手ばなすことの大切さ
人間、何か問題にぶつかったとき、解決策を探すものです。
仏教もそうで、結構、思想にしても実践にしても具体的に考えれば考えるほど、わからなくなります。
どう考えたら良いの?、座り方、姿勢は?、そもそも仏教徒はこう生きるべきなのでは??などなど。。。
しかし、緻密に繊細に追及して行き、努力すればするほど、壁に行き詰まるところがあります。
そして、意識しすぎて進めなくなる、ということは人生にありがちなことです。
守・破・離という言葉を聞かれたことがあると思います。
仏教もまさしく同じだと思っています。
前にも書きました、嘘をつかないとか、盗まないとか、きっちり守ってみる。
生活習慣もしっかり作ってみる。
先生に習って、瞑想もしっかりやってみる。
それは、どれも大切なことです。
けれども「○○でなくてはならない」「○○できないと仏教じゃない!」
などと、頭に浮かんできた方は、注意信号です。
どんどんと、自分で自分を苦しめてしまい
「わたしは、なんのために仏教を学んでいるのだっけ?」
となってしまいます。
すると、自分の心に問いかけてみる。
「本当にこれで良いのか?自分に嘘をついていないか?」
すると、「ああ、○○ねばならない」とか、「他人から良く見られたいと思ってやっていた」とか、変な心で仏道修行と向き合っている自分に気が付くものです。
最終的には、手放すこと、求めないこと、そういう人が自由な生き方を得た、ということになるでしょう。
仏教の悟りの智慧を「無分別智(むふんべつち)」とも言います。
つまり、分析しない、理屈で見ない智慧。
あるがままをそのまま見る智慧。
ということです。
すると、段々と自分で「ああしよう、こうしよう」というのも手放してゆくことも大切になってきます。
ここで、昔の人が大切にした「仏さまに手を合わせる、感謝の心をもつ」ということの意味が実感されてくるのです。
自律も大切、修行も大切。
でも、そうして日々生きて「仏さまありがとう、みなさまありがとう」という気持ちがほんとうに大切だと思います。
それでは、今日も良い一日をお過ごしください。
南無帰依三宝
南無大師遍照金剛
真言末葉・沙門拓雅
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