自身にそう語りかけている。
新年早々に大きな地震が襲った。多くの家が倒壊した。家屋の下にはまだ取り残された人がいるという。ご家族はどんな思いでこの夜を迎えておられるだろう。ニュースの度に死者が増える。
羽田空港では考えられないような航空事故が起こった。民間機の乗客乗員は全員無事だったが、石
「避難所の誕生日ケーキ―能登半島地震の被災地で」
元旦の午後4時過ぎ震度7の地震が能登地方を襲った。家屋の倒壊、津波ですでに200人以上の方が亡くなり、災害関連死の危険が高まっている。突然の苦難に見舞われた方々のことを思い祈る。
東日本大震災の時、私が代表をしている「ホームレス支援全国ネットワーク」、「グリーンコープ生協」、「生活クラブ生協」の三者が協働し「公益財団法人共生地域創造財団」を立ち上げた。現在も現地にスタッフを置き被災者支援と共
ネタで終わらせないために―クリスマスに考えたこと―
今、街はクリスマス一色。行き交う人々は気忙(きぜわ)しそうだが、楽しそう。「ミッドタウン」と名付けられたお洒落なビルはイルミネーションに輝く。そんな東京の街を眺めながら「きれいだなあ。平和だなあ」と思う。しかし現実は違う。
戦争は止むことなく続いている。眼前の光景と同じ世界の中で殺し合いが続いている。ピンと来ない。だが今も誰かが殺されているのは間違いない。
夜だというのに電車は混んでいた。
「必要の風が吹く時―小倉昭和館復活」
昨年8月、映画館小倉昭和館が全焼した。衝撃だった。80年の歴史があり市民に愛された映画館は跡形もなく崩れ落ちた。焼け跡にたたずむ樋口館主が痛々しかった。悔しいだろう。悲しいだろう。僕の想像をはるかに苦難がそこにはあった。
昭和館には何度かシネトークで呼んでもらった。「素晴らしき世界」や「パブリック―図書館の奇跡」など抱樸の現場に通じる作品を上映し、その後トークをする。次は以前テレビで放映
「坊主専門梅田理髪店―相談ではつながらない」
「まさか自分がホ―レスになるとは思ってもいなかったですね」。生笑一座(ホームレス体験を伝える一座:『生きてさえいればいつか笑える日が来る』が由来)の新メンバーの梅田さんは笑顔でそう語り始めた。「こんなん言っていいかわからんけど僕は抱樸のお葬式がいちばん好きやね」。会場は聞き入っていた。
梅田さんは炊き出しで散髪ボランティアをされている。梅田さん曰く「坊主専門理髪店」。誰でも坊さんになれる理髪