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精神障害者は辛いよ

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記事一覧

精神障害者は辛いよ

時代
 そもそも、時代というのがよくなかった。平成10年、大学に入学してしばしの間は学業に没頭したが二つのサークルを掛け持ちし、自ずと単位の代返や友人との交流に時間が奪われ気が付けば就職活動一歩手前の大学三年生になっていた。
趣味一辺倒でバンド活動ばかりしていたが、保険ということで公務員の勉強もしていた。高校の頃から音楽で食っていくんだと心に決めていたので基本的に音楽の勉強。それ以外に親教師を納得

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精神障害者は辛いよ2

過度な要求
 初日、何事もなく勤務時間で帰る翌日K氏から「残業せずに帰るな」と怒られたのを覚えている。そこから、ほぼ一日も残業なく帰った記憶はない。はっきり言って広報課の仕事というのはおざなりでやれば残業など最低限で済むし、その方がいいと思う。
 記憶に残っているのはマイルールの多さだ。例えば、広報掲載依頼は担当している部署に回し広報に掲載すべき団体から来ているのかという確認をしてもらうとあったが

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精神障害者は辛いよ3

三度目の入院と最悪の身体拘束
 当時はちゃんと薬を飲んでいたし、さしたる不安要素というのもなかった。仕事もちゃんとでき朝もちゃんと起き睡眠もとれていた。四週間に一度の定期的な診察も受けており薬だけの処方がされていたが、職場には不満しかなかった。当時から公務災害の申請をすると言い張っていたが、離職後、興味もなくなり、そこからは引きこもりのような生活をしていく。対面上は仮面浪人ではないがPCに向き合い

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精神障害者は辛いよ4

繰り替えされる入退院と障害者年金受給に至るまで

 バイトについては三か月ほど働き、正社員を促されて離職し正社員につき、体調を崩しては入院をする。これがこの頃のお決まりのパターンだった。医師が固定されていなかったのもよくなかったことだ。鈴木理事長はベテランで人気が高い医師でその分忙しい。そのため、体調がよくなるとほかの医師に主治医を交代することになるのだが、この交代の仕方が半端ではない。
 自分が

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精神障害者は辛いよ5

軌道に乗った障害者雇用
 当時、障害者雇用というのが注目されていた。まだ、障害者雇用が義務化されていない時代ではあったがやがて将来的には企業は精神障害者を雇うことが義務になるだろう。そのためにも人事としては使える精神障害者を採用し、障害者雇用に邁進しなければならない。ダイバーシティーとのちに呼ばれる働き方の多様化の一環であり一つの流れであった。
 自分としても気が付いていた。自分には公務員時代の三

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精神障害者は辛いよ6

失意の中、再入院と失職

 仕事を続けていればもしかしたら違った出会いがあったのかもしれない。女性の多い職場だ、この境遇を話せばそれに同情してくれる健常者の女性も現れたかもしれない。しかし、自分にとっては失意の中、仕事にやる気を見いだせないでいた。
 すべてに失望し、全てを恨んだ。故に、自暴自棄になりすべてが馬鹿らしくなった。そんな状況で仕事が続くわけもない。ある時、同じ部署の人が謎の仕事の振り方

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精神障害者は辛いよ7

精神保健福祉士学校にて
 精神保健福祉士の学校、といっても基本教科書がドサッと送られてきて自分で熟読するだけなのだ。レポートという課題の提出や、通学という夏休みを利用した対面での授業が各年ごとに5日ほど、そして実習として病院、ないしは地域施設に行き実習ノートを書くこと。これが、卒業までの学習内容である。
 当時はまだmixiが全盛期で、その中で二人の同期と連絡を取ることができた。夏のスクーリング授

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