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論文紹介 なぜ19世紀に中国は衰退し、日本は台頭したのかをシミュレーションで説明する

19世紀の東アジアの歴史を調べると、それまで地域の覇権を握っていた中国の勢力が急激に低下し、それに代わって日本が軍事的、経済的に台頭したことが分かります。中国を統治していた清でも政治的近代化の試みは見られますが、それは日本で江戸幕府を打倒した明治政府の近代化の速さに及ぶものではなく、日清戦争(1894~1895)で清は日本に敗れました。

この歴史が政治学の研究者にとって興味深いのは、中国と日本のいずれの地域においても、国内の圧力、欧米列強の出現という国外の脅威によって近代化が促進されていたためです。政治学で近代化を説明する理論としては、国内政治上の圧力を想定するものがあるのですが、このような理論では19世紀の中国と日本の歴史を説明することができません。以下の研究はその一例です。

それだけではありません。中国と日本の近代化にこれほど大きな違いが生じた理由も既存の理論では十分に明らかにできません。これを説明するためには、地理的な要因を理論に組み込む必要があると考えられています。最近の研究で清と江戸幕府とでは、領土の大きさが異なっていたこと、また中央政府と地方政府の関係も影響していたことを示すシミュレーション分析が行われています。

M. Koyama et al. , Geopolitics and Asia’s little divergence: State building in China and Japan after 1850, Journal of Economic Behavior and Organization (2018), https://doi.org/10.1016/j.jebo.2018.08.021

領土の大きさが国家の政策を制約する

はじめに、国家の統治能力を領土の広さと関連付ける考え方から紹介します。国家と領土の関係は政治学で古くから議論されているテーマの一つですが、基本的に国家の領土が大きくなるほど、防衛のために国が支出すべき費用は増大します。反対に領土が小さくなるほど、国家として支出すべき費用も減少すると考えられています。

この費用は主として軍事費で占められています。軍事力があるからこそ、国家は外敵から国境を防衛することが可能になり、また国内で治安を維持することができるようになります。しかし、軍事力を維持するためには、兵士を採用し、装備を調達し、給与を支払い、軍事施設や後方支援を充実させる必要があり、それらすべての経費を国庫から支払わなければなりません。

中国と日本の歴史をまったく異なったものにしたのは、この領土の大きさの違いではないかと著者らは考えました。中国は19世紀以前から主に北部の国境地帯で軍事的な脅威を受け続けてきましたが、日本の領土は中国より狭く、海に囲まれていたこともあって、外敵から侵略を受けるリスクは限定されていました。アヘン戦争で清がイギリスから武力攻撃を受けた際には、中国の長大な沿岸地帯の防備を強化するために莫大な追加費用が必要になりましたが、これをどのように国庫から捻出するかが重大な政治的課題になったことも著者らは指摘しています。

対照的に展開した日中両国の地方政治の歴史

もう一つ注目すべきは、清の政治構造が中央集権的であったのに対して、江戸幕府の政治構造が地方分権的だったことです。歴史的には、清の政治構造が中央集権から地方分権へと向かいましたが、江戸幕府は地方分権から中央集権へと向かいました。

清で地方分権が進んだ主な理由は、国内で太平天国の乱と呼ばれる大規模な反乱が勃発し、これを平定するためには各地の地方勢力を利用する軍事的必要に迫られたためです。それに加えて、欧米列強の脅威に対抗するため、各地方が対外政策を実施することを許可し、中央の財源の一部を地方に移すことも行いました。興味深いのは、このような権力の移転が進む中であっても、中央政府で保守派が改革に抵抗し、宮廷を中心とした行政構造を20世紀の初頭まで見直そうとしなかったことです。これは中央政府が地方政府に対して改革を徹底させる能力を持っていなかったためではないかと考えられています。

江戸幕府の政治構造はそれとは対照的です。江戸幕府は全国規模の官僚組織や軍事組織を持っておらず、地方にはそれぞれ独自の財源を持つ藩が置かれていました。藩は独自の軍事組織を持っており、いち早く欧米列強の軍事技術を導入するところもありました。いち早く江戸幕府を打倒した薩摩藩、長州藩、佐賀藩、土佐藩の連合は、天皇の権威に依拠して明治政府を樹立し、封建的特権を廃止する廃藩置県などの近代化改革を推し進めました。そして、改革に不満を持った武家の反乱が起これば、これを武力で鎮圧することで改革路線を維持したのです。

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