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考察:よか家族11

どうでんじぶんでせにゃいかん

方言原文はこちら


長崎に戻ってきました。
熊本に行っている間に街は燃えつづけていようです。

さてってなりますよね。
予想はしていたけども、やっぱなにもないところに戻って来るしかなかったんですもの。

この『さて』ははてな?の意味じゃなく、
これからどうしてやろうかこいや!みたいな決意かなとそう思いたいです。

やっぱ、原爆当時に行くことができなかったご主人の実家、
浜平がある山を登ります。

山っつっても250メートルくらいですかね。
何山って名前なんだろう、丘かな?
いまは長崎にっしょうかんという大きなホテルがある辺りなんですけど。

そいでよかったですね、親戚がいました。
ちょい一段落。子供6人連れてようあちこちがんばったね、おばあちゃん。

そしてここでリアルですね、、防空壕の片付けの音
この片付けをしている方のお家は無事だったんでしょうかね。。ちょっと気になりました。

県外のボランティアか、自衛隊??
その次代のことはよくわからないけども、片付けてくれた方ありがとう!

そして、いつまでも親戚のお家にいるわけにもおらず、、
住む家を安定させたい。
おばあちゃん入ってました。子どもたちが安心して住めるお家が欲しかったって。

親戚にの家にお世話になってると家長居できないですものね。
で、案の定ここであのセリフをバシッといわれます。

今まで空気を読んでお世話になってはお暇していたおばあちゃん。
この『まだ去らずにおるのか!』の剣幕については、

おばちゃん(その時子供ね)があのときの怒号は、自分たちが力不足とは言え、、
あんな言い方はないよね。ほんと怖かったばい。。。
って話してくれました。

もう、、ご飯を食べかけていたけどそのまま荷物をまとめてって
もうね、ご飯食べかけで去る準備をするってどういう気持だと思う??

食糧難のとき、ご飯を食べかけてって
子供もびっくりしでしょう、なんで食べるのやめなあかんの??って

おばあちゃんの話の中で印象に残るセリフはいくつかあるけど
この怒号はもう、3代目の中で逆鱗に触れるほど腹たちます。

親戚がこの怒号の人の名前を私達に教えてくれなかったのは
たとえば、私だったらその人の家買ってですね
食事時に同じセリフはいて追い払いたいです。

ほんとにもう、こんな復習めいたことを言っちゃいけなと流石に理解できますけど。。
3代目はこの件に関しては、かなりご立腹でございます。

その後、昔の知り合いさんが話を聞いて来てくれたんでしょうね。
お家を建ててくれたってもう、ありがとうううううううううう!

おばあちゃんの人徳ですかね。。知り合いさんほんとありがとう。

このお家が建っていなかったら、3代目は生まれていなかったかも。


住む家ができました(∩´∀`)∩
次は食べ物!

おばあちゃんはお嬢様だったらしく?(これも母のライアー炸裂かも?)
でおじいちゃん任せにしていた家族の大黒柱をおばあちゃんがせなならん。

です。

この話の続きに
17歳の息子になるお母さんになる人??田結??
んんんんんん、初めて聞きました。

しばらく音信不通だった怪獣おじさんのことかな。
私が子供の頃ちょいちょい遊びに来て、怖い顔しているけども私にはとても優しかったおじさんがいて、、

身内とは思ってなかったんだけど、その怪獣おじさんのことかな??
わかんない。

んで、食料調達に行った場所、
私も知っている地名ですがめっちゃ遠いです。
若かったって言っても子供を背負って、おばあちゃん鋼の体だったのでしょうか。

自分だったら歩けない(ノД`)
でも歩くしかなかったんですよね。おばあちゃん。
周りは焼け野原、みんな住むところを探したり土地の取り合いをしていたそうで。

よかった。お芋ご飯が美味しくて。

私が小さい頃、よくお芋ご飯を作ってくれてたんだけど
うちの歴史ではこういう経緯でお芋ご飯がおごちそうとして
みんなで食べた思い出があります。

原文一気読みはこちら。


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