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クラウゼヴィッツの戦略理論を再評価したサマーズのOn Strategy(1982)

軍事学の歴史において1980年代は原点回帰の時期であったといえます。19世紀のプロイセン軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツの著作『戦争論』の重要性が、この時期に改めて見直され、その理論的な価値が改めて認識されるようになったためです。

1980年代より前からイギリスのマイケル・ハワード、フランスのレイモン・アロン、アメリカのバーナード・ブローディのように、クラウゼヴィッツの理論を評価する研究者はいました。しかし、この時期の研究動向が特異なのは、アメリカがベトナム戦争で失敗した原因を議論する中で、クラウゼヴィッツの戦略理論の応用可能性が注目されるようになったことです。

アメリカの陸軍軍人だったハリー・サマーズ(Harry G. Summers)が発表した『戦略論:ベトナム戦争の批判的分析(On Strategy: A Critical Analysis of the Vietnam War)』(1982)は代表的な著作でした。サマーズは、この著作を通じてクラウゼヴィッツの戦略理論が、具体的な事例に適用された際に、どのような意味を持っているのかを提示しました。

クラウゼヴィッツの戦略理論にはさまざまな側面がありますが、最も重要な側面は、政治的目的を達成する上で軍事的手段の運用を適切にすることこそが戦略の基本とされていることです。つまり、軍事的手段それ自体の運用が効率的であるかは戦略において二次的な問題でしかありません。特定の戦闘で敵軍に対し決定的な勝利を収めたとしても、それが必ずしも政治的目的の達成に寄与するとは限らないためです。ほんのわずかな勝利であったとしても、それで敵の戦意を挫くことができれば、それによって和平を求めることも理論的には十分にあり得るでしょう。

サマーズは、この点でアメリカの戦略には根本的な欠陥があったと評価しています。さまざまな要因が取り上げられていますが、特に深刻だったのは、アメリカ政府がベトナムにおける戦争で何を達成しようとしているのか、その政治的目的を明確にせず、曖昧で婉曲に満ちた説明を繰り返し、国民の支持を得ることができなかったことです。サマーズは、1963年にアメリカの大統領に就任したリンドン・ジョンソンが連邦議会から与えられた権限を拡大解釈し、ベトナム戦争に対する軍事的介入を大幅に拡大したことは、国民の理解を得られず、その軍事行動の正統性をめぐって多くの論争が起きたことを指摘しています。このため、戦争で発生する犠牲が累積するにつれて、アメリカの国民はその犠牲の大きさに耐えられなくなっていったと説明しています。

さらに注目すべきは、アメリカが当初からベトナム戦争への軍事的介入は戦争を核戦争にエスカレートさせないようにするためにアメリカ軍の作戦地域を厳格に制限したことです。当時のベトナムは北ベトナムと南ベトナムに分かれており、アメリカは南ベトナムを支持していました。南ベトナムの問題は、その国内で北ベトナムが支援する反乱軍が組織され、軍事活動を行っていたことでした。このように入り組んだ政治状況でアメリカが行ったことは、北ベトナムに対して空爆のみ実施し、地上部隊を南ベトナムの国内に展開して、反乱軍を抑え込む対反乱作戦でした。しかし、この対反乱作戦の主眼はゲリラを鎮圧することではなく、民生支援や治安維持を中心とした国家建設でした。このため、北ベトナムは安全な策源地から南ベトナムの反乱軍を支援し続けることができました。クラウゼヴィッツは軍隊の運用において、敵の勢力の根源にあたる「重心」に勢力を集中し、打撃することの重要性を説いていましたが、アメリカ軍はこの原則から外れていたとサマーズは批判しています。

もちろん、現地で任務を遂行する軍人の中では、現状に疑問を感じる者がいなかったわけではありませんでした。しかし、サマーズはアメリカでは軍人は政治に従属すべきという原則が受け入れられていたこと、またクラウゼヴィッツの議論もこの原則を支持していたことを論じています。ただし、クラウゼヴィッツはこの従属関係は、政治の側が使用すべき手段について熟知していることが前提であると述べていたことを指摘した上で、アメリカの政治家は軍隊の能力と限界を誤解し、統制される軍人も政治に黙って服従するだけだったことを問題視しています。

軍事的な実現可能性を誤解させる一因としてサマーズは、一部の専門家が提唱したシステム分析という手法に注目しています。これは国防長官だったロバート・マクナマラによって正式に導入された手法であり、ある問題を解決するために利用できる選択肢の費用と便益を一定の判断基準で比較検討し、最も合理的な選択肢を特定していく体系化された調査方法です。サマーズは、クラウゼヴィッツが戦争を戦争準備と戦争遂行に分けたことを指摘した上で、システム分析は戦争準備にしか適用できない方法であったにもかかわらず、戦争遂行にも適用されたことを問題として提起しています。国防総省で専門家が現地の作戦行動に細かな統制を加えてきたことの弊害は大きく、前線の士気に悪影響を及ぼしたとされています。

サマーズの議論の内容に関しては、今ではいくつかの批判も加えられています。特にクラウゼヴィッツの議論をやや単純化してしまっている箇所があり、デフォルメされた戦略理論を普及させた一面があります。それでも、この理論はベトナム戦争で浮き彫りになった戦略の欠陥を整理し、戦略理論を発展させる上でクラウゼヴィッツの理論が持つ意義を多くの人々に気づかせるものであったことは確かだと思います。

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