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おもしろき こともなき世を おもしろく
昨日は、学生時代の友人と久しぶりにゆっくりと話をしてました。
そんな中で、ふと出てきた話題なのですが。
人生は基本的に楽しいものである
ただ、惰性になる、なんとなく生きる、と途端につまらなくなる
自分の人生を生きる、何をするかを瞬間瞬間、自分で決断して生きることが大切
というような話しになりました。
高杉晋作を思い出しますね。
おもしろき こともなき世を おもしろく
住みなすものは
お釈迦さま的・生活スタイル
お釈迦さまと現代人、何が違うんだろう?
とくに、生活スタイルで。
そんな事をよく考えます。
一番違うのは
「お釈迦さまには家が無い!」
「そもそも定住してない!」
これではないでしょうか。
つまり、お釈迦さまは年中、旅から旅へ。
そして、移動は徒歩です。
ですから、ほぼ一日中歩いておられた。
これは、以外に盲点ではないでしょうか?
現代人はあまり歩きません。
そして、定住しますか
お経は声に出してお唱えしましょう!
『般若心経』が大好きなんですよ。
本当に素晴らしい経典で、いつお唱えしても良いですね。
それで、「そんなに素晴らしいなら意味を教えてくださいよ」
と良く聞かれます。
もちろん、内容も素晴らしいので、解説動画まで作ったことがあります。
(文末にリンクを貼っておきますので、良かったらご覧くださいませ)
しかし、本当に素晴らしいのは「実際に声に出してお唱えする」ことにあります。
仏教は知識では
世界には心しかない!?
「三界唯心(世界は、心だけ)」
という言葉が『華厳経』に説かれています。
でも、「世界は、心だけ」ってどういう意味なんでしょうか?
普通、私は「世界を見ている」と考えます
世界 ← 見る 私
こんな感じです。
でも、実際はこの見てる映像は心(識とも言う)の中で作られたイメージです。
(現代風に言えば、脳の中ですね)
【世界 ← 見る 私】←この全体が心の中
つまり、心の中に、「私」
手ばなすことの大切さ
人間、何か問題にぶつかったとき、解決策を探すものです。
仏教もそうで、結構、思想にしても実践にしても具体的に考えれば考えるほど、わからなくなります。
どう考えたら良いの?、座り方、姿勢は?、そもそも仏教徒はこう生きるべきなのでは??などなど。。。
しかし、緻密に繊細に追及して行き、努力すればするほど、壁に行き詰まるところがあります。
そして、意識しすぎて進めなくなる、ということは人生にあり
苦である人生を、どう楽に生きるか?
「人生とは苦である」
というのが、お釈迦様の教えです。
しかし「苦か楽か、なんてのは個人によって違うんじゃないの?」と、私は最初思ったもんですし、そう思う方は多いのではないでしょうか?
以前、ある脳科学者さんに聞いたことなのですが、苦しみとは何なのか?というと
脳科学では「現実と理想のギャップ、差が苦しみです」という話しでした。
これは、まあ、理解できることですね。
今の環境がどうあれ、自
情報を減らす・苦の原因から離れると、ストレスが無くなる
私は20代のころ、真言宗の修行道場におりました。
すると、当たり前なのですが、世間の情報がとても少ないのです。
たとえば、テレビ、新聞、ラジオがありませんので、ニュースを目にすることがありません。
電話、手紙は週に一回なので、その時だけ外部の情報が入ってきます。
まるで、昔の農村みたいですね。
さて、現代の社会では情報が命です。
知らないことは悪いこと。
みな、新しい情報を必死で収集して
仏教には、幸せという目的がある
仏教は科学的だ、という方もおられますが、明確に違うところもあります。
それは、「目的がある」というところです。
科学にはそれ自体の目的はありませんよね?
しかし、仏教にはあります。
それは
「抜苦与楽(苦しみを無くし、幸せにする)」ということです。
つまり、仏教思想が理論的に完璧であっても、仏教を実践している人が不幸であれば意味が無いわけです。
目的がある、というのは、仏教が単なる思想で
仏教を学んで、一番の贈りものはなんだったか?
加藤拓雅です。
仏教を学んで、1番良いことってなんでしょうか?
瞑想で、心が整う?
お経をお唱えして、心身が丈夫になった?
お寺参りをするようになって、気持ちが変わった?
どれもあると思います。
でも、実はあまり気がつかない大きな仏さまからのおくりものがあるんですよ〜
それは「嘘をつかない」という功徳です。
???と思うかもしれません。
「そりゃ、仏教でも嘘をついてはいけません、と書か