奥田知志

ホームレス支援をやっています。NPO法人抱樸:http://www.houboku.net/ 東八幡キリスト教会の牧師。 http://www.higashiyahata.info

奥田知志

ホームレス支援をやっています。NPO法人抱樸:http://www.houboku.net/ 東八幡キリスト教会の牧師。 http://www.higashiyahata.info

    最近の記事

    「コロナ禍の三年を経て―元には戻ってはいけない」           (東八幡教会2022年度報告奥田牧師)

    1,はじめに―テドロスの指摘 この3年間、私たちは思いがけない日々を過ごしてきました。2020年の年明けと共にコロナ禍が始まり、3月には世界保健機関(WHO)によってパンデミック(感染爆発)が宣言されました。 2023年5月、ついにWHOは「国際的な公衆衛生上の緊急事態の終了」を宣言しました。とはいえ感染が治まったわけではありません。いつ、さらなる変異型が現れるかわかりません。用心する必要はあります。とはいえ「一段落」という空気が日常を照らし始めているのも事実です。ゴールデン

      • 再論 「故人を悼むということ―わたしが国葬に反対する理由」

        昨日(2022年9月27日)安倍晋三元首相の「国葬(儀)」が行われた。以前にも思いが書いたが、困窮かつ孤立状態にある方々と共に生きてきた者として、改めてこの件について思いを残しておきたいと考えた。少々長いが良ければ読んでいただきたい。 今から34年前、おにぎりと豚汁、古着などを携えて路上で過ごす人々を訪ね始めた。その後、アパート入居や就労の支援など「自立支援」へと活動は広がった。「畳の上で死にたい」と言っていた人がアパートに入る。だが「これで安心」とはならない。「俺の最期は

        • 「そんな時のひとこと」

           「あの日の夜に理事長が来てくれたことは忘れない」。そんなことを時々言われる。こちらはとっくに忘れているが、薬や防寒着を夜中に届けたとか、入院時に見舞いを届けたとか。人は一番しんどい時に出会ったことを忘れない。「すごい支援」をしたわけではない。タイミングの問題だと思う。  先日、東京である団体の責任者の方とお会いした。「希望のまち」への協力を仰ぐためだ。夕方の新宿駅は人であふれていた。食事もままならない一日で、まずは食事をと店に入った。待ち合わせまではまだ時間がある。その後、

          • 故人を悼むということ―内面の営みということに

             故人を悼むということは、極めて「個人の内面に関わる事柄」である。人の死との向き合いには「差異」がある。例えばフランスの哲学者ウラジミール・ジャンケレヴィッチが言う「死の人称」である。一つは「一人称の死」、つまり「私の死」である。自分自身のことであって、誰に代わってもらうことが出来ない死である。二つの目は「二人称の死」、つまり「あなたの死」である。親や配偶者、子ども、親友、知人、恩人など、自分にとって大切な人の死を指す。「二人称の死」は関係が深い分、自分の一部がもぎ取られたよ

            「齟齬の営みの中で―水内俊雄教授最終講義に参加して」

             大阪市立大学の水内俊雄先生が最終講義に参加した。2002年にホームレス自立支援法が成立した。翌年、水内教授の一行が北九州ホームレス支援機構(現抱樸)に調査に来られた。それが教授との出会いだった。 2006年「ホームレス支援全国ネットワーク」が設立された。支援団体の交流や研鑽、さらに国に対する政策提言を行うための組織で私が現在も代表をしている(誰か交代して欲しい)。その際「これからは現場からの声と共に調査に元づく裏付けを有する政策提言」を行うための学識のチームが必要だと考え

            すべては神さまが創られた

              「すべては神様が創られた」   すべては 神様(かみさま)が創(つく)られた 神様が創られた。 すべては 神様によって生まれたのだ。   すべてのいのちに、 すべてのものに、 神様の思いがこめられている。   口は、 宣戦布告のためではなく、 誰かを蔑(さげす)むためでもなく、 「愛」のことばを語るため、 「あなたを赦します」 「ごめんなさい」と言うために創られた。   手は、 武器を持つためではなく、 奪うためでもなく、 誰

            おバアはんの教え(ロングバージョン)

             「人生山あり、谷あり」ということばがある。「人生は、いずれにしても苦労ばかりだ」と多くの人がこの言葉を使う。コロナ禍がようやく落ち着くかと思いきや、物価高に戦争となり、「踏んだり蹴ったり」の状態となっている。「山を越えたら谷底が口を開いていた」。いや、「山と谷がいっぺんに襲ってきた」ような日々だ。    ホームレス支援の現場で「二度と目が覚めませんように」と祈る人と出会ってきた。家がないだけでも大変なのに、世間から蔑(さげす)まれ、誰の助けもない。二重三重に苦難が襲う時、

            しんどい思いをした人が謝る社会          ―コロナ体験記

             オミクロン株の爆発的感染は今も広がり続けている。もはや誰が、いつ感染してもおかしくない。第五波のデルタ株の時よりも感染情報を身近に聴くなあと思っていたら、自分たちが「濃厚接触者」になっていた。次男が感染したのだ。当然、次男は家庭内で隔離。九十一歳の母親を含む家族三人が「自宅待機」となった。    全員が家から出られない。次男はよく耐え12日間を狭い部屋で過ごした。トイレに行くにも、洗面所に行くにも消毒液を片手に抱え、申し訳なさそうにトイレに向かう息子の姿が痛々しい。 当初

            松ちゃんと僕らの物語 その10    プロフェッショナル仕事の流儀取材開始

             さあ、「チーム松井」の出番である。ともかく週二回、二人ずつのローテーションを組んで面会に通うことにした。国選弁護士と相談し、今後の裁判に向けて打ち合わせする。裁判では、奥田が引受人となり「情状証人」として出廷する。面会時のやり取りはメールで共有。ただ、話す内容などは、面会するそれぞれに任せる。厳しいく叱る人、温かく迎える人、ともかく聴く人。そういうグラデーションがある方が良い。 とかく「支援方針」というものを専門家は求めるし、それに即してプランを立てるが、当然そういうこと

            松ちゃんと僕らの物語         その9 強制退去規定

            抱樸では、この未曾有の事態に少々混乱が生じていた。いままでの枠組み(経験知)では対処できない事態が起きたからだ。実は、自立支援住宅には「強制退去規定」というものがある。これまで「断らない」ということを掲げてやってきたのだから、この規定の存在自体、その理念に悖(もと)るとも言える。だが「強制退居規定」があるからこそ「引き受け続ける意味」や「決断」が問われるのだ。退居させるか、させないかが重要ではない。ご本人にとって何が必要なのかを考え続ける。「答えはない」。「強制退去、是か非か

            松ちゃんと僕らの物語 その8 再会

            翌朝、メモはそのままだった。 二日目も音沙汰なし。例の小倉の店だろうか、いや、そんなはずはない。そんなにお金を持っているはずはない。しかし確証は無く、ともかく夜の小倉の街へ向かう。かつて松ちゃんがいた辺りを探すが見つからない。野宿仲間にも聞くが「ええ松井さん、奥田さんとこの支援住宅に入ったんと違うの」とのこと。中には「松井やったな」と妙にうれしそうに言う親父がいたりする。腹が立つ。でも、いない。 三日目。いよいよ心配になり捜索願を出す。病気や事故で病院に運ばれたかも知れな

            松ちゃんと僕らの物語 その7強制退院

             ともかく計画通り入院できたのだ。これで安心(のはず)と自分に言い聞かせ車に乗った。帰り道、夕日がやけにきれいだった。しかし、落ちていく太陽を追い越して僕の気持ちは沈んでいった。教会に戻り、一息ついた時、携帯が鳴った。番号は◎◎病院。『はい、はい、わかってますよ、わかってますよ、覚悟はできていますから、今出ます、ちゃんと出ますから』と心を落ち着かせ電話を取る。「はい奥田でございます」「あのー◎◎病院の病棟担当ですが、松井さがおられません。今、看護師で探していますが、見つかりま

            松ちゃんと僕らの物語 その6 入院

            (松井さんが、野宿を脱し、支援住宅に入って数か月が経った。しかし、酒にまつわる事件が多発。断腸の思いで入院をすることになった。さて、どうなるか。)  翌日、松ちゃんは現れた。さすがに神妙な面持ちで。「これからどうするの」と尋ねる。無言。本人もどうしていいのかわからない状態なのではないか。松ちゃんには、自分が悪いことをしたという認識はある。飲んでいなければ実に気の優しい聡明な人。自立支援住宅入居時の聞き取りでは、「学生の時は、悪さばっかりしてだいぶ叱られた。勉強しなかった。試

            松ちゃんと僕らの物語 その5 行方不明

             そんな少し光が見え始めたかと思えた夏も終わり、秋となった。その日は、生活保護の受給日。朝、いつも通り新聞を届けにきた松ちゃんに「保護費を受け取ったらちゃんと帰っておいでよ」と声をかける。松ちゃんは、笑顔で「おい」とひとこと残し、役所に向かった。  夕方、スタッフから松ちゃんが帰ってこないという連絡が入った。部屋を見に行ったが、やはり不在。あちこち探しまわったが見つからない。捜索もむなしく、三日目の夜となっていた。 水曜日の夜、教会では「聖書の学びとお祈りの会」がある。そこで

            松ちゃんと僕らの物語        その4 松ちゃんの新しい仕事

            (小倉駅で長く野宿をしていた松井さんが、ついに、自立支援住宅に入られた。これでひと安心と思ったのも束の間、松ちゃんは、次々に問題を起こした。『試し行動』だとわかっていても、私たちの心情は穏やかではなかった。ただ、そんな松ちゃんは「自分の出番」を見出そうとしていた。) 自立支援住宅に入り二カ月が過ぎた。 その年の夏の終わり。松ちゃんは、新しい仕事を始めた。「仕事」といっても会社勤めではない。松ちゃんは、毎朝わが家に新聞を届けるという役割を自ら担うと言い出した。ただ、届けると

            松ちゃんと僕らの物語 その3 試し行動

            (松井さんは、6年間の野宿生活を終えて、ついに自立支援住宅に入居された。「わしにもできることはあるだろうか」と松ちゃんは、第一歩を踏み出した。しかし、そこからが本当の試練の始まりであり、同時に支援の始まりでもあった。)  良かった、良かったも束の間。やはり一筋縄ではいかない。自立支援住宅に入るなり、事件、事件の連続だった。お酒の問題は深刻で、路上の時はお金が無いので、そこそこで治まっていたがお金が入ると一気に酒量が増えた。考えてみると一文無しの路上の時でもどこからかお酒を手