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仏教は哲学であって、宗教じゃない?

仏教好きな人の言う定番として
「仏教は哲学であって、宗教じゃないよね」というのがあります。

ところで、先日、電車に乗ってたとき、向かいのクリスチャンらしき人達が

「キリスト教は真実であって宗教ではないよね」

という会話を交わしているのを聞きました。

はたまた、別のネット上で

「神道というものは、一般に言う宗教と言うものではなく」

という発言を目にしまして。

「どうも、日本には宗教なるものは存在しないようだな」
と、可笑しくなったのです。

なお、一応僧侶として申し上げると
漢字の宗教は「宗門の教え」という仏教語から来ています。

つまり、宗門というと、昔は「○○思想・○○学派」くらいの意味合いで使われていました。

すると、religion の訳語として「宗教」はしっくりこないのではないか?
だから、日本語して違和感を感じるのでは?

などと思ったりします。

さて、何が宗教かはともかく、仏教の思想を理解する際に、なにか特殊な体験が必要なことは確かです。

例えば、『般若心経』で説かれる「空」思想です。

「空」はもちろん辞書的に定義されてますし、知的に理解することはできます。

ただ、結局のところ瞑想や祈りの中で得られた体験を、他人に説明するために「空」ということばを使っているのであります。

そしてそういう特殊な体験は、「宗教体験」のように、つながり、満たされた感覚、安心感、などの感情を伴うわけです。

こうした瞑想や祈りで得られる体験を元に、組み立てられていったものが、いわゆる仏教思想ということになるでしょう。

ですから、結局、自分も体験してみないとよくわからないことになります。

こんな風に書くと、摩訶不思議な、特殊な話のように思いますが、そうではありません。

例えば、音楽やスポーツ、芸術、料理など、感覚的な分野はすべて、そうなんです。

たとえば、「良い音楽」について理論を立てることがあるとして
そもそも音楽の良し悪しは、自分が体験しないとわからない。

美味しいカレーを作るなら、美味しいカレーを食べてみないと想像できない。

仏教の思想も同じようなことで、同じことをやってる人の間で通じるものだということなんです。

さて、それでなのですが、私は瞑想・祈りの体験を理論的に説明しているものを「宗教思想」と、ざっくりと受け止めています。

ただ、残念ながら、人間は他人の心の中をのぞくことができません。

私が感じる体験と、例えば、キリスト教思想を学んでいる人の体験がどのように共通していて、どこが違うのか?比較しようがないので、推測しかできません。

とはいえ、一般に「宗教書」といわれる本を読むと、仏教者でない方のものであっても、共感や感動を覚えたりすることはあります。

それは、○○教という分類をする前の、人間の根源的な本能?感覚?として共通に持っている大切な部分なのではないでしょうか。

そういう部分・感覚は大切にした方が良いと思いますし、
伝統として継承されているなら、受け継いでいくのは大切な財産ではないかと思います。

それでは、今日も良い一日をお過ごしください。

南無帰依三宝
南無大師遍照金剛

真言末葉・沙門拓雅

エア寺勧学院
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