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霧島温泉紀行5 美味しい✨西郷どん村!!

去年の秋に散々通った霧島温泉郷。
11月の後半に2度、湯之谷山荘に一泊ずつして、霧島湯治の旅は終わりとなりました。

(硫黄泉と炭酸泉、そしてそのMIX)

今回は露天の硫黄泉も堪能して心も肌も大満足。ここの硫黄泉は熱いけど、露天の方は夜の冷気で丁度よい湯加減で極上でした!


金曜仕事が終わり次第車を霧島に走らせ、
湯屋に着いたら、浸かりまくる。
そして、朝、チェックアウトぎりぎりまで湯を堪能して、お昼は隼人日当山まで降りて西郷どん村の日当山食堂で地元の食材ビュッフェを堪能!

西郷どんの霧島滞在時の常宿。

敷地内にこだわり商品満載の物産館とビュッフェ形式のレストランが併設されている。

主菜を3つの中から1つ選べて
副菜は6、7種類の中から2つ選ぶ。


副菜はベジ料理。主菜なしで副菜のみ頼むことも出来るのでベジタリアンの方も安心です。この場合副菜3つ。


2度に渡って行ったので、2回分自分のチョイスを載せますね!

主菜は魚、副菜の椎茸料理が肉厚プリップリの上、とても美味しい味付け!

この日も椎茸焼いた副菜が断トツで旨し!

こちらは物産館。
霧島産こだわり食材が並び
とても楽しい感じ♪♪

無投薬の霧島サーモンも!

お茶に

お弁当も超うまそう~🤤

お腹と目を満たした後は、
再び西郷どんの宿へ。


なんと!西郷どん直筆!!

鹿児島県人は西郷どんに対する思いが強い。
明治維新の立役者にして、最後の武士として散っていった西郷どん。

敬天愛人

「敬天愛人」は西郷どんの座右の銘。「道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛する心を以て人を愛する也」(南洲翁遺訓)が、その意味とされる。

沖永良部監禁時、厳しい境遇の中、瞑想に明け暮れこの境地に達した西郷どんは他の志士とはだいぶ違っていた。
天と人の為に彼は動いた。
支配欲、権力欲とは別のところにいた。

西郷どんの意識は無意識と繋がり天、宇宙まで広がった。
明治維新、世界を支配しようとする勢力の企みに気付き、その流れに抗い最後、多くの武士とともに散っていった。

2018年、大河西郷どんが放映終了となった後、ぼくは鹿児島市の西郷どんの墓と終焉の地、立て籠った洞窟と歩いてみた。

薩摩半島側に土地勘がないので、だいぶ道を間違えたけどなんとか到着。

西郷どんを始めとするにして西南戦争戦没者の墓が立ち並ぶ。

手を合わせつつ、南州カフェで一休み。

神社ティー(ジンジャーティー)で心もからだもほっこりしつつ、西郷どんや明治維新、そして散って行った人々に思いを馳せる。この時、欧米の思い通りにならなければ・・・  もっと言えば多額の借金をマセソン商会からしなければ・・・   戦うことなく独立国家としての道を歩んでいれば・・・ 等、明治維新の闇を知った今となれば考えてしまうが、この時のぼくはまだそこまで知らなかった。

再びぼくは歩きはじめ西郷どん終焉の地へ。

もうここらでよか。

戦い尽くし、やりきり立て篭もった洞窟を出て銃弾に倒れた西郷どん(涙)この後立て篭もった城山の洞窟まで歩いたぼくはその距離の短さにびっくりする。

たったこひこ!!たったこひこ~!!(涙)

(たったこれだけの意)

洞窟を出てから亡くなるまでの、その距離の短さにぼくは愕然とした。洞窟を出た西郷どんはあっという間にこの世を去ることとなったのだ。

明治維新、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争(大東亜戦争)戦後復興を経て今、ぼくらは在る。

明治維新から現代まで、日本の歴史がやつらによって作られたものであるならば、そして今のパンデミックがやつらによって作られたものであるのならぼくはひっくり返したい。みなとともにひっくり返してやりたい。それが無理だとしても、これから来る未来をやつらの思惑から外したい。外れたところにぼくは行く。できる限り多くの人と手をつないで。

西郷どん死すともその魂は連綿と生き続けるのだ!!

西郷どん、ありがとう!!

ご一読、まっこちあいがとさげもす!!

最後に「大河 西郷どん」のオープニングに使われた南大隅町雄川の滝。(一度だけ行ったことがありますが、とても綺麗です!!)

心打ち震える「大河 西郷どん」オープニングテーマもどうぞ♪♪海上自衛隊東京音楽隊の演奏です。かきたてられますね😆✨


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