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メモ 「東洋的専制政治」とは何か、なぜ地理と関連するのか?

東洋的専制政治(oriental despotism)とは、ヨーロッパの政治学史で古くから使われてきた政治体制の類型であり、被支配者の恐怖心、暗黙の同意、そして奴隷的な無権利状態に依拠する「東洋的」な政治体制を指して使われます。この類型を使って地理が国家形成に与える影響を論じた研究として、カール・ウィットフォーゲルの主著『オリエンタル・デスポティズム(Oriental despotism)』(1957;邦訳1995)があり、これは大規模な農地を開発するため、農業用水の行政管理が行われた中国で、強大な権力に基づき、人々の行動を統制する「東洋的」な専制政治が成立したことが説明されています。

人間が生存を図る上で必要とする資源は、すべて自然環境の中で獲得されなければなりません。私たちが日々、利用する食料、衣服、道具も自然の中で獲得された穀物、繊維、鉱物から技術を用いて生産したものです。個人の力でも狩猟や採取によって多少の資源を得ることができますが、その成果は不確かであり、多数の人口を安定的に支持するには程遠いものです。特に農業は生存に直結する食料の生産を左右するものですが、ウィットフォーゲルは農業を営むためには膨大な労力を費やして大量の水を計画的に管理することが必要であることに注目します。

農業生産に水資源の管理が必要であることは誰もが知っていることですが、その管理に必要な知識や技術は多岐にわたっており、高度な専門性が求められます。水は地域的に著しく偏在しており、季節的な変動も大きいという特性があります。そのため、その地域で農業の生産を最大化するためには、広大な水路を設定し、それを適切に整備し続ける必要が生じてきます。しかし、水路を流れる水量を安定させ、かつ公平に配分することは簡単なことではなく、農民同士で利害の対立が生じやすい問題でもあります。さらに、物理的な性質として水は重力に従って上から下へと流れていくので、傾斜が乏しく、排水性が悪い平野だと、水は動きを止めてしまい、沼、池、湿地を作り出します。これは宅地や農地の開発を妨げ、病原菌が蔓延しやすい環境を出現させることに繋がります。

生活用水の管理という観点で見ても、上水と下水を厳格に分ける水路の設定を慎重に行う必要があり、水路の構成は人口が増加するほど複雑化していきます。住宅や農地を洪水から守る堤防の整備、河川の浚渫も重大な問題です。これらの問題を包括的に解決し、安定的な農業生産の基盤を確立するには、多数の労働力を動員し、広域的な計画に基づいて水路やダムの建設を推進できる行政機構が必要です。これが専制政治が発達する基盤になるとウィットフォーゲルは論じました。

「大量の水は大量の労働によってのみ水路に流され、また諸境界内に蓄えられることが可能となる。この大量の労働は調整され、規律され、指導されなければならない。かくして、乾燥した低地や平原を征服しようと熱望する多くの農民たちは、機械以前の技術的基礎のもとでは一つの成功のチャンスを提供する組織的な装置に頼ることをよぎなくされる。彼らは仲間たちと一緒に働き、指令する一つの権力に服従しなければならなくなるのである」

(邦訳『オリエンタル・デスポティズム』40頁)

この議論でも読み取れるように、ウィットフォーゲルは大河が流れるところに必ず専制政治が成立すると考えたわけではありません。つまり、自然地理と政治地理を直接的に結びつけるような議論をしていはいません。自然の制約の中で人々が生きていく手段として灌漑が選択されなければ、そこに専制政治が発達する余地はほとんどなかったはずです。あるいは、広域的な河川行政によらない小規模灌漑農業が長期的に成功を収めていたのであれば、まったく異なった政治状況が生じていたはずです。この点に関してウィットフォーゲルは断定的な環境決定論に陥ることを注意深く避けています。

しかし、中国の地理的環境の下でそのような可能性は現実のものとはなりませんでした。ウィットフォーゲルは、中国で古くから河川行政が行われるようになり、国家が経済の運営で重要な役割を果たすようになっていたこと、また紀元前905年に秦が中国を統一し、長距離運河の建設を推進したことによって、中央の権力がより遠隔地に及ぶようになったことを指摘し、長期にわたって専制政治が定着することになったと考察しています。その後、より多様な地域の視点からウィットフォーゲルの学説は批判的に検討されており、その根拠は決定的ではないという見方が一般的ですが、その議論の核心部分には依然として価値があると私は考えています。

ハーバー(Stephen Haber)は「降雨と民主主義(Rainfall and Democracy)」(2012)と題したワーキング・ペーパーで興味深い研究成果を報告しています。それによれば、ある地域の降雨量と政治体制の種類との間には非線形的な関係があり、政治的に安定している民主主義国は年間の降水量が540mmから1200mmの範囲に収まる地域に圧倒的に集中的に分布する傾向があるとされています。独裁的な政治体制が集中しやすいのは、この範囲から外れたグループの国家であり、極端に乾燥した地域か、あるいは熱帯雨林の地域であることが指摘されています。

参考文献

Haber, S. (2012). Rainfall and democracy: Climate, technology, and the evolution of economic and political institutions. Stanford University and NBER Working Paper, August, 24, 2012.

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