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考察:よか家族15

拾い仕事あれこれ、枇杷も積みました。後半にはおばあちゃんの人となりを書くよ。

方言原文はこちら


おばあちゃん、たくさんの仕事をしていたんだなぁ

定職につかず広い仕事をしていたって、、それ今でいうと個人事業主に近いことだから、
すごいと思います。

どの人脈から色んな仕事を取ったのかは聞いてないんだけれども
戦後の助け合いですかね、
おばあちゃんに仕事をくれたり、紹しいてくれた方ありがとううううう!ございます。

手記にあるお仕事一覧ピックアップ

枇杷あげ:収穫した枇杷を貨車に積み込む
お盆前の墓掃除
山の上で芋育て2回(なんて表現するのかな)
民生員さんのお世話で建築屋さんに臨時(土方サポート)
マツや煉炭

マツヤ煉炭、これがなんのことかわからないけども
もっと色んな仕事してた話を聞きました。
左官屋さんは建築屋さんの一部かな?

そんなとき、息子さんがついに『炭鉱はいや」って帰ってきました。
たしか、おじちゃんはそんなに力持ちじゃなくてずいぶん我慢したと言っていました。

さすがに、ね。家族のことを思い出したんですかね。
おじちゃんからその話は聞いてないけども。

で、長女さんが製糸の仕事が辛いって帰ってきました。
このおばちゃんは私が幼少の頃に病気でなくなってしまったのですが
手が荒れるって、しもやけとかのレベルじゃなくて指が無くなりそうなほど痛くて辛かったって言っていたのを覚えています。

で、三男さんは私が物心ついた頃にはなくなっていたのかな。
厨房でお酒飲みながらなくなっていたそうで。

そのおじちゃんの息子(従兄弟の兄ちゃん)とは仲良くてよく遊んだけど
おじちゃんの話を詳しくすることはなかった。

おじちゃんのお嫁さんがいい女性でね、ユーモアもあるんですw


ちょっと時代を進めて、、

おばあちゃんは時代劇が好きで、中でも水戸黄門が大好きでした。

20:40って印籠が出てくる時間なのは大体の方が予想していたと思いますが、
その時間に電話してくるんです。お嫁さんが。
で、ものすごくゆっくり「もぉーし、もおーし」っていうんですw

確信犯ですよねw
穏やかなおばあちゃんはブチぎれながら『用事のなかなら電話きっよ!』のやり取りが面白くてwwww


『そろそろ電話くるな』と私は楽しみにしていました。


今は子どもたちはみんな独立していますが、貧乏しているのは私だけ。
このお話の部分、おばあちゃんなのか、母の話か怪しいとこなんです。

おばあちゃんの手記には、
うちの母は男運が悪くて、小学5年生と3年生のおるとですばってん
独り身です。苦労しよっとですよ。

って書いてあるのを覚えている3代目です。
ちな、3年生は3代目です。


方言原文の
その後に書いてあることはおばあちゃんの本当のお話で
2週間に一度かな??
小さな病院に行って薬を沢山頂いていました。

病院にはよくついていっていたので病院の匂いと薬の多さをよく覚えています。

これは、心臓の薬、、、とか説明してたけど小学生だった3代目には難しすぎて忘れました。

おばあちゃんは穏やかで
私が幼少の頃に友達にお金をだまし取られた話をしていたんですが

『あの人はいつか自分がやったことに胸を痛めて私のところへ戻ってくる。友達だもん』


かっこよくないですか?ホント尊敬します。

そして、いつもいつも
もう戦争は嫌。
爆弾もそうだけど、そこに住んでいる人をおかしくしてしまう。
もう絶対いや。

と毎年夏の暑い日に縁側でスイカを食べながら
ちょこっとだけ戦争のを話してくれました。

学校の登校日に、はだしのゲンを毎年見せなれて、うんざりしている3代目姉妹に気を使ってなのかな、ボソッと言うだけでした。

原文一気読みはこちら。



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