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自己紹介

 はじめまして、にけと申します。
 記事を見に来てくださったみなさま、ありがとうございます。
 この記事を読んでいただければ、ちょっとだけわたしのことを想像しやすくなると思います。みなさまがどんな想像をされたのか頭の中を覗きたいくらいです。なんだか…きっと面白いことになってそうだから。先に伝えておきますが、長いです。わたしは話すことも書くことも大好きなので、手短に自己紹介はできないと思うので。ごめんなさいね。

 健康優良児で、家族のエンターテイナーで、楽しく元気に育ったわたし。妹と2人姉妹です。家ではわたしがずっとマシンガンのように話しているので、小さい時妹に「お姉ちゃんがいるとなんにも話せない!」って泣きながら叫ばれるくらいの話しっぷりでした。ごめんよ、妹。
 初対面で会う方にはだいたい「見た感じ吹奏楽部とかチアリーディングとかやってたタイプ」に見えると言われます。小動物だねって。
 でも実際は剣道部だったんです。合法的に人を殴ってたんです、竹刀で。そう、人は見かけによらないとはこのことでしょうか。

 友達は濃いです。少ないけれど。なかなかディープな関係性を築くことが多いです。類は友を呼ぶので。友人たちからブーイングが来そうですね。そのディープな友達から言わせると「何言ったってあんたは自分が納得しないことはやらないでしょ」って、そういう性格みたいです。自分で言うのも変ですが見た目が柔らかいのでそう見えない事が多いようですが、頑固で意思が固いのです。

 大学からアメリカに旅立ちました。公立高校でも進学校にいたわたしは大学受験が当たり前の雰囲気に教師にも両親にも留学したいことを言えず、結局本腰を入れて勉強していなかったわたしはぜーんぶ志望校に落っこちて、あげく当時の担任に「どうしちゃったんだよお前」と言われました。あの言葉は当時から引っかかってどうしても思い出すたびに首を傾げてしまいます。ちょっとわたしの中では腑に落ちないままなのでしょう。

 留学は将来の夢だった資格をとりたいと思い決断しました。いい娘でいたわたしにとって最大の反抗期だったのかもしれません。母に予備校のパンフレットを突きつけられて初めて「アメリカに行きたい」と言いました。父は厳しい人で、当時海外に単身赴任していたにもかかわらずSkypeのカメラ越しに人生始めて殴られることを覚悟しました。暴力の話をしたいわけではありません。それくらいの覚悟で話をしなさいという父の教えだったのだと思っています。ちなみにその時父の拳によってカメラが割れなかったのは母が根回しをしてくれていたからだということを後に知りました。わたしは両親に愛されて育ったのだと感じます。
 そんなこんなで留学前に費用や目的、将来設計を両親にプレゼンしました。それが父からの課題だったのです。母からは一人で生活できるという覚悟を見せなさいと言われて、人生で初めて自分の決断が「家を出る」ということなのだと気づいたのでした。

 アメリカ生活についてはまた書くことがあると思うので割愛します。「えーっ」て思われた方はぜひ引き続き読んでください。っていうずるい画策です。でも引き続き読んでいただけると嬉しいです、本当に。毎回こんなには長くならないと思うので。

 目標にしていた資格を取得して日本に帰り、小児の医療現場で働きました。3年間、寿命を削ったと思います。それくらい必死に働きました。替えがききづらい職種で、記録も翌日に向けての準備も日によって、よらなくても、残業は多かったです。仕事がしんどかったことを自慢したいわけではなく、ただ日本の現状としては残っているほど仕事熱心であるという評価がつきまとっていたことは事実だったのです。

 働いて2年目に異変が出ました。きっかけはバーンアウト(燃え尽き症候群)のようなものだったと思います。大学でセルフケアについてまで学んだはずなのに、驚くほどあっという間に蝕まれました。
 徐々に徐々に、異変は大きくなって、最終的に3年目で退職しました。仕事は大好きです。今でもそれは胸を張って言えるので嘘ではなさそうです。
 退職の理由は主に精神状態の悪化でした。当時はそれだけでした。最近よくあるやつね、って言われる、そういうやつなのでしょうか。ただわたしは今思い返しても正直あまり覚えていないのです。退職したときのことも、また書きます。ここに書き始めると大変なことになるので。

 仕事を始めてすぐに出会ったほぼ初めての彼氏である夫さんと、退職後に結婚しました。ほぼ初めての彼氏というのは、以前交際していた元彼さんが1人いらっしゃいますが、デートを数回しただけで別れてしまったので妹いわく元彼とは言えないと怒られたことがあるからです。
 あの状況からずっと一緒に歩んでくれていた夫さんは、別れる選択肢を取らず通院も休みを取って付き添ってくれていました。「一人で戦わせたりしないから」って映画やドラマ以外で真顔で言う人を初めてみました。今でもほとんどわたしの重要な予定は何も言わずに休みを取ってくれるので本当に感謝しています。大好きですが夫さんも変な人なので、後々紹介させてください。

 心が回復するのには思った以上に時間がかかりました。でも一筋縄ではいかない人生なので、そこからさらに全身性ジストニアという病気を発症することになるとは思ってもいなかったのです。今後もおそらく症状と一緒に生きていくんだろうな、というのが今のわたしの身体の状態です。

 今わたしは専業主婦のような状態で家にいます。家事ができない専業主婦です。笑えます。職業と職務内容が見合っていないので。それでも楽しく成り立っている夫婦関係は、それなりに素敵なのかな、と思っています。喧嘩や問題が勃発しないわけではないので、その点に関しては普通の夫婦です。 
 でも色々経験した今、わたしは前よりも豊かだとは思います。自慢ではありません。ただ、豊かになることを身に付けなければ、このジェットコースターのような自分の人生に向き合っていけなかったからなのかもしれません。
 精神状態も回復して、今は夫さんより笑っているかもしれません。たまに笑い声がジブリ作品のもののけ姫のモロみたいになって夫さんも笑います。豚鼻になって2人でさらに笑います。

 今年は20代最後の1年ですが、信頼する知人によると占いではわたしは28年かけて1周する星回りなのだそうで、人生は2周目初めての年になります。シンプルに誰かのためになることを、自分がもらった分誰かに渡せるように生きるのをモットーにここに記していきます。よろしくお願いいたします。

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