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精神障害者は辛いよ4
繰り替えされる入退院と障害者年金受給に至るまで
バイトについては三か月ほど働き、正社員を促されて離職し正社員につき、体調を崩しては入院をする。これがこの頃のお決まりのパターンだった。医師が固定されていなかったのもよくなかったことだ。鈴木理事長はベテランで人気が高い医師でその分忙しい。そのため、体調がよくなるとほかの医師に主治医を交代することになるのだが、この交代の仕方が半端ではない。
自分が
精神障害者は辛いよ5
軌道に乗った障害者雇用
当時、障害者雇用というのが注目されていた。まだ、障害者雇用が義務化されていない時代ではあったがやがて将来的には企業は精神障害者を雇うことが義務になるだろう。そのためにも人事としては使える精神障害者を採用し、障害者雇用に邁進しなければならない。ダイバーシティーとのちに呼ばれる働き方の多様化の一環であり一つの流れであった。
自分としても気が付いていた。自分には公務員時代の三
精神障害者は辛いよ6
失意の中、再入院と失職
仕事を続けていればもしかしたら違った出会いがあったのかもしれない。女性の多い職場だ、この境遇を話せばそれに同情してくれる健常者の女性も現れたかもしれない。しかし、自分にとっては失意の中、仕事にやる気を見いだせないでいた。
すべてに失望し、全てを恨んだ。故に、自暴自棄になりすべてが馬鹿らしくなった。そんな状況で仕事が続くわけもない。ある時、同じ部署の人が謎の仕事の振り方
精神障害者は辛いよ7
精神保健福祉士学校にて
精神保健福祉士の学校、といっても基本教科書がドサッと送られてきて自分で熟読するだけなのだ。レポートという課題の提出や、通学という夏休みを利用した対面での授業が各年ごとに5日ほど、そして実習として病院、ないしは地域施設に行き実習ノートを書くこと。これが、卒業までの学習内容である。
当時はまだmixiが全盛期で、その中で二人の同期と連絡を取ることができた。夏のスクーリング授