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3代目
2022年7月24日 16:40
怪獣おじさん(母の兄)母の記憶がまた飛びます。被爆当時のこと?戦後の食糧難のこと?ぜーんぶだと思います。この手記のはじめに書いた、一つの事柄に複数の説がある、と3代目が書いたことのひとつの話が丁寧に書いてあります。手記の初期にフスマをもって家族にナイスアシストをした次男です。3代目は顔が怖いその次男を『怪獣おじさん』と呼んでいました。怪獣おじさんが手記に登場してから
2022年7月24日 16:04
缶詰の底のしましまお弁当箱の話です。お弁当が缶詰の空き缶だったお話で、これもよく聞いてました。蓋は!?という3代目の質問には答えようとしなかった。この手記でわかりましたよ。なかったんですね。フタ。直新聞紙包底のシマシマが見えたら恥ずかしいからご飯を残すってシャイな子だったのかな。(子供の頃は)土曜半ドン(お昼時間で給食なしで学校が終わること)のときに、家に帰ったらお昼がおいて
2022年7月24日 15:38
芋雨が今は懐かしいです飴っすね。芋飴。金比羅山におやつ調達に言った話を書いています。一部、美しくない描写があり申し訳ございません。あの表現はよく聞いてまして、母、その虫のことをそういうのをやめてーって思ってた3代目でした。そんな私にニッコリ微笑んで、今の子達は美味しいおやつがあっていいわね。といってくれたんですが、、怖かったのを覚えています。私のオヤツは無い日もありま
2022年7月24日 14:53
10円あると、芋あめが20個買えるんです母の回想の続き学校の帰りはおやつの調達をしながら帰宅。たんぽぽって食べれるん?って子供の頃に真剣に聞きました。食べれるから、今度見つけたら学校のうさぎにあげてみてね。このときの母の顔は優しかった。このときは。です。で、おやつの調達の話を延々と書くのかと思いきや、食糧難について思い入れが強かったらしくその話へシフト。たしかに、昔
2022年7月6日 06:35
背中がぞうーーとする話方言原文はこちら母にとってはこの原爆手記を書くのは辛かったみたいで書くのをやめようとしておばちゃんに相談したらしく。おばちゃんは母の3つ上で原爆のその日は8歳ほど母が辛いというと、そんなもんじゃなかったと母が火垂るの墓をそんなもんじゃなかったとそんなこと言わせないぞと言わんばかりのそんなもんじゃなかったと言われたそうな。おばちゃんの話は想像を絶する話で
2022年7月5日 14:39
気丈な人、あなたのそばに何人いますか?人数の数によってあなたの器の広さがわかるはずです。方言原文はこちらおばあちゃんは弱音を吐いたことがない。これは孫である私も知っていることだがこれまで書いてきた原爆投下時からの話で弱音を吐いたことがない?本当にそうだとしたら、どれだけ家族思い、菩薩のような方だったか。以前、いちど3代目が沖縄のノロに近い人にあったときにあなたのおばあちゃん
2022年7月4日 19:47
ここからは母の幼少の頃の思い出。原爆投下のときは4歳8ヶ月でした。原文はこちら昨日はバテバテでした。母はあまのじゃくなので、決して疲れたとか悲しいとか言わない人柄なんだけど。。ここで弱音を吐いていたとは。私は、おばあちゃんとおじいちゃんの一緒の写真は見たことがありません。自堕落でなくしちゃったのかな。文の中にある海水浴の写真は見たことがあります。話に出てくるおじちゃん
2022年7月4日 19:15
拾い仕事あれこれ、枇杷も積みました。後半にはおばあちゃんの人となりを書くよ。方言原文はこちらおばあちゃん、たくさんの仕事をしていたんだなぁ定職につかず広い仕事をしていたって、、それ今でいうと個人事業主に近いことだから、すごいと思います。どの人脈から色んな仕事を取ったのかは聞いてないんだけれども戦後の助け合いですかね、おばあちゃんに仕事をくれたり、紹しいてくれた方ありがとううううう
2022年7月1日 07:55
奪い合うどろどろ家族。方言原文はこちら熊本で、どうにか暮らしていたところにまたまた、おばあちゃんに人生の選択肢が現れます。もうーーー悩んだでしょう。。こんなに難しい人生の選択肢が現れることってあります?原爆投下だけではなく、その下で暮らす人達は大体の人がこんな辛い選択肢が何度も襲ってきたんだろうか。。長崎に戻ってきてくれ。。姑さんからの手紙ですね、3代目がなんで手を差し伸
2022年7月1日 07:30
熊本の姉はやさしかったの♡方言原文はこちら姉の家での生活が始まります。本家が大きな百姓やさんだなんて夢のような話だったと思う。田舎に知り合いもおらんし、、って嘆いていただけに。でもおばあちゃんは甘えません!できることは何でも手伝います。姉もそれに答えてくれます。いい話です。これこそよか家族。でね、その働いた内容が辛かったらしく。私とバスツアーで水前寺公園に行ったと
2022年7月1日 07:02
食料調達であっちこっち行く話方言原文はこちら原爆投下、焼け野原の整備、家が落ち着いたら食べ物の調達。田舎に知り合いのおらんっていうのは、焼け野原で食物を手に入れることは難しいのはもちろん、山の陰や遠くには被害が少なかったので作物がとれたんでしょうね。その田舎に知り合いもいないし。というか。。嫁いできて旦那さん実家から差し伸べてくれる手はなかったのかな。。ご実家さんも大変だ
2022年6月30日 08:30
どうでんじぶんでせにゃいかん方言原文はこちら長崎に戻ってきました。熊本に行っている間に街は燃えつづけていようです。さてってなりますよね。予想はしていたけども、やっぱなにもないところに戻って来るしかなかったんですもの。この『さて』ははてな?の意味じゃなく、これからどうしてやろうかこいや!みたいな決意かなとそう思いたいです。やっぱ、原爆当時に行くことができなかったご主人の実家、
2022年6月28日 08:22
妹と再会。そしてそれもつかの間。方言原文はこちら公民館で妹の家に行くよっていう方と巡り合います。きましたね。ばあちゃんの強運。妹さんと会ってどんなにうれしかったでしょうか。私たちがうれしい!というものとは次元が違うんじゃないかな。みんなで押しかけてごめんね。これが私がおばあちゃんの好きなところ。気遣い最高なんです。スキだなぁ。そこで、やっと人らしい生活を送っていたと
2022年6月27日 07:51
熊本の妹のところに疎開してみた方言原文はこちら前回ですね、なぜ鹿児島に近い免田にいくんだろ?と思ったんですが、おばあちゃんの妹さんが疎開していたんですね。人吉で乗り換えのときその時も電車に窓から人が乗ってきてたって熊本の人たちも、怖かったんでしょうね。このとき、『私も裸足だったとでしょうたいね』これ!これがおばあちゃんが周りの子供達や街の様子を語る中でこの言葉が自分を振り返