よか家族16
母の回想が始まった。。
昨日はバテバテだった。今日は母のこと。。。。
父と母は大恋愛の結婚した当時としては珍しかったとのこと、一枚だで残っていた二人の写真を叔母から見せてもらった、美男、、美女、、のお似合いの写真でした。
二人ともニコニコしてた。その後叔母がきて親子6人で海水浴に行って、砂浜で写った写真をもらった(ここ何処と聞いたら東望の浜と言った .
でもその6人はもういません。そのころが一番幸せだったでしょう。その阿知、、私たち3人生まれていますからね。戦争がはじまりさまざまな、苦労があったでしょう。
原爆が投下されて一瞬のうち不幸のどん底に、、、そして働かなければならなかっ母のエピソードを書きます。
配給された乾燥のつわぶき針金のようなもの、これって食べ物?とおばに聞いた、
水につけてやわらかくなって、食べると、、、
全部つけたそしたらどうしようないほどふやけた。
左官の手伝いをしていた頃雨が降ってきた冬だったので、焚火そばに並べた、ところフニャフニャになった。鉄と思っていたらしい、。。。どぶろく米粒が入った酒を茶碗に入れて1パイ飲んだ、よっぱらって仲間に連れてられ手帰ってきた。。
かんころ餅、、、五島の感頃餅を頂いたおいしかったそうです。それで自分も作ろうサツマイモにうるち米を入れ蒸してから擦りおろし、丸めて魚の市に入れて、2,3干したそうです。
みんなカビが生えて生えていたそうです。。。そんなこと私たちが大人になってから教えてくれた(^。^)今は懐かしく思い出します。
八月になると良くここまで育ててくれたと感謝しています。
9日は父の62回目の命日です。
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