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「本を読みなさい」の真意とは?

子供の頃は誰でも冒険心を持っているが、二十代後半辺りからその精神は徐々に失われていくという話を、何度も聞いたことがある。まだその年齢には至っていないが、すでにその兆候が見え始めてきた。その惰性に抗うためには何をすればと考えた結果、新しい趣味を見つけることに決めた。
駅から少し歩いたところに、市が運営する大きな図書館があることは知っていたが、入ろうとすら思ったことが無かった。新しい趣味を探していた筆者は、ここで何かしらの面白い出会いがあるかもしれない、と軽い期待と共に始めて図書館の中に入った。それが読書生活の始まりだった。

『本』を信仰する大人たち

子供の頃は読書が大嫌いだった。周囲の大人は『本を読みなさい』と口酸っぱく子供に言っていたが、それの意味がよく分からなかった。理由を大人に聞けば、頭が良くなるだの平気で言うが全く納得出来なかった。読書好きで学校の成績がイマイチな生徒は沢山いるし、逆に学力テストが得意な生徒に、読書好きなイメージはあまりない。読書して教養を身につけるなら過去問を解いたほうが効率的だと彼らは考えているのだろう。
また、『本を読みなさい』までは全会一致なのに対し、『それって電子書籍でも良いの?』『漫画は本に入るの?』などと質問すれば案外返答はばらける。これは大人たちも読書の本質に迫れていない証拠なのでは。
結局何故本を読まなければいけないのか。少し読書の魅力が分かってきた筆者は改めて考えた。

年季の入った『貸出用』の本たち

内心を説明することの難しさ

純文学を読んで毎度感じるのは、人物の心情描写がやり放題だということ。芥川賞受賞作品を読んでいると、主人公の思考回路を一頁に渡って書き記すということが可能になる。確かに説明文のような無機質な文章に感じる時も多々あるが、それすら純文学では許されている。台詞の分量が限られており細かい仕草を含む役者の演技で心情を表現することになる舞台演劇やドラマでは、絶対に許されないスタンス。
自分が何故そう思ったのか、を言語化するのは時に至難の業となるが、その参考になる言い回しは本を読めば大量に浴びることになる。もちろん会話力を育ませるためには、それ意外にも場慣れなどの実践的なスキルが必要になってくるが、自分の考えを的確に表現する習慣さえあれば他人との議論の際も大変自信になる。

絵本が子供をつくる

筆者は今も週一回のペースで図書館に通っている。まだこの読書生活は始まったばかりで挫折も近々味わうだろうが、折角見つけた健康的な趣味なので、一瞬のマイブームで終わらせないように頑張りたい次第。

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