考察:よか家族16
ここからは母の幼少の頃の思い出。
原爆投下のときは4歳8ヶ月でした。
原文はこちら
昨日はバテバテでした。
母はあまのじゃくなので、決して疲れたとか悲しいとか言わない人柄なんだけど。。
ここで弱音を吐いていたとは。
私は、
おばあちゃんとおじいちゃんの一緒の写真は見たことがありません。
自堕落でなくしちゃったのかな。
文の中にある海水浴の写真は見たことがあります。
話に出てくるおじちゃんたちは写っているけど
小さかった母とおばちゃん達3人は写っていませんでした。
白黒で沢山の人が集まっている写真で、
たしかに東望の浜ってたしかに言ってた。
長崎のペンギン水族館の近くかな。
母の口癖は、一発の爆弾で不幸のどん底に落とされた
かなり怒りながらいつもこう言っていました。
母はおばあちゃんのことが大好きだったので、おばあちゃんを苦労させた原爆がガチでもういやって話すんだけど、、
その時の母の表情は、夜叉でした。こわかったわー。
後半は文章が読みづらくなっています。
書きたかったことは
配給でもらったツワブキ(今は観賞用かな)の茎を乾燥したものがあって
そえを水につけたら、かなり増えてグロいなって食べ物見えなかった。
細い虫みたいだった。
といってたのでその話かな。
まずいと言っていたけど、それを書いていないのは母の少しだけの優しさの部分かと思います。
で、鉄じゃないかと言われたツワブキの茎を食べて
どぶろく飲んで酔っ払ったって話。
で、話変わって
かんころ餅が美味しかった!って自分は食べてない風に行っていますが食べてますね。母親は。
美味しかったので自分たちで作ろうとチャレンジシしたらカビた話は何度も聞きました。
どうしても作れないので、干さずにそのまま食べるレシピを編み出したと、母は言っていました。が、編み出したのは、、みんな作ってたんじゃないかなと。。
かんころ餅、今もお取り寄せできますよ。
3代目もすっごく好きです、おいしい!^^
生活が落ち着いたあとは
ちょいちょいこういう朗らかな家族の話を話してくれました。
その話してくれたとき、ちょうど原爆投下地点の近くで働いていたおじいちゃんの命日です。
育ててくれてありがとう、ばーちゃん。
って夏になるといつも言っていました。
つぎはおばあちゃんが嫌いなお花の話を書こうかな。
原文一気読みはこちら。
好きくださったら、おばあちゃんから3代目、私の孫の5代目まで喜びます!
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