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私にとっての最大の向き合い②~幼少期の自分の気持ちに優しく寄り添う~




私が思う幸せは、心が楽という事でした。
心が楽に呼吸が行えるという事でした。
私基準の、私バイアスの幸せ判断でした。
両親、妹の心が楽かどうかが気になりました。
両親、妹は、もう、それぞれのバイアス、価値観を持って、今幸せに生きているだろう現実があって、それは肯定するもの。
頭ではわかっていたその事を、何度も自分に言い聞かせました。


助けたい。でもどうにもならない。
圧倒的な無力感を感じました。
私に、出来る事は、ない。
両親、妹が何かに(例えば生きづらさや、心のもやもや)気づかなければ、いつか気づいて、
求められなければ、私は無力。
求められない限り、私は無力。
私からは何も出来ない、という事を受け入れる。
何も出来ない私を、私自身が許して、受け入れる時でした。
両親、妹に対して、何も出来ない自分を深く、無力感も一緒に、深く受け入れられた時でした。
これが私なんだ。と。
特別な力は何もない。何者でも、ない。
両親、妹に、何も出来ない。
これが、今の、ありのままの私なんだと、諦めて、認めて受け入れた時、身体の力が抜けました。


... ...諦める... ...という事...? ... ...
内側の自分が問いました。
涙がとめどなく流れました。
ごめんなさい...と、
両親と妹に対して、ごめんなさい、ごめんねと、
泣きながら何度も、言葉にしている私がいました。
心身の力を抜いて、横になったままはらはらと泣き尽くし、言葉が出尽くすまで、自然な時の経過に任せて、そうしていました。
今、大人の私ならわかる事も、
幼少期の私にはわからない事があった、と思いました。
そのまま、幼かった私の気持ちを思い、寄り添いました。


私は、日々の暮らし、両親の様子、表情など、入信をきっかけに、変わっていく両親を1番近くで見ていたと思います。
そして、両親の言う通りに染まっていく妹。
当時、助けたいと思ったのかは、はっきりとは覚えてはいませんが、無意識に、幼い私は、いつかきっと私がみんなを助けると、そんなふうに思い込んだのかもしれません。
幼い私は、私がなんとかしなければと、真剣に強く思い込んだ気がしました。



ありがとうね。...
私が私に語りかけていました。
両親、妹を大切に想ってくれて、
大事だと思ってくれていたから、助けたいと、強く思ってくれたんだよね。私のエゴ。
ずっと、ずっと、静かに、心の奥深くで、
ずっと、なんとかしたいと思ってくれていたんだね。
ずっと、助けたいと、思ってくれていたんだね。
どんどん偏っていくお父さんとお母さんを、
私は、1番近くで見ていたもんね。
助けたかったね、お父さん、お母さんをね。
妹をね。
大好きだから、ずっと、離れていても、
本当は、大好きだったから、なんとか、したかったね。
うん。本当に。本当に。出来る事なら、助けたかったね。
優しく伝えて、自分が自分に寄り添いました。


そう思う気持ち、本当にありがとう...。ありがとうね...。
幼い頃に、一緒に過ごした、時間が思い出されました。
苦しく、辛い事もありました。
だけど、その中に、笑いあった事もありました。
楽しかった時間もありました。


だから、本当に、忘れられなかったんだよね。
幼い頃の私は、本当は、ずっと、諦められなかったんだよね...。
うん、うん。
もう、いいよ。... ...もう、いいんだよ、大丈夫。


両親も、妹も、今ね、それぞれ幸せに生活しているよ。
自分達が決めて、信仰して、今の自分達を獲得して、維持してる。
本人達がね、選んだ人生なんだよ。
だからね、本当に、もう、いいんだよ。


幼い頃は、知らなかったよね。
1人1人のね、生き方は、1人1人の課題でね、個人個人が取り組む物事。
そして1人1人が、それぞれ思う幸せに、それぞれが辿り着く。
何が幸せなのか、という事も、1人1人それぞれ違ってて、自由なんだよね。
だから、もうね、自分は幸せになってもいい。
もう、自分で自分を、幸せにしてもいいんだよ。
罪悪感を、抱かなくても、もう本当に、いいよ。大丈夫だよ。
両親、妹の事を、優しく思ってくれて、大事だと思ってくれて、本当にね、ありがとう。ありがとうね...。
自分を抱きしめて、そう伝えました。


特性上、色々な感情を強く記憶し、思ってしまっただろう私に、丁寧に優しく寄り添って、伝えました。
何度も、気持ちが込み上げる度に、その都度、寄り添い、優しく、時間を掛けて、伝えました。


必要なのは、相手を肯定する気持ち。
愛情でも、自分の良かれを押し付ける事ではなくて、今の相手を全部そのまま肯定する事。受け入れる事。
ただ、それだけでした。
存在して、元気に好きな事をして生きている事。
その事だけで、本当に、いいじゃないかと、そう思った時、
肩、全身の力が抜けて、息が吐けました。



深呼吸して、
...諦める... ...という事かぁ... ...とつぶやきました。
本当の意味で、諦めがついた時でした。
私が感じるエゴ、コントロールしようとする事を諦めて、
相手が生きたいように生きる事を全肯定する。
ようやく、ようやく、深く、わかっていく気がしました。
葛藤を、終えました。


そして、諦めるというのは、関係を断つとか、すべて忘れ去るとか、そういう事ではなくて、
私がなんとかしたい、しなければいけない、というコントロール欲を諦めるという事でした。
苦しかった葛藤を越えた後、心は楽になりました。
本当の意味で諦めて、余分な力が抜けたため、残っていたコントロール欲は、さらさらと綺麗に解け去っていきました。
そしてコントロール欲を綺麗に諦める事が出来たからこそ、「大切だった」「助けたかった」、
『その想いだけをただ持ったまま』、生き続ける事が出来るんだと気づきました。



将来、もしも両親妹のほうから、もしも私の何か見解などを求められたその時には、私が話せる事を、正直に穏やかに話すのだろうと思います。
ただ、今のタイミングで、
そういう現実が目の前に現れていないから、
私から、今何かを言う事は出来ない。
働きかけない、言わない、そういう事だと思いました。
これが、この時、私の中で、1番心が楽で、心がしっくりくる事でした。


きっとこれが、期待しないで、待つ心境。
待つ事自体を忘れる位の心持ちで。そう思いました。


私は私で、幸せになっていいんだな...。
両親は両親、妹は妹、私は私。以前も同じ所を何度も、何度も通りました。
色々な事を気づき直した今、再度、同じ事をより深く腑に落とす、たぶん私にとって1番大きな今回の向き合いで、浄化でした。
本当に、長い年月の間に、拗れ過ぎてしまっていた、私の心だった気がしました。





もう、いいのだろう。
もう、歩もう。ここから、次へと。
もう誰も、何も、傷つかなくていい。
誰も、誰にも、何にも、囚われなくていい。
囚われるのならば、唯一 、自分自身に囚われる。
その時、その瞬間の、自分自身の、本音本心に囚われる。
そう、そうだった。そう思いました。


今、目の前にいる人達を、大切にしよう。
私を、信頼してくれている人達を、大切にしよう。
私は日々支えてもらっているおかげで、今ここに存在しているんだから。心から、感謝して。
これでもう、ずっとこういう葛藤を繰り返さずに、もう一定で、穏やかな心の筋力を維持して、そこにとどまらなければ。


もう、自分が自分を幸せにする事を許して、
自分が自分を幸せにする場所。
そこを、自分のニュートラル地点にする事。
委ねる未来は、きっとそこを起点に展開されていくはずだから。




この時まだ梅雨でした。
やまない雨を眺めて、大きくひと呼吸した時、
雨を含む風も、雨音も、私の心を労わってくれました。
空の上遠くの雷の音までも、私を慰めてくれました。



この、私にとって大きな向き合いの3日後、精神科・心療内科の初診日でした。



Nostalgia/久石譲




次の記事に続きます。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。







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