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「死は存在しない」を読みながら ぼくの死生観、輪廻、解脱、そして世界観。

先々週の金曜日、note記事「親父の命日にこの3年間を振り返る」をアップし翌日までコメント欄でご訪問くださった皆様とやり取りし、借りていたDVD新海誠監督作品「天気の子」をTSUTAYAに返しに行くと、店舗のプッシュ商品コーナーに、「死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説」田坂広志著という本が目に飛び込んできた。
「死」について思いを馳せていたこのタイミング。
ぼくは即、レジを通し、カフェにて読書と決め込んだ。


薬膳カレー
美味しいです♪♪
コーヒーは玄米コーヒー。


さて、死は存在しないのか
死とは何なのか
死が存在しなければ
我々はどうなるのか。


量子真空間(ゼロポイント・フィールド)

まず、この本に於いて語られるのは
この世界の有り様である。
物質を原子より更に細かく分解すると量子という単位になる。

その量子の中は真空でありながら、また宇宙を生み出すような莫大なエネルギーを秘めているという。



さらに、その量子真空間には莫大な情報がホログラムとして保管されている。
未来、現在、過去全ての情報である。
この量子真空間と我々の深層意識は繋がっており、この量子というものは至る所あらゆるところに存在する。


こちらの本の中ではゼロポイントフィールドというもの量子真空間の中にあり、さらにその中に情報とビッグバン級エネルギーがあるという。


ウパニャッド哲学によるブラフマン、または森羅万象、世界における民族的思考

古代インド哲学において大いなる存在、ブラフマンはアートマンに別れて各物質に入る。
各物質のアートマンはブラフマンのエネルギーが入っているから、それはブラフマンと同体である。
日本における森羅万象の思想、民族的なサムシンググレード、仏教の山川草木国土悉有仏性、多少の違いはあれど同じことを語っている。

広大な宇宙とこの小さな量子空間の中の宇宙は
繋がっている。
わたしたちの深層意識もこの量子空間の宇宙と繋がっている。
だからわたしたちの深層意識と宇宙は繋がっているのだ。






死とは

心臓と血流が止まり脳が停止しても田坂氏は我々の自我はまだ暫くは残るという。
深層意識は量子真空間から連なる宇宙の意識と一体化していく。
やがて自我は消えてしまうが我々の記憶は量子真空間の情報ホログラムの中に残る。

我々の生きた証は死後も宇宙の記憶として残っていくのだ。
そして、魂や真我等と呼ばれるエネルギーは宇宙と一つになっていくのだ。


この量子物理学にぼくが出会ったのは20代の頃である。スピリチュアル系の本を読み進んでいくとこの科学に突き当たる。
現代物理学では解明できないこの世界の事象も量子物理学では解明出来るという。
ただ量子というものは観察者が関わると形を変えてしまうという性質がある。それ故に未だ解明が進んでいないようだ。
しかし、この量子の存在は、そこに秘められる莫大なエネルギー、広大な宇宙は仏教者の覚者やヨガの達人達によって、

瞑想的直感により数千年前から語られてきた。


インド哲学におけるアーカーシャ。
唯識仏教における阿頼耶識。
量子物理学による量子真空間。
瞑想的直感による精神的世界の表現にようやく科学が追いつこうとしてきているのだ。





結論を出すと死というものは現世世界においての定義に過ぎずよって田坂氏の「死は存在しない」という定義も大いにあり得ることだ。

肉体における死
脳における死
自我の消失における死。

3つの死を経ても
我々の魂は滅びない。
宇宙に還りまた
何らかの形でこの世界に還ってくる。
宇宙意志の拡大とともに
我々もまたそこに在るのだ。

💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫



幾光年の長い旅路の中の
ほんの儚い自我だけど
スマホポチポチ打ちながら
究極的な旅路の先へ

幾光年の旅の中
生まれて死んでは
来たけれど
それも大きな流れでは
ほんの一瞬

スマホポチポチした記憶
あなたの記憶と混じり合い
自我はやがて消えゆくけれど
また巡り合って
一つになる

幾億光年旅したら
やがて星の光となりまして
また生まれて
また死んでいく
一瞬という永遠
永遠という一瞬の
メビウスの輪

量子のゆらぎ
宇宙の流れ
あなたの中の光は
無限光年
スマホポチポチ
無限光年


以上です!😆


ナマス・テ💫💫💫


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