見出し画像

政軍関係が国家の戦略評価を左右することを説明したShaping Strategy(2008)の紹介

国家は機械的に環境の変化に反応し、政策を選択しているわけではありません。国家の方針を決める権限を持った人々が、どのように問題を認識しているのか、どのように意思決定しているのか、あるいはどのように政策を実行に移しているかによって、国家の行動はさまざまに変化していきます。このような違いを説明する上で重要なのが政軍関係(civil-military relations)であり、これは国家と軍隊との関係を意味する用語です。

Brooks, R. (2008). Shaping Strategy: The Civil-Military Politics of Strategic Assessment. Princeton University Press.

ブルックス氏の『戦略を形成する(Shaping Strategy)』(2008)は、政軍関係のパターンによって、その国家が安全保障環境の特質を適切に認識できる度合いが大きく変化することを明らかにした研究成果です。この研究で注目しているのは、戦略評価(strategic assessment)の質であり、これは国家の指導者が行動方針を選択する上で前提とする状況認識を形成するものです。もし戦略評価の質が優れていれば、指導者は最適な選択ができるかもしれませんが、戦略評価の質が劣っていれば、指導者は貧弱な認識の下で行動せざるを得ないため、深刻な戦略的失敗を犯すリスクが高まります。

したがって、戦略評価を改善することは、国家の存続にかかわる重大な問題ですが、著者はこれに重要な影響を及ぼす要因として政軍関係があると考えています。また、政軍関係の状況を捉えるときには、(1)政府の首脳部と軍部の首脳部が問題の捉え方、安全保障上の脅威に対する認識などに関して、どの程度の見解の一致があるのか、(2)国内における政治家と軍人との間の権力関係がどのようにバランスしているのか、以上の2点に注目することが有効であるとも主張しています。つまり、これら2種類の要因が国内で戦略評価の質を左右すると考えられています。

例えば、戦略評価の第一歩として重要なのは情報共有ですが、政府と軍部の見解が対立している場合、不都合だと思われた情報が軍部から政府に伝達されなくなるといった問題が起こり得ます。戦略評価ではあらゆる選択肢の利害と危険性を比較検討する戦略調整も行われるのですが、この過程で軍部が政府に強い権力を行使できるような場合、軍部は極めて狭い範囲でしか選択肢を検討しないかもしれません。戦略評価では、能力の優劣を見極めることも大きな課題ですが、ここでも同じような問題が起こるでしょう。最後の承認の手続きに関しては、戦略評価の最後の段階に当たるものです。

この研究で明らかにされていることは、政軍関係として政府と軍部が問題意識や状況認識を共有しており、かつ政府が軍隊に対して政治統制をしっかりと維持しているならば、戦略評価は成功する見込みが高まるということです。これ自体は驚くべきことではないかもしれませんが、ブルックス氏は事例分析を展開し、その妥当性を裏付けることにも取り組んでいます。それを読めば、政軍関係の悪化が戦略評価の質をどれほど損なうものであるかをより深く知ることができると思います。

この著作の見どころは、現代エジプトの軍事史であり、1960年代のエジプトの政軍関係が戦略評価の質を損なっていたことが記述されています。1967年5月、エジプトのガマール・アブドゥル=ナセル大統領は、隣国のイスラエルに対して軍事的圧力を加えるため、シリアやヨルダンと手を結び、シナイ半島から国連の平和維持部隊を撤退させてエジプト軍の部隊を進駐させました。エジプトの動向にイスラエルは素早く反応し、動員令を発し、6月5日にはエジプトなどに対する先制攻撃を加えています。これによりエジプトは壊滅的な損失を被り、わずか6日で戦争は終わりました(第三次中東戦争)。エジプトが決定的な敗北を喫した理由を探る際に、著者はエジプト革命(1952)以降にエジプトで出現した政軍関係パターンに注目します。1952年のエジプト革命でナセルがムハンマド・アリー朝を打倒し、共和国大統領に就任したとき、アブドルハキーム・アーメルという陸軍軍人が参謀総長に任ぜられています。

アーメルはナセルの側近の一人でしたが、野心的な政治家でもあり、陸軍の予算を不正に操作して部下に裕福な暮らしを与え、それによって独自の党派を構築していました。ナセル大統領は陸軍の動きを察知し、これに依存しない独自の支持基盤を確保しておく政治的必要があると考えるようになりました。エジプトで結成されたアラブ社会主義者連合(Arab Socialist Union)はすべての労働者を組織化した単一の政党であり、ナセルはこの勢力をもってアーメルの政治的台頭を防ごうとしていました。このような政軍関係であったために、政府と軍部との間では適切な状況認識の共有ができておらず、また権力関係においても政府の軍部に対する統制が徹底されていない状態でした。

1967年当時、アーメルはナセル政権で国防大臣を務めていましたが、政治的に敵対するナセルに必要な情報を提供することを避けていました。当時、エジプトの情報機関は国防大臣の下に統制されていたので、ナセルはイスラエル軍に関する情報にほとんど接することができない立場に置かれました。それどころか、エジプト軍がどのような状態にあるのかさえもナセルには十分に分からない状態でした。ここで著者が注目しているのは、エジプト国内の政争が激しいために、首脳部が敵の能力を評価することが困難な状況が生じていたということです。政軍関係が戦略評価の質を劣化させる経路は他にもありますが、イスラエルの実力を見くびったことは、エジプトが無謀な軍事的挑発に乗り出した重要な要因として位置づけることができるでしょう。

事例分析に関しては既存の研究を参照した二次的分析ですが、明確な理論的基礎の上に焦点をはっきりさせた記述を行うことによって、新しい研究上の価値を生み出しています。エジプトは後に第四次中東戦争(1973)を引き起こしますが、著作ではそちらの事例分析も行われています。個人的には2003年のイラク戦争の事例が興味深く、イラク戦争の原因を考える上でアメリカの政軍関係の変化を考慮に入れることの重要性を再確認することができました。

関連記事


調査研究をサポートして頂ける場合は、ご希望の研究領域をご指定ください。その分野の図書費として使わせて頂きます。