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自民党が選挙で勝つための戦略を再検討した『自民党長期政権の政治経済学』(2010)の紹介

自民党が日本で長期にわたり政権を維持してきた理由として恩顧主義(clientlism)の理論が使われることがあります。恩顧主義とは、与党が特定の有権者に対して利益誘導を行い、その見返りとして投票を求める選挙戦略であり、例えば高速道路の建設といった行政投資を使った利益誘導は典型的な手法です。シャイナーの『競争なき日本の民主主義』は、こうした日本における恩顧主義の方法を分析した比較政治学の代表的な成果の一つでしょう。

このシャイナーの学説に批判を加えたのが斎藤淳氏の『自民党長期政権の政治経済学』(2010)です。この著作では、自民党政権の長期化を恩顧主義だけで説明する試みは限界があることが指摘されています。自民党の長期政権が固定化され、他の野党に地位を脅かされることがなくなると、自民党の政治家は有権者から選ばれる立場ではなくなるためです。むしろ政治家の方が有権者を選別できる立場に立つと考えられます。これを著者は「逆説明責任体制」と呼んでいます。

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第1章 自民党長期政権の謎:政治不信にもかかわらず政権が続いたのはなぜか
第2章 自民党型集票組織と投票行動
第3章 人口動態と選挙戦略:長期的趨勢への政治的対応
第4章 支持率の変動と選挙循環
第5章 集票のための補助金
第6章 利益誘導と自民党弱体化:我田引鉄の神話
第7章 利益誘導と政界再編
第8章 選挙制度改革と政策変化:政権交代への道のり
第9章 同時代史としての自民党長期政権:逆説明責任体制の帰結

民主主義の下では、政治家が当選を目指して得票を競い合い、少しでも優位に立とうと最大限の得票を目指していると想定されています。これはライバルの候補に敗れて落選する恐れがあるためであり、この恐れがあるために政治家は有権者に説明責任を果たそうとします。ただ、民主主義体制であっても、野党が著しく弱体化しており、与党の政治家が落選を心配しなくなれば、得票を最大化することは優先事項ではなくなるとも考えられます。

自分の選挙区で安定的に当選できる地盤を確立し、有権者は政治家を選択できる立場ではなくなってきます。逆に政治家は有権者を選挙で動員し、貢献の度合いを評価した上で、貢献度の高い有権者集団に標的を絞った利益誘導を行うことが可能です。このような選別的な利益誘導を行うためには、有権者の投票態度に関する情報を集める必要がありますが、人口が小規模な地域であれば、業界団体を通じて有権者の情報を集めることが容易です。

農村自治体の場合だと、農業協同組合全国農業会議所に連なる農業委員会土地改良区農業共済組合が重要な集票組織とされています。地方に比べて人口が大きな都市の選挙区になると、有権者の情報を集めることはやや難しくなりますが、商工会議所法人会などの業界団体、若手の経営者などで構成される青年会議所があり、これらを通じて政治活動を行うことが可能です。新興の住宅街は有権者の監視が最も難しい地域ですが、ここでは自治会と新宗教が重要な集票組織であり、連立を組む公明党の基盤である創価学会は自民党と選挙協力を行ってきました(第2章)。

自民党が長期政権を実現する上で、有権者の忠誠度、貢献度に応じた便益の配分を徹底することは非常に重要な課題でした。著者は、このような観点から自民党の政治家にとって地域経済の発展に寄与する交通インフラの整備が政治的に不利であったと主張しています。この分析が詳しく述べられているのは第6章「利益誘導と自民党弱体化:我田引鉄の神話」であり、著者は新潟県と島根県を事例として、インフラの整備状況が進んでいるほど、自民党の集票能力が低下する傾向にあることを実証しています。この章は本書で最も興味深い部分だといえるでしょう。

新潟県には公共事業を通じて利益誘導を実践した田中角栄の地盤があり、1978年、1980年には県民1人当たりの行政投資額が全国で1位となり、特に新幹線路線の整備が早期から進んでいました(130頁)。この利益誘導は自民党の選挙地盤の強化に繋がったように考えられてきましたが、著者は長期的観点で見れば、新潟県での自民党の得票率は低下していると指摘しています。2005年の第44回衆議院議員総選挙で自民党に追い風が吹いたにもかかわらず、新潟県に6つある小選挙区で自民党の議員が当選しているのは2つだけでした(131頁)。

衆議院選挙で一度も落選しなかった政治家として名高い竹下登は島根県に選挙地盤を確立していました。島根県でも県民1人当たりの行政投資は全国平均より高い水準にあったことが分かっています(133頁)。しかし、島根県で特に注力された事業分野は、鉄道路線の充実を目指した新潟県の事例とは異なり、中海干拓淡水化事業でした。この事業は高速道路や新幹線のような交通路の整備に比べれば、地域経済の成長に及ぼす影響が限定的でしたが、今に至るまで自民党は衆議院選挙で島根県の議席を奪われたことがなく、まれに野党の候補が比例で復活当選を果たしているにすぎません(132頁)。

交通インフラへの行政投資は、予算年度ごとに補助金を分配する場合とは異なり、選挙に協力した有権者集団にだけ見返りを分配する利益誘導ができません。言い換えれば、交通路は完成すれば誰でも恩恵を被る公共性の高いインフラであるため、政治家は自分に投票しなくなった有権者が出現したとき、彼らを罰することができないのです。したがって、たとえ高い経済効果が見込めるとしても、政治家は交通インフラの整備を一貫して回避する方が選挙戦略として合理的だと著者は論じています。また、著者はインフラが未整備の地域から選出された議員が自民党を離党する傾向が低いことも指摘しています(第7章)。

この分析から明らかになるのは、地域の有権者が自民党に忠実であったとしても、それが必ずしも報われるとは限らないということです。これは恩顧主義で想定する関係とは異なります。もちろん、このような関係が絶対的であるというわけではありません。著者は1993年に短期間ではあったものの、自民党が政権を失ったのは、インフラの整備が行き届いた選挙区に地盤を持つ政治家が自民党から離反したためであると説明しており(第8章)、その後の選挙制度改革の影響で自民党の選挙戦略の効果は減退したとも指摘しています。

本書の最後で著者が下している結論は意外なものです。自民党の政治家は地元で忠実な投票を続ける有権者を維持するため、地域経済の成長を阻止するように促されています。これはインフラ整備のための行政投資が必要な地域であるほど顕著な傾向であり、和歌山県、奈良県、高知県、秋田県などは自民党の強力な地盤であるにもかかわらず、インフラの整備状況が遅れたままです。その反面、自民党は分配のための資源を確保するため、より税収の増加が見込める都市部においてインフラの開発を推進するようになっているとされています。著者は本書の最後を次のように締めくくっています。

「シュンペーター以来、政権を獲得するために、あるいは政権に留まるために、政治エリートが競争を繰り広げるからこそ、市民は異議申し立ての機会を得、健全な民主主義が機能するとされてきた。権力の座にある者が、自らが代表する市民に対して政策的便益を供給する競争が起こるからこそ、民主主義体制では市民に対する支配が極小化され、共通善の追求が可能になる。自民党政権は、逆説明責任体制として機能していたがゆえに、与党への投票と公共政策による裨益の関係に断絶が発生した。しかも政党から有権者への説明責任の回路が機能しなかったために、熟議の過程として民主主義を捉えた場合にも、民主的説明責任の回路が空洞化していたのである」(同上、218頁)

本書の議論を裏付けているのは、ゲーム理論に基づく数理的な分析と、統計データの解析であり、その分析の内容もかなり専門的であるため、必ずしも読みやすいとはいえません。しかし、本書は現代の政治経済学の理論に基づく自民党政治の独創的な分析であることは確かで、その主張に完全には同意できないとしても、詳細に検討されるべき一冊だと思います。

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