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おばあちゃんの原爆体験記

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原爆が落ちた瞬間から戦後まで生き延びた家族の体験記をまとめたもの 飛行機から見た焼野原の下にいた人々はこの記事にあるような景色を見、生き抜くためにあらわになった人の心、人間関係の… もっと読む
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考察:よか家族22

考察:よか家族22

怪獣おじさん(母の兄)

母の記憶がまた飛びます。

被爆当時のこと?
戦後の食糧難のこと?

ぜーんぶだと思います。

この手記のはじめに書いた、一つの事柄に複数の説がある、
と3代目が書いたことのひとつの話が丁寧に書いてあります。

手記の初期にフスマをもって家族にナイスアシストをした次男です。

3代目は顔が怖いその次男を『怪獣おじさん』と呼んでいました。

怪獣おじさんが手記に登場してから

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考察:よか家族21

考察:よか家族21

缶詰の底のしましま
お弁当箱の話です。

お弁当が缶詰の空き缶だったお話で、これもよく聞いてました。

蓋は!?という3代目の質問には答えようとしなかった。
この手記でわかりましたよ。なかったんですね。フタ。

直新聞紙包
底のシマシマが見えたら恥ずかしいからご飯を残すってシャイな子だったのかな。(子供の頃は)

土曜半ドン(お昼時間で給食なしで学校が終わること)のときに、家に帰ったらお昼がおいて

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考察:よか家族20

考察:よか家族20

芋雨が今は懐かしいです

飴っすね。
芋飴。

金比羅山におやつ調達に言った話を書いています。

一部、美しくない描写があり申し訳ございません。
あの表現はよく聞いてまして、

母、その虫のことをそういうのをやめてーって
思ってた3代目でした。

そんな私にニッコリ微笑んで、今の子達は美味しいおやつがあっていいわね。
といってくれたんですが、、怖かったのを覚えています。
私のオヤツは無い日もありま

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考察:よか家族19

考察:よか家族19

10円あると、芋あめが20個買えるんです
母の回想の続き

学校の帰りはおやつの調達をしながら帰宅。

たんぽぽって食べれるん?
って子供の頃に真剣に聞きました。

食べれるから、今度見つけたら学校のうさぎにあげてみてね。
このときの母の顔は優しかった。

このときは。です。

で、おやつの調達の話を延々と書くのかと思いきや、
食糧難について思い入れが強かったらしくその話へシフト。

たしかに、昔

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考察:よか家族18

考察:よか家族18

背中がぞうーーとする話方言原文はこちら

母にとってはこの原爆手記を書くのは辛かったみたいで
書くのをやめようとしておばちゃんに相談したらしく。

おばちゃんは母の3つ上で原爆のその日は8歳ほど
母が辛いというと、そんなもんじゃなかったと

母が火垂るの墓をそんなもんじゃなかったと
そんなこと言わせないぞと言わんばかりのそんなもんじゃなかったと言われたそうな。

おばちゃんの話は想像を絶する話で

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考察:よか家族17

考察:よか家族17

気丈な人、あなたのそばに何人いますか?
人数の数によってあなたの器の広さがわかるはずです。

方言原文はこちら

おばあちゃんは弱音を吐いたことがない。
これは孫である私も知っていることだが

これまで書いてきた原爆投下時からの話で弱音を吐いたことがない?
本当にそうだとしたら、どれだけ家族思い、菩薩のような方だったか。

以前、いちど3代目が沖縄のノロに近い人にあったときに
あなたのおばあちゃん

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考察:よか家族16

考察:よか家族16

ここからは母の幼少の頃の思い出。
原爆投下のときは4歳8ヶ月でした。

原文はこちら

昨日はバテバテでした。
母はあまのじゃくなので、決して疲れたとか悲しいとか言わない人柄なんだけど。。

ここで弱音を吐いていたとは。

私は、
おばあちゃんとおじいちゃんの一緒の写真は見たことがありません。
自堕落でなくしちゃったのかな。

文の中にある海水浴の写真は見たことがあります。
話に出てくるおじちゃん

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考察:よか家族15

考察:よか家族15

拾い仕事あれこれ、枇杷も積みました。後半にはおばあちゃんの人となりを書くよ。方言原文はこちら

おばあちゃん、たくさんの仕事をしていたんだなぁ

定職につかず広い仕事をしていたって、、それ今でいうと個人事業主に近いことだから、
すごいと思います。

どの人脈から色んな仕事を取ったのかは聞いてないんだけれども
戦後の助け合いですかね、
おばあちゃんに仕事をくれたり、紹しいてくれた方ありがとううううう

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考察:よか家族14

考察:よか家族14

奪い合うどろどろ家族。方言原文はこちら

熊本で、どうにか暮らしていたところに
またまた、おばあちゃんに人生の選択肢が現れます。

もうーーー悩んだでしょう。。
こんなに難しい人生の選択肢が現れることってあります?

原爆投下だけではなく、その下で暮らす人達は大体の人がこんな辛い選択肢が何度も襲ってきたんだろうか。。

長崎に戻ってきてくれ。。

姑さんからの手紙ですね、
3代目がなんで手を差し伸

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考察:よか家族13

考察:よか家族13

熊本の姉はやさしかったの♡
方言原文はこちら

姉の家での生活が始まります。

本家が大きな百姓やさんだなんて夢のような話だったと思う。
田舎に知り合いもおらんし、、って嘆いていただけに。

でもおばあちゃんは甘えません!
できることは何でも手伝います。

姉もそれに答えてくれます。

いい話です。これこそよか家族。

でね、その働いた内容が辛かったらしく。

私とバスツアーで水前寺公園に行ったと

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考察:よか家族12

考察:よか家族12

食料調達であっちこっち行く話
方言原文はこちら

原爆投下、焼け野原の整備、家が落ち着いたら食べ物の調達。

田舎に知り合いのおらんっていうのは、
焼け野原で食物を手に入れることは難しいのはもちろん、
山の陰や遠くには被害が少なかったので作物がとれたんでしょうね。

その田舎に知り合いもいないし。

というか。。嫁いできて旦那さん実家から差し伸べてくれる手はなかったのかな。。

ご実家さんも大変だ

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考察:よか家族11

考察:よか家族11

どうでんじぶんでせにゃいかん
方言原文はこちら

長崎に戻ってきました。
熊本に行っている間に街は燃えつづけていようです。

さてってなりますよね。
予想はしていたけども、やっぱなにもないところに戻って来るしかなかったんですもの。

この『さて』ははてな?の意味じゃなく、
これからどうしてやろうかこいや!みたいな決意かなとそう思いたいです。

やっぱ、原爆当時に行くことができなかったご主人の実家、

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考察:よか家族10

考察:よか家族10

妹と再会。そしてそれもつかの間。

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公民館で妹の家に行くよっていう方と巡り合います。
きましたね。ばあちゃんの強運。

妹さんと会ってどんなにうれしかったでしょうか。
私たちがうれしい!というものとは次元が違うんじゃないかな。

みんなで押しかけてごめんね。
これが私がおばあちゃんの好きなところ。

気遣い最高なんです。
スキだなぁ。

そこで、やっと人らしい生活を送っていたと

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考察:よか家族9

考察:よか家族9

熊本の妹のところに疎開してみた
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前回ですね、なぜ鹿児島に近い免田にいくんだろ?
と思ったんですが、おばあちゃんの妹さんが疎開していたんですね。

人吉で乗り換えのとき
その時も電車に窓から人が乗ってきてたって
熊本の人たちも、怖かったんでしょうね。

このとき、『私も裸足だったとでしょうたいね』
これ!これがおばあちゃんが周りの子供達や街の様子を語る中で
この言葉が自分を振り返

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