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ショートメッセージ

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聖書から日々黙想をしている中で、短いひとまとまりのメッセージを書き留めています。それをおすそわけします。ご面倒ですが、聖書箇所について聖書を開くか、検索してくださると、いっそう身… もっと読む
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#言葉

言葉を食べて語る先

言葉を食べて語る先

エゼキエル2:8-3:11 
 
「口を開け、私が与えるものを食べなさい」というそれは、巻物でした。黙示録にも引き継がれた光景です。神の与える巻物を、預言者が食べるという図式。この表現は、神の言葉を自分の内に入れ、自分のものとする、ということについて考えさせます。否、自分の一部が神となり、神の一部に自分がなる、ということかもしれません。
 
預言者は、神の言葉を、イスラエルの家へ行って語れ、と言わ

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主は苦しめ、そして導く

主は苦しめ、そして導く

申命記8:1-10 
 
主は「あなたを苦しめ、試み」たそうです。それから、主は「あなたを苦しめ、飢えさせ」たといいます。なにげない一言を見逃さないようにしましょう。これがあるからこそ、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」という命題が告げられ、私たちの目の前に突き出されたのです。
 
イエスが荒野で悪魔により攻撃されたとき、この言葉を以て退かせたというと

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預言者の立場と限界

預言者の立場と限界

ヨエル2:11-14 
 
主は、御言葉を行います。主の言葉は力をもち、現実となるのです。言葉がリアルだ、ということです。聖書の基本スタンスは、そういうことです。人間にとり、やがて大いなる非が来ます。来ると言ったら来るのです。人は、それに耐えられません。しかし、とヨエルは続けます。「今からでも」よい。まだ間に合うのだ、と。
 
「今」という時を意識している者は、生きているからです。生きていれば、そ

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父の言葉と光の道

父の言葉と光の道

箴言4:10-23 
 
父の言葉を受け容れるならば、命が歳月を増すだろう。その言葉に思いを向け、耳を傾けるならば、それは命となるだろう。目から話すことなく心の内に守るならば、それは命となるのだ。父親からの、逞しい言葉が続きます。全身がそれで健やかになるだろうから、父の言葉を受け容れる、その心がなによりも大切なことだということになります。
 
そこから命が来るのです。父という姿をとり、息子への言葉

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詩編もまた神の言葉

詩編もまた神の言葉

詩編119:9-16 
 
詩編はいったい神の言葉と言えるのかどうか、考えることがあります。神からの言葉が書かれていない場合があるからです。そこにあるのは、人間の信仰表明です。長大なこの119編は、一つひとつの節に、神の「言葉」を指す語がほぼすべてにわたり含まれるという、特殊な形で成り立っています。その意味では確かに神の「言葉」であるのでしょう。
 
主の道を歩む者でありたい。しかし人間にそういう

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年末の天地創造と新年の人の創造

年末の天地創造と新年の人の創造

創世記1:1-2:5 
 
聖書通読のほかに、「聖書愛読こよみ」をデボーションの道標としています。その粋な計らいを見ました。2023年の大晦日に選ばれた聖書箇所が、この創世記の冒頭なのです。世界の初めだから、新年に相応しいような気がしますが、これにははっとさせられました。新年を待つことが、神の新たな創造を待つ思いと重なるような気がしたからです。
 
もとより、この創造は、人間の見た風景ではありませ

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壮大な世界の初めの言と命と光

壮大な世界の初めの言と命と光

ヨハネ1:1-5 
 
誰もがこの福音書の冒頭の箇所に魅力を覚え、そして惑います。これはいったい何のことか、と。分かっています。イエス・キリストは誰であるかを述べたいのです。でも、告げられている言葉の真意が受け取れません。受け取った気持ちになることができないのです。「初めに」は恐らく創世記の最初をリスペクトしてのことではあるでしょうけれども。
 
新約の思想を、創世の宣言になぞらえて、今もたらそう

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結びからの始まり

結びからの始まり

マタイ7:24-27 
 
「私のこれらの言葉を聞いて行う者」がテーマとなります。山上の説教の締め括りとして、マタイはこれを選びました。そこに意とがあるはずです。つまり、これらの新しい律法を行え、と言うのです。聞いただけで「いいお話でした」と笑顔を向けるのが目的ではありません。むしろ、聞いたところからその人の道が始まるのです。
 
心が洗われました。そんな感想は、お門違いです。これほど多くのイエス

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任務から逃げない

任務から逃げない

エレミヤ17:14-18
 
私の癒しは、主によってなされます。私の救いは、主によってなされます。自分で自分のことができる、という近代人の思い込みは、昔からあったものです。エレミヤは、己れの処遇を主に委ねました。というより、主が握っているのだという前提があるところからしか、出発ができないのです。エレミヤと神との間には、そういう絆があるのです。
 
しかし、それを脅かすものもいます。敵です。エレミ

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特別なアロン

特別なアロン

民数記17:16-20 
 
レビ族の父祖の家の頭、祭司アロンは特別です。疫病に対しても、アロンの香が功を奏しました。火皿に香を載せ、祭壇の火を以て贖いとするのです。この火皿は、アロンの子エルアザルが焼け跡から取り出したものです。モーセに逆らったコラに属する250人が、火により焼かれたのです。しかし火皿は打ち直され、板金とされ、祭壇の覆いとされました。
 
主に献げられ、聖なるものとされた火皿。イ

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遺言が神の国へ

遺言が神の国へ

申命記32:45-47 
 
律法のダイジェスト版のような申命記は、モーセが改めてメッセージをまとめたものだということになっています。それがいよいよ締め括られるときが来ました。これより後は、モーセの死へのスケジュールと、祝福の祈りの言葉があるばかりです。つまりは、モーセの死を記録する部分となっているわけです。
 
実質、律法全体のまとめとしての役割を果たす、ここの3節分だけをいま味わうことにします

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エリサベトの祝福

エリサベトの祝福

ルカ1:39-45 
 
不妊ということだけで、全人格を退けられていたエリサベトが、子を授かりました。夫ザカリアは、一時的に口が利けなくなっていました。身振りで意思疎通を図るしかありません。エリサベトは、神に祝福を受けたと思ったことでしょう。そこへ訪れたマリアにより、エリサベトは霊の喜びを体験した、というのがこの場面です。
 
この情況のエリサベトが、マリアを、女の中で祝福された方であると称してい

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それなのにあなたがたはやって来て

それなのにあなたがたはやって来て

エレミヤ7:1-11 
 
エレミヤは主の命を受けて、主の神殿の門に立ちました。礼拝するためにその門に入ってくる、ユダの人々へ向けてという限定的な意味で、主の言葉を聞かせるためです。人々よ、悔い改めよ。エレミヤは思い切った言葉をぶつけます。こんなことを言われて、人々がエレミヤをどうするか、恐れはなかったのでしょうか。勇気のある行為です。
 
口先で、ここは主の神殿だと連呼したところで、実際は、弱い

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イエスを求める信仰

イエスを求める信仰

アモス8:9-12 
 
アモスは幻を与えられ、この世の不正と乱れが破滅の契機となっていることを明らかにします。こんな世の中はどうかしている。神がそのままにしておくはずがない。だから必ず「その日」が来る。もうその日になってからは、後戻りはできません。過去のあの時のことを、なかったことにすることなど、できないのです。
 
その日、太陽でさえ尋常ではなくなってしまいます。白昼に太陽は沈み、地は闇となり

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