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「子ども」と「道具」と「運動発達」
「この道具は使っていい道具ですかダメな道具ですか」という質問をよくもらう。例えば「食事のときにピンセット型の練習箸を使ってもいいですか」などの具体的なものから、「抱っこ紐ってどうですか」などの漠然とした疑問まで、「子ども」と「道具」をめぐる問いかけは尽きない。そういう質問を受けたときに考えていることが、意外と運動能力の本質と繋がっているような気がしたので文章にまとめてみたいと思う。
万人にとって
暇な子どもたちは未熟なホモ・サピエンスから成熟したホモ・ルーデンスとなった
自粛生活ではたと気づいた都会の子どもは忙しくて、土日に誰かと遊ぼうと思ってもみんな習い事に行っていたりサッカーの試合だったり、親と一緒にお出かけしたり、基本的にはどこにも誰もいなくて、もれなく我が家もそれを前提に家族の予定を入れていたりしたので、ずっと、暇とは無縁だった。
それが、毎日保育園もなく、土日も平日も関係なく、家にいていい何してもいいってことになったので、親はともかく子どもは暇になった
子どもの邪魔をしない教示とフィードバックについての一考察
運動学習、という学問のテーマがある。英語だとmotor learning(そのままだ)と呼ぶ。最近はスキャモンの成長曲線とゴールデンエイジという言葉への誤解もそこかしこで生まれているが、運動にしろ勉強にしろ、とにかく詰め込めばいいというのは大きく間違っていて、「効果的に、あとできちんと応用できるように」運動を教えるというのはひとつの大きな課題であるという認識のもと、運動学習の様々な視点について昔か
もっとみる子どもの夢を守る行為は大人の精神を救う
クロード・レヴィ=ストロースは著書『火あぶりにされたサンタクロース』のなかでこう語っている。
私たちは、子供らにとってのサンタクロースの権威を傷付けないよう、いろいろな犠牲を払って、気を配っている。このことには、私たちが心の奥底では、ささやかなものとはいえ、見返りを求めない気前の良さとか、下心なしの親切などというものが存在することを信じていたい、という欲望を抱き続けていることがしめされているので
子が、宇宙と繋がった
1週間、母子で高知と岡山を旅行した。前半、高知は土佐清水で雄大な自然に囲まれて丸々2日遊んだ、その夜、町の定食屋さんでご飯を食べているとき、子が突然、話し出した。
「おかあさん、にんげんっていうのは、ちきゅうにそだててもらってるんだよ。おやがこどもをそだててるんじゃなくて、おやもこどももちきゅうにそだててもらってるんだ。」
驚いて、聞いた。
母『誰かに言われたの?』
「ちがうよ、かずまのな
大事に扱われた人間は、自分も人も大事にできる
<長文、かつ、これ子育てlogなのか?という文章ですが。>
大学で非常勤講師をしています。医療者を育てるためのカリキュラムの一端を担っています。
医療者というのは様々な立場に自分を置く仕事だと思っていて、患者さんに共感したり、家族と一緒に生き方を考えたり、治療に関わる立場として客観的に目の前のことを評価したり、そういうペルソナの入れ替えが大事、と思っています。その時の相手によって同じことを違う
子育て中、自分の誕生日に何をしたいか
子育てをはじめて3ヶ月半で大学院に戻り、途中夜泣きで休学し、産後1年で復職してフルタイムに戻り、子どもが2歳半になったころわたしの誕生日が来て、その頃にどこかのお母さんのこんなセリフを、何かで読んだ。
『わたし自分の誕生日は、子どもたちと一緒に過ごしたい。有給とってたっぷり子どもたちと。』
衝撃的だった。
そのときのわたしには、誕生日は自分の時間がほしい、仕事を思う存分やりたい、大学院に戻りた
安心安全な場所でありたい
https://diamond.jp/articles/-/206677?page=4
幡野さんの記事を読んだ。
文中に「親子の縁を切る」はせいぜい親からしか言えない言葉だった、というのがあるけれど、わたしはどちらかというと、親はそれを言ってはいけなくて子どもこそそれを言っていいのではないか、と思っていることに気が付いた。どっちも、なんか違う気もするんだけど。
安心安全な場所、であることを大
与える者と、与えられる者のハナシ
自分の欲しいものを自分の欲しい形に知らぬ間にmodifyしてもらってずっと提供される、ということは、結局選択肢を与えられていないのと同じで欲しいものを手に入れる過程を学ばない、のではないか。
欲しいものを「どのように手に入れるか」「何を諦めて何を得るのか」を、日々学ぶことがプロセスの学習なのではないか。
ありのままでいい、ということと、ありのままのあなたで学べる方法を提供される、ということは、
「才能ではなく努力を褒めろ」の研究は再現性がないという事実
才能ではなく努力を褒めると子どもは伸びる。「Growth Mindset(グロースマインドセット)」と呼ばれる成長のための心理的枠組みの構築について、それを子どもの教育に活かそうという論調が日本の子育て社会を席巻している(と思う)。
努力を褒める。日本人にとても聞こえのいいスローガンだと思うし、実際、そうしてあげたいなと強く思う。
けれども、その根拠となった20年前の研究はその再現性において問
2歳児のテレビ視聴のやめ方
子が2歳半のころ、機関車トーマスが大好きで、放っておけばいくらでも静かに見続けていた。集中力すごいなと思って1日1時間くらい、朝晩のご飯の準備の間に見せていたのだけど、ある日保育士にこう言われた。
「なにしてるときもトーマスのこと考えちゃうみたい。自然の中でも歩いているときも、水遊びでもトーマスのこと話そうとしてる。」
わー。と思った。
いま4歳半になって、やっと、なにがリアルでなにが非リア
わたしたちは子どもを箱にいれて育てたいのか
保育園のお散歩中に、車が、信号待ちの歩道の園児の列に突っ込んだ。
世の中には、こういう事故を防ぐために、散歩をしなくなった園もあるらしい。
わたしが子どもを連れて歩いていても、車に突っ込んでこられたらどうしようもない。
だからと言ってわたしは子どもを外へ一歩も出さずに育てるなんてことはしない。
保育園に預けるということは、自分が負うべき責任を保育士に負ってもらうという行為だ。
子どもの生