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〈十種の神宝〉と潜在化意識💫蘇れ日本の霊性🗾✪✡パートⅡ🌾

「一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたりや)と言って振りなさい。ゆらゆらと振りなさい。そうすれば死(まか)りし人も生き反(かえ)らん」

さて、パートⅡ始まります💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫


空海直筆十種神宝の図。


自己を映し出す辺津鏡、物質世界を反映させる沖津鏡。
それを貫く〈本当の奥行き〉の八握劔まで前回記事で紹介したので、その他の神宝とヌーソロジーの関連の続きを。


生玉、死反玉



自己と他者💫💫💫
本来的自己を表す生玉(イクタマ)
他者(他我化した自我)を表す死返玉(マカルカエシノタマ)
他者で塗り固められた中に本来の自己がいる〜💦って古代日本人は既に氣づいていたのか!?🤔他者で覆われた他我で覆われた自己(生玉ちゃん💦)

ヌーソロジーだと・・・
下、ヌーソロジー提唱者半田広宣氏のtweetより。

背中合わせの自己と他者。
ドゴン族神話より。




自己と他者。円心関係でも例えられる。
自我極、他我極。難しい素粒子の話はスルーしてくださーい😬💦💦💦





足玉、道反玉

マルタマ、チカへシノタマ

これはヌーソロジーでよく出てくる対化の等化!
左右の玉が対称性を持った時に等化は起こる。
捻れた2つを合わせれば十字架となって円、球を描く!
足玉は自己側、ひっくり返った道反玉は他者側の玉。古代人には精神の世界の対化の等化が見えていたのか〜!?
ヌーソロジーだと、ここはおなじみ(?)マカバの自己他者構造〜🌟

(外面と内面、時間と持続、3次元と4次元、自己と他者・・・という対化が等化され思形と感性の次元へ💫)

さんがつうさぎさんの自己他者の図、わかりやすいですね💫💫🐇∞🐇💫💫


蛇比禮、蜂比禮

比禮とは、 風にひらめくもの。日本神話に登場した比礼には、厄を払い、清める呪力があるとされている。


蜂の比禮、蛇比禮。自己と他者の思形と感性の交差。蜂比禮は心理学者ラカンのシェーマLに酷似!いや、古代人の方が随分と先だから〜💫


大文字の他者Aが〈自己の自我〉を作っているの図。つまりは自我の他我化。

他者を自我から綺麗に拭い主体を自我に映し出させねばならない。
このケイブコンパスは勿論他者側でひっくり返る。自己側と他者側の思形と感性のケイブコンパスの等化が蛇比禮だ。八っつの比禮がぐるぐると周り魂同士が回転する〜💫💫💫

そしてさらに上の意識次元、定質と性質へ!!


品物比禮

最後に登場

品物比禮(クサグサノモノノヒレ)。
この中に傷んだものを入れたり傷ついた人を入れたりしてフルフルすると傷は治るとのことだ。
御輿にも似てますね。


ヌーソロジーだと定質と性質。自己と他者の魂がぐるぐると交わる領域。ここで自己認識や自我、理性、超自我が生み出される。この上は死の次元!


蛇比禮、蜂比禮、思形と感性で登場したケイブコンパスを横から見るの図。螺旋形に自己と他者の意識が回転している。



ザザザと走るように紹介したが(わかりにくいことは重々承知😬💦記事下部にとてもわかりやすい参考DVDを紹介しています。)

言いたかったことは古代人は精神をカタチとして見ていたということ。カタチを表したモノは多々あるが多くは隠されてしまってきた。そのカタチとして細々と隠されるように現代へ伝わったうちの一つが十種の神宝なのだ。
ニギハヤヒ、瀬織津姫、菊理姫神をはじめとする古事記、日本書紀をさかいに権力支配側から隠された沢山の神々。古事記編纂の中心にいた稗田阿礼。カタカムナ、ホツマツタヱなどの神代古代文字、地方に伝わる古文書。

無意識側の存在、または現象世界と無意識側を繋ぐ存在、それらを表すカタチが隠されたのだ。何度も書いてきたようにそれは時代の流れ。良い悪い、善と悪を超えた精神的宇宙の進化のために必要な流れ。しかし、今、現代はいよいよその隠された無意識側の世界を浮き上がらせ、真ん中を取り戻す時が来たのだ。


ここ数年、YouTube、ブログ、SNS、このnoteにおいても多くの人が日本人はすごかった、日本人は凄い。縄文時代、縄文人は良かったと発信、シェアしている。

何が凄いのか
日本人が凄い
縄文人が凄い

それは何故なのか?

それは縄文人、日本人は古来よりモノの中に霊性を見る民族であったからだ。モノの中に入りモノと一つになるということが出来た民族だったからだ。
モノを精神として見、そのモノ自体となる事が出来たのだ。

十種の神宝の品物比禮、
最後の神宝の名前が「物」なのだ。


民族宗教学者中沢新一は著書「精神の考古学」において

「四大へ、自分の感覚で〈滑り込む〉。
人は、適切に訓練を積めば、「水」や「土」といった「物質」へ、”自分の感覚”が「滑り込む」ような「感覚」を感じることができる。
通常、水とか土といえば、ものとしてそこに転がっており、「私」とは何の関係もない、私とははっきりと分けられた何かという感じがするところであるが、元素の「音声を聴く」という感覚の組み替えにより、物質を「音声」として、振動として聴く、つまり”聴いているワタシ”の身体と共鳴させることができるようになる。」と、書き記しるしていたがこれはチベット、ゾクチェンの瞑想技法によるものである。

適切に訓練を積めば「物質」へ〈自分の感覚〉が「滑り込む」ように感じることが出来る。

と記している。


「モノの中に入る」

中沢新一はチベットの山奥で修行してその感覚を得たが、ヌーソロジーはこれを〈思考、空間認識、時間認識〉の反転にて行おうとしているのだ💫💫💫古来よりの日本人の感覚と思考を取り戻そうとしているのだ。

隠された潜象意識、精神を浮き上がらせ潜象と現象の「間」を見つけ〈モノの中に滑り込む〉
日本人の霊性はそこにあるのだ💫💫💫



ご一読ありがとうございました✨🐉🌸🗻

モノの中に入る。物と一つになる。
そこが「存在」のゴールではないけれど、一つの分岐点。その先に宇宙生成の世界があるようです。
しかしまずはモノってなんなのかと、考えることが日本で日本人として生まれてきた事の使命なのかもしれません💫💫💫💫🗾💫💫💫💫



参考DVD

ぼくの記事ではわかりにくかったと思いますが、ヌーソロジーの次元観察子構造と十種の神宝の詳しい関係は川瀬統心さん作製、下記レクチャーDVDにあります。詳しいレジュメ付き!動画&PDFで購入する事も出来ます♪



10月レクチャー↑



中沢新一の著書「精神の考古学」をぼくは読んでないですがway_findingさんのnote記事より引用させて頂きました♪
詳しく引用解説されてます!


 



パート1はこちら↓




パートⅢに続きます!😆💫💫💫🗾💫💫💫





以上です!


ナマステ🐉✨🌸🗻🐉

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