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質問112.どうしたらボールの落ちる位置が分かり体重移動に間に合う?

今回2回目です。
体重移動が出来ないです。
ボールがきたら腕を思い切り引くのと同時に右足を下げて体重をかける。
その後すぐに左足を出して思い切り踏み込み体重をかけてラケットを振り切れとよく言われます。
 
私は体重移動が苦手と定着されるくらいです。
 
だけど間に合わないんです。
ここに来るだろうと予想して右足を下げていてもボールが違うところにいったら構えた足がやり直しで結局間に合わなくなってしまいます。
どうしたらボールの落ちる位置が分かり体重移動に間に合うようになりますか?

回答


▶脳は「同時並行処理」が苦手


前提として、「ボールがきたら腕を思い切り引くのと同時に右足を下げて体重をかける。その後すぐに左足を出して思い切り踏み込み体重をかけてラケットを振り切る」という動作について考えていると、ボールとの距離感は合いません。
 
人間の脳のパフォーマンスは確かに素晴らしいのですけれども、考え事をしながら、高速で飛んでくる対象との距離感を正確に計るといったように、2つのことを同時並行処理する作業は苦手です。
 
「一時にひとつ」が原理原則です。
 
ですから、距離感を正確に合わせるには、それがどんなに正しいと思えるアドバイスだとしても、考え事はやめにします
 

▶「距離感」であって「距離思考」ではない

 
また、「ここに来るだろうと予想して」というのも頭の中で行なわれる思考ですから、理屈は同じです。
 
足の踏み込み方を注意しながら、相手から飛んでくるコースを予測しつつ、ボールとの距離感を測ろうとしていらっしゃいます。
 
「そうするのが当然だ」と思われるかもしれませんけれども、そういった諸々を頭で考える必要はありません。
 
距離感は感覚的なものなので、「感じる」のです
 
これだけ科学が進んでいる21世紀にも関わらず、ビジョンカメラを備えた自走式のロボットですら、人間なら簡単に捕れそうな野球の凡フライがやっと捕れるようになったのは、ごく最近のようです。

 
ロボットがどうやって捕球を可能にしているのかのメカニズムは私には分かりませんけれども田中一敏ロボット博士によるこちらのnote記事が主観的に面白いと思いました)、たとえばスピードと距離と方向から計算式でいつどこへどんなボールが飛んで来るかを予測するのは、並大抵の難しさではありません。

換言すれば人間の感覚はそれほど「優れている」と言えるのです。
 

▶脳の性質を「逆手」に取る

 
ボールの軌道、速さ、相手のフォームなどから飛んでくるであろう打点を、頭で予想しようとする思考が、距離感を誤る原因。
 
予想せず、目で見て感じるがままに動くようにすると、後述する「現実に対するイメージのズレ」がない前提条件を踏まえれば、距離感は合ってきます。
 
人間はその感覚を持っています。
 
その感覚を有効活用するには、頭の中で考え事ができないくらい、ボールをよく見ます。
 
先述したとおり幸か不幸か、器用なのか不器用なのか、脳は2つの情報を同時並行処理する作業が苦手です。
 
ですからよく見るようにすると、脳の苦手を逆手に取って、考え事をできなくする方向に持っていきやすくなります。
 

▶ベースライン上にポジショニングしていない?

 
あとは体重移動できない原因として、ベースラインに合わせてポジショニングしている原因が疑われます。
 
相手から飛んでくるボールでいちばん厳しくなるのは基本的に、ベースライン付近に落ちる深いショットです。
 
これをベースライン上で処理しようとすると、足を踏み込んで打つのは難しく、体重移動ができません
 
バウンドが跳ね上がってくる上昇過程のライジング処理をすればできなくはないかもしれませんけれども、それができるとしても、自分のいるところへボールが首尾よく飛んで来てくれて、動かずに打てる場合などに限られるでしょう。
 
一般的にライジングショットは、体重を乗せてパワフルに打つというよりも、パワーはさておき返球タイミングを早めて、相手の余裕を奪う時間短縮の目的で使われます。
 

▶ポジションが適切なら体重移動は「自然発生」する

 
なので、いちばん厳しいベースライン付近に飛んでくるボールを取るシチュエーションを前提に、少し(かなり)ポジションを下げて構えておけば、踏み込んで体重移動しやすくなるし、それよりも浅いボールが来たら、やはり前に動いて打てるので、体重移動は自然発生しやすくなります
 
もちろん、浅いボールに対して突っ込みすぎてしまっては踏み込めませんけれども、それは先述したように「現実に対するイメージのズレ」がない前提を踏まえれば、頭による考え事をなくしておくと、そのような事態にはなりにくくなります。
 

▶体重移動に「こだわらない」


とはいえ身も蓋もないようなご説明になりますけれども、踏み込んで体重移動するかしないかは、その時々でOKなのであって、ボールに身を委ねて体の反応に任せるプレーの自動化でいいと思います。
 
体重移動が大切だからといって、踏み込めないボールを無理やり踏み込もうとするのはミスの原因。
 
逆に、踏み込まないと打てそうにない浅いボールに対しては、自然と足が1歩前に出て、体重移動を体は行います
 
人間の感覚は非常に優れているのでバランスを取るために、本能的にそうするのです。
 

▶「浅めのボール」にも体重移動できないなら、これが「真因」

 
さて、何度か出てきた「現実に対するイメージのズレ」です。
 
この話を読んで、「ベースラインからポジションを下げればいいんだ」などと頭で理解しても、イメージのズレがあると、体はどうしてもべースライン付近、あるいはコート内へポジションを上げたくなってしまいます。
 
上げたくなるというよりも、上げないと「怖い」のです。
 
あるいは「いや、ベースライン際に飛んでくるボールばかりではなく、サービスライン付近に弾む浅めのボールに対しても、やっぱり体重移動できない」というのであれば、間違いなく「現実に対するイメージのズレ」があると私は断言できます
 

▶高さ20メートルのビルにかけられた幅50センチの橋を渡れるか?


それは、あくまでも例え話ですけれども、いくら床の上では幅50センチの板の上を歩けるといっても、それが高さ20メートルのビルとビルとの間に架けられた橋だと、怖くて渡れないのに似ています。
 
いつも対応に苦慮する打点やポジションになってしまうプレーヤーは、いつも高さ20メートルの橋の上を渡ろうとしているようなものなのです。
 
しかしそれが、ここでは「現実に対するイメージのズレ」だとご説明しています。
 
本当はその幅50センチの板は、コート上に敷かれています。
 
なのに高さ20メートルのイメージがあるから、怖くてビルから動けず、自由にポジショニングできなくなっているとたとえられます。
 

▶イメージは「一発で」書き換わる。無理やりだと「溺れる」のは自己肯定感と同じ

 
あるいは「水の中は息ができなくて苦しいし、目を開けるとしみて痛い」イメージのある子どもは、怖くてどうしても水に潜ることができず、プールサイドで泣き叫びます。
 
しかし、コーチに飛び込み台の上から水の中へ放り込んでもらえば、その体験をきっかけに、怖くてどうしようもなかった水が、楽しくて仕方がなくなるイメージに、一発で書き換わります
 
イメージが書き換わっていないのに、自ら何とかしようとして勇気を出すと溺れてしまうのは、「自己肯定感」と同じです。

▶この世に「泳げない人」はいない


世の中の人は全員が泳げる能力を持っています。
 
泳げる人と泳げない人の間には、遺伝子的な違いがあって区別されているわけではないのです。
 
泳げない人は、この世にいません
 
運動神経が鈍いわけでもありません。
 
いわゆるカナヅチの人は、「現実に対するイメージのズレ」があるだけなのです。
 

▶「遺伝子レベル」の違いはない

 
テニスも同じです。
 
距離感を合わせる能力も、体重移動する運動神経も、遺伝子的な違いがあって、できる人とできない人の能力差があるわけではありません。
 
こちらでも述べましたが、テニスができる人の人格が優れていて、そうではない人の人間性が劣っているわけでも決してないのです。
 
速く動けたり、強い力を出せたりするのは後天的なトレーニングの成果も含まれますから、人によりフィジカルの違いはあるにせよ、遺伝子的な運動学習能力の差異など取るに足らず、「ないに等しい」レベルです。
 
このことを理解しておかないと、できない人をさげすんだりする、いじめや差別にもなりかねないし、できる人は、人は対等なのに、決してあってはならない優越感を覚えたりしかねません。
 

▶自己否定が強まると、「他者否定」に向かう

 
そして最後に、「イメージのズレ」とは思い込みみたいなものなのですけれども、本人にしてみれば思い込んでいるとは気づかないのが、「思い込みの本質」です。
 
そのせいで、体重移動ができないのは、「動き出しが遅れているのか」「テイクバックを小さくしたほうがいいのか」「もっと早めに軸足をセットするべきなのか」「距離感が合わないのは非利き手をボールに向けて目安として使えていないからなのだろうか」などなどと、常識的なテニス指導を習ったプレーヤーなら聞き馴染みのあるアドバイスを意識するようになっていくのです。
 
それでもできないと、運動神経的に、あるいは人格的に劣っている自己否定感が強まり、それとは正比例の相関である「他者否定」にも向かいかねません。
 

▶本当は楽しくテニスがしたいだけ


本当は、楽しくテニスがしたいだけ。
 
他人を責めたいわけではない。

楽しく生きられればいい。

しかしそういう「自己否定→他者否定」のベクトルが蔓延しているのが、テニスに限らず今の世の中の風潮なのではないでしょうか。

他者に対して否定的になるのは、相手が悪いからばかりではなくて、自分では気づいていないけれど自己肯定感の低さに由来する「行きすぎた自己正当化」ゆえ、なのかもしれません。

即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero