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地方政治が現代日本の国政に与える影響を読み解く『分裂と統合の日本政治』(2017)の紹介

普段、地方政治に対して世間の関心が集まることは多くないかもしれませんが、政治学では以前から研究が進み、その重要性が認識されるようになっています。その背景には、日本で1990年代に進んだ地方分権改革の影響により、地方政治の独立性が強まったことが挙げられます。

砂原庸介氏の著作『分裂と統合の日本政治』(2017)では、特に地方政治が日本の政党制に大きな影響を及ぼした可能性を検討しています。衆議院選挙の制度が変更された後で自民党と民主党の対抗を基軸とする二党制が定着しなかった原因も、この地方政治の特性にあるのではないかと考えられています。

砂原庸介『分裂と統合の日本政治:統治機構改革と政党システムの変容』千倉書房、2017年

砂原庸介『分裂と統合の日本政治』表紙

この著作は比較政治学の理論を踏まえ、選挙制度と政党制に一定の関係があることを前提に議論を進めています。日本では1990年代の選挙制度改革によって、衆議院選挙では中選挙区制が廃止され、小選挙区比例代表並立制が導入されています。この新しい選挙制度では衆議院の議席の半分以上が小選挙区制で配分され、残りが比例代表制で配分されることになりました。デュヴェルジェの法則によれば、小選挙区制は二党制に、比例代表制では多党制に有利な議席配分が得られる傾向があるので、この制度の変更は二党制に有利な大政党間の競争を促すはずでした。

実際に1990年代から2000年代にかけて、民主党は自民党に挑戦できるほど党勢を拡大し、2009年の衆議院選挙で過半数の議席を手に入れ、政権を発足させることにも成功しました。選挙制度改革で自民党と民主党の二党制が成立したかと思われましたが、2012年の衆議院総選挙で自民党が民主党を破り、政権を奪回しています。これ以降、民主党は党勢を立て直すことができず、2016年に維新の党と合流して民進党となっていますが、2017年には立憲民主党が立ち上げられたことで分裂しました。2018年には民進党は党名を国民民主党に変更しています。

日本で二党制が制度的に定着しなかった理由を説明するためには、1990年代に選挙制度改革と同時に薦められた地方政治、特に地方分権改革の影響を考慮しなければならない、と著者は主張しています。日本の地方自治体は二元代表制として、政府と議会がそれぞれ独立しており、知事(あるいは市長)と地方議員の選挙が別々に行われています。地方議会の選挙では、政党ごとの競争ではなく、候補者ごとの競争が起こりやすい単記非移譲式投票が行われているので、政党のラベルを使っても必ずしも優位に立てるわけではなく、むしろ個人後援会を選挙対策の中心に据え、特定の利害で結びついた有権者集団をターゲットにした方が戦略として合理性があります。このため、地方議員はもともと国政レベルで活動する政党の方針から離れて行動する傾向を強く持っています。

地方分権改革の結果、この傾向はさらに強化されました。というのも、改革によって都道府県の知事は事業を予算化する際に、強い権限を行使できるようになったためです。地方議員の立場で見れば、国会議員の系列に入ることの重要性は低下し、知事との関係をいかに強化するかが重要になりました。地方政治家はそれぞれの地域に根差し、党としてではなく、個人として支持を拡大することがますます政治的に重要になっています。

著者は、民主党が地方選挙で見せる弱さに注目し、自民党の勢力が弱いとされる都市部でも勢力を拡大できなかったことを次のように説明しています。

「問題は、都市を中心に自民党に対抗する政治勢力が集約される可能性が高まったにも関わらず、二党制の制度化が進まなかったところにある。確かに民主党は、国政において都市部の候補者を集約させることができたが、都市の地方政治は依然として多党に分裂したままであり、民主党が都市の有権者を代表できたわけでもなかった。たとえば民主党が、これまでの地方選挙なの中で最も成功したとされる2007年の統一地方選挙でさえ、政令指定都市の議会で、民主党はよくて自民党と同程度であった。それどころか都市によってはほとんど議席をとれていないところもある」

砂原庸介『分裂と統合の日本政治』23頁

自民党が地方政治で民主党の挑戦を退け、確固とした基盤を保持してきた理由として、著者は自民党の地方組織である都道府県支部連合会(以下、県連)の働きが大きかったと考えています。自民党の県連は各地域の政治状況に関する情報を収集し、選挙戦略を立案する上で重要な単位です。小選挙区制が導入されて以降、党本部に選挙での公認を申請する際に、候補者を選抜するようにもなりました。県連の幹部が認めた地方政治家出身あるいは世襲の候補者であれば、国政選挙で勝てる見込みも大きくなるので、獲得議席の最大化を図る自民党にとって望ましいことですが、県連の権限が強まると、党本部の意向に反する人事となる恐れもあるので、2004年以降に自民党では党本部と県連が組織する合同の委員会で審査を行うようになっています。

それでも、地方における県連の影響力が完全に削がれたわけではなく、1996年から2009年にかけて自民党から出馬した候補者に占める地方政治家出身者および世襲の候補者の割合を分析すると、おおむね30%以上の水準で推移していることが分かります(同上、67頁)。自民党の地方組織が地方選挙で実績を積み上げてきているため、党中央としてもその戦略判断を尊重してきたことが読み取れます。

民主党でも自民党と同じような県連が組織されていますが、その自律性は自民党よりはるかに弱いと著者は見ています。民主党は歴史的に社会党の支持基盤を引き継いでおり、労働組合の影響力が極めて大きく、党のイデオロギー的な立ち位置も強く制限されてきました。北海道や愛知県のような選挙区では、労働組合の枠を超えた支持の広がりを見出すことが困難なほどです。民主党では地方議員が県連を指導する地位につけない方針をとっていたことも自民党と大きな違いです。民主党の県連で地方議員が多数を占めるのは北海道、福島県、神奈川県、静岡県、滋賀県、京都府、長崎県にとどまっており、それ以外は同数か、あるいは少数派でした(同上、82頁)。

地域に根差した政治活動を展開すべき県連であるにもかかわらず、その運営の中心が国会議員であるため、地域から住民の要望を吸い上げ、支持基盤を形成し、選挙動員を図る能力には多くの課題がありました。2009年に政権を獲得した後で、民主党は小沢一郎幹事長を中心に自民党をモデルとした地方組織の改革を行っていますが、これは十分な成果を上げなかったと著者は述べています。このような限界があったために、与党になった後で行われた2011年の統一地方選挙で当選率は66%にとどまりました(同上、87頁)。国政で与党になったとしても、地方で十分な地盤がなかったために、民主党は自民党の巻き返しに対抗できなかったと考えられます。

結論としては、地方分権改革が進んで以降、個別的、地域的な利害を代表する地方議員を国政のレベルでまとめ上げることはますます難しくなったため、結果として地方組織に高い競争力を備えた自民党に有利な環境になり、二党制の形成を阻んでいるとされています。このような認識から、著者は今後の日本の政党制のあり方として、自民党以外に地域の利害を代表する政党が成立可能な競争環境を制度的に整備しておき、特定政党が政権を独占し続ける事態を防止する上で必要となると著者は述べています(同上、178頁)。本書は次のような言葉で締めくくられています。

「日本のみならず多くの国々で、政党政治の機能不全が懸念されている。確かに、20世紀に隆盛を極めた大衆組織政党のような政党のモデルを再構築することは困難であり、また、政党が政府の資源を独占的に用いるカルテル政党のような政党のあり方に批判は強い。しかしだからといって民主制における政党の役割が消失するわけではない。異なる存在である個人個人がお互いに妥協する可能性を少しずつ持ち寄って、合意の幅を広げていくときに政党という組織の存在は不可欠である。そして、そのような政党が公平な競争を行うことができるように不断の見直しを行っていくことが民主制への信頼を担保する重要な条件となるはずだ。本書が、そのような見直しのための一助になることを願っている」

(同上、178頁)

選挙制度は政治の議論の中でも専門技術的なものであり、枝葉末節だと思われがちですが、政党間の競争戦略と政党制のあり方を決める要因であり、選挙の際に有権者が満足できる選択肢を用意できるかどうかを規定しています。2012年に民主党が敗北したことに関しては、政党制や政党組織の観点だけで片が付く問題ではないと私は考えていますが、地方政治と国政の関連に対する著者の分析は示唆は地方政治の重要性を再認識させるものであり、シャイナーが自民党政治を説明するモデルとして提起した恩顧主義の理論を展開する上でも興味深い研究成果です。

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