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仏教には、幸せという目的がある

仏教は科学的だ、という方もおられますが、明確に違うところもあります。
それは、「目的がある」というところです。

科学にはそれ自体の目的はありませんよね?
しかし、仏教にはあります。

それは

「抜苦与楽(苦しみを無くし、幸せにする)」ということです。

つまり、仏教思想が理論的に完璧であっても、仏教を実践している人が不幸であれば意味が無いわけです。

目的がある、というのは、仏教が単なる思想ではなく、実践(修行と言っても良いですが)を前提にしたメソッドである、ということでもあります。

たとえば、楽器やスポーツのトレーニングのように、良い状態が想定されており、そこを目指して実践するわけです。

ですから、仏教には目標になるモデルがあります。

たとえば「阿羅漢(初期仏教)」「菩薩(大乗仏教)」のように。

阿羅漢とは、自己の心と向き合う修行者であり
菩薩とは、自利利他円満の実践者です

そこへ至る方法として、伝統的な仏教徒の生き方がある、と考えていただければ良いと思います。

さて、どうして、こういったモデルがあるのでしょうか?

それは結局、人間の心というものは何千年、何万年も変わらないものであって、
つまり、「こういう状態であれば、平穏な心になる」ということが伝統的に知られていたのでしょう。

で、なぜそうなのか?
については、もしかすると科学者が分析してくれるかもしれませんが
実際、そう生きる人は幸せである、というシンプルな答えになるのだと思います。

新しい生き方、を探すのはみなさん熱心ですが、古い方法はあまり振り返られません。
しかし、実際に自分の生活に取り入れて試してみる、というのはいかがでしょうか?

新たな発見があることは、保証致します。

南無帰依三宝
南無大師遍照金剛

真言末葉・沙門拓雅

エア寺勧学院
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