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考察:よか家族9

熊本の妹のところに疎開してみた

方言原文はこちら


前回ですね、なぜ鹿児島に近い免田にいくんだろ?
と思ったんですが、おばあちゃんの妹さんが疎開していたんですね。

人吉で乗り換えのとき
その時も電車に窓から人が乗ってきてたって
熊本の人たちも、怖かったんでしょうね。

このとき、『私も裸足だったとでしょうたいね』
これ!これがおばあちゃんが周りの子供達や街の様子を語る中で
この言葉が自分を振り返った初めての言葉のような。。

そっか。。今はね
私たちは普通に靴履いて歩いてますが
靴なしでもとにかく家族を連れて逃げる、に一生懸命だったんだろうなぁ。

足の裏、イタとか言っている場合じゃないですもの。。



電車から降りたときの姿ですかね。
次男には大きな荷物を
小さい子にもお鍋や食べるものに必要な道具を持たせ
敷物をくるくる巻いて小さく結んで。

もう、哀れな格好でしたとよ。

そうでもないよ、ばあちゃん!
哀れではない!って伝えたいなぁ。

気落ちしてたんですかね。
そりゃ凹みます。

焼け野原から、熊本の草木が生えている道を歩くと
昔のことを思い出すでしょうし。。

がんばれ!

免田はどこだ?
電車のアナウンスがあるわけもなく
景色も知らんし

免田はここよって教えてくれた方、ありがとうございます!!


駅を降りてここでまた1節、よくわからない話が出てきます。

きれいな月夜カンカン、満月だったのかな?道を歩いているとき

歩いても歩いても行きつかない、スイカ畑しかない。
この時誰かが、『もう、この辺で自殺しようよ。』と言ったらしい。

そのとき、死ぬのは嫌だ!と泣き出したのが母。という美談が出てきます。

自殺するにはもうほんと気持ちを察します。
(そんなことしたら3代目は生まれてないですけど)

しかし、泣いて止めたという美談は母の見栄じゃないかと私はおもっております。

ずっと月夜カンカンのスイカ畑道をあるいたのは事実です。

そして公民館にたどり着きます。
よかったね。

原文一気読みはこちら。


好きくださったら、おばあちゃんから3代目、私の孫の5代目まで喜びます!

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