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【シリーズ】基礎から学ぶ軍事学入門(1):軍事学とは何か

はじめに

 これまでに戦争は無数の人命を奪い、文化と財産を破壊し、国家の存亡を決してきました。戦争の破壊と殺戮は、個人の視点から見れば地獄のようであり、社会全体から見れば甚大な経済的な損失です。それにもかかわらず、現在に至るまで戦争の問題は抜本的な解決に至っていません。私たちは先人たちと同じように戦争が起こり得る世界の住民であり、平和は決して当たり前のものではありません。
 ひとたび戦争が始まれば、個人の努力でその脅威に立ち向かうことは不可能です。人々はこの脅威に備えるために、国家という権力機構の下で、武装集団を組織し、それを運用する技術を研究してきました。権力機構の下に置かれた武装集団とは軍隊であり、その使命、制度、運用に関する研究を行う社会科学の一部門が軍事学(military science)です。
 明治時代の日本では兵学という名称を使っていたこともありますが、現在の防衛省・自衛隊では防衛学と呼んでいます。しかし、このシリーズでは軍事学という表記で統一することにします。以下では、学問全体における軍事学の位置付け、分野の区分を述べた上で、19世紀末までの軍事学の歴史を概観します。

1 学問における軍事学の位置づけ

 軍事学は軍隊を研究対象とする意味で独特な学問ですが、その本質は政治学、経済学、社会学などの社会科学と変わりありません。学問の分類に関しては時代や地域によって違いがありますが、世界各国で使われている図書館分類法の一つであるデューイ十進分類法、あるいは国際十進分類法でも軍事学が社会科学の一部と位置付けられています。これは国内で使われている日本十進分類法でも同じです。
 ただ、軍事学を社会科学の中で政治学・行政学の下位領域と位置付けるかどうかに関しては議論の余地があり、政治学、経済学、社会学と並ぶ専門領域として軍事学を位置付ける立場もあります。ただ、後述するように、現代の軍事学の研究領域には軍事社会学や防衛経済学のような学際的なものが少なくないので、あまり厳密に分類を考察することの意味は薄れています。

軍事学の分野については標準的な分類法がありません。そこで、ここでは代表的な研究領域を列挙し、それぞれの特徴を簡単に述べておきます。

1 戦略学(strategic studies):戦時あるいは平時において安全保障上の目的を達成するため、軍事的手段と非軍事的手段を準備、運用する方策を研究する領域。軍事学の中心的な研究領域であり、政治学、特に安全保障や軍備管理の研究などと密接な関連がある。
2 戦術学(tactics):戦場で任務を達成するため、部隊の任務、編成、運用を指定する方策を研究する領域。戦略学と並ぶ軍事学の中核的な研究領域を構成しており、陸海空軍それぞれに異なった研究分野がある。
3 軍事史学(military history):軍隊と戦争の歴史を研究する領域。政治史・外交史、経済史、社会史との関連を重視する方面もあれば、軍隊における管理行政、作戦運用、武器装備の歴史に注目する方面もある。
4 軍事地理学(military geography):気候、地形、水系などに関する自然地理や、民族、産業、交通などに関する人文地理の知見が持つ軍事的側面を研究する領域で応用地理学の一部門。地政学をこの中に含める場合もある。
5 軍事社会学(military sociology):国家と軍隊の関係、あるいは社会組織としての軍隊を社会学的なアプローチで分析する領域。兵士個人の動機づけから、部隊の士気、規律、団結、軍隊全体の組織行動を扱う。
6 軍事心理学(military psychology):軍隊が任務を遂行する上で関係する心理を研究する領域であり、応用心理学の一部門。管理行政から作戦運用に至るまで幅広い問題に取り組んでいる。
7 防衛経済学(defense economics):国家の防衛に関する資源配分や意思決定の問題を経済学的に分析する領域。戦略計画の費用分析から発達したが、現在では同盟理論、軍拡競争、防衛調達、産業動員なども分析する。
8 軍事法学(military law):軍隊とその構成員に適用される法を研究する領域であり、武力紛争法や国際人道法を中心とする条約だけでなく、国内法の分析も実施する。
9 軍事オペレーションズ・リサーチ(military operations research):数理モデルに基づいて交戦方法の最適化を図る領域。ランチェスターの法則もこの分野に属する成果であり、交戦過程の解析や最適化に利用される。

2 軍事学の歴史を概観する

 軍事学の歴史は18世紀末から19世紀の初めに勃発したフランス革命戦争(1792~1799)・ナポレオン戦争(1804~1815)を契機に大きく変化しました。これはフランス革命戦争以降に、ヨーロッパの列強が軍隊の中核を占める将校団の地位を能力ある平民に開放したことによるものです。
 この措置によって軍人は貴族に認められた特権的な身分ではなく、その専門的な技能や学識に基づく職業として再定義されました。職業軍人のための専門的な教育制度が整備されると、教官が中心となって軍事学の研究が盛んになり、その成果を発表するための専門誌も登場しました。次第に文民の研究者も軍事学の領域に参入するようになり、20世紀初頭以降に大きな発展を遂げることになりました。
 しかし、19世紀まで軍事学の歴史が存在しなかったわけではありません。以下では前近代から19世紀の中頃までの軍事学の歴史を概観し、近代的な軍事学が成立するまでの経緯を辿りたいと思います。

(1)前近代の古典『孫子』
 軍事学は古くから研究が行われてきましたが、前近代の研究文献の多くは教育的、記録的な目的のために執筆されたものでした。つまり、それぞれの時代や地域で実際に使われていた軍隊の制度や運用を解説した教範か、戦史を記述した史書の形式をとったものがほとんどです。それらは軍事史の貴重な史料ですが、普遍性には乏しく、軍事理論として価値が乏しいものが少なくありません。
 しかし、紀元前5世紀頃に書かれたと推定される『孫子』は、現代でも価値を失っていない優れた古典として紹介することができます。この著作の注目すべき特徴は、当時の軍事技術を前提とした軍制や戦法を述べているだけではなく、あらゆる時代に通じるような戦いの原則を探求していることにあります。
 例えば、『孫子』では可能な限り武力に訴えることなく、目的を達成する方策を模索することが有利であるとされています。その理由としては、戦争を遂行するために国家は莫大な費用を支出しなければならず、戦争が長期化すれば経済に悪影響が及ぶ上に、第三国の軍事的介入を招きかねないためだと説明されています。また、実際に兵を動かすことなく、敵を屈服させ、目的を達成することこそが軍事的には理想であり、たとえ敵を打ち負かすことができたとしても、それは兵法として最善とはいえないとも論じられています。紛争を解決する手段として戦争に訴えることの非合理性は、現代の軍事学でも議論されており、戦争を思いとどまらせる抑止や威嚇によって相手を屈服させる強要の重要性が認識されていますが、『孫子』はそのような議論を先取りしていたといえます。
 また、自国が能力において敵国を圧倒できるほど優勢でなければ戦いを挑むべきではないという議論も『孫子』で見出すことができます。この著作では五事七計と呼ばれる評価基準が示されており、それぞれの評価項目ごとに敵と味方の優劣を見積ること、予想される結果を見積ることの重要性が説明されています。五事とは、戦争の大義を示す道、戦争の時機を示す天、戦域の地理を示す地、指揮官の能力を示す将、そして軍隊の制度を示す法のことをいいます。七計は(1)我が国と敵国のどちらの君主が民衆の心を掴むことに優れているのか、(2)どちらの指揮官が用兵において優れているのか、(3)どちらの軍が地の利で優れているのか、(4)どちらの軍が規律において優れているのか、(5)どちらの軍が精強さで優れているのか、(6)どちらの兵が訓練において優れているのか、(7)どちらの軍が信賞必罰の仕組みが厳格に守られているのか、を指しています。
 このような明瞭な評価基準は戦争が優勝劣敗の原理、つまり優勢な勢力が勝利を収め、劣勢な勢力が敗北を喫するという基本的な戦争の原理を想定していたことが伺われます。勝負が時の運のような曖昧なもので決まるという発想を退け、能力の優劣で決まるという合理的な戦争観は現代の軍事学に通じるものです。

(2)ヨーロッパにおける軍事学の展開
 しかし、前近代の軍事学の文献は『孫子』ほど高い評価を維持したものばかりではありません。一時期は多くの知識人に読まれたものの、今ではあまり読まれなくなった文献もあります。例えば、西洋で大きな影響力があった軍事学の古典として、4世紀後半に成立したと推定されるウェゲティウスの『軍事論』がありますが、現在ではさほど参照されなくなっています。これはローマの軍隊を訓練、編成、戦術などの側面から考察している文献であり、その記述は中世ヨーロッパの軍事思想史で繰り返し参照されました。16世紀にフィレンツェにおいて軍隊の行政管理の実務にも携わったニッコロ・マキァヴェッリも、ウェゲティウスの著作を詳細に研究した一人であり、その成果を『戦争術』(1521)の中にまとめています。マキァヴェッリの軍事思想は、基本的にウェゲティウスの研究を継承したものですが、戦闘で敵を捕捉撃滅することを徹底して追及すべきであるという発想は、彼独自のものといえます。これは後の殲滅戦略の先駆けであり、軍事的な優勢によって敵国を屈服させる発想で軍隊を運用することが構想されています。前近代における戦争術の常識的な考え方では、戦闘で勝敗が決まったならば、戦場外に敵を追撃することは望ましいことではありませんでしたが、マキァヴェッリはあくまで戦闘を続行し、敵を撃滅するという目標に沿って軍隊を運用する方法を考察していました。
 近世の軍事学史をどのような視点で整理すべきかについては、今でも研究者の間で議論が続いているところですが、17世紀が科学革命の時代であったことを踏まえ、軍事学の「科学化」をめぐる議論を辿ってみたいと思います。17世紀は自然科学が目覚ましい発展を遂げた時代ですが、軍事学の研究者も客観的に把握が可能な法則を解明し、それに基づいて合理的に軍隊を運用できるという考え方が現れてきました。例えば、オーストリアの軍人ライモンド・モンテクッコリは軍事学の科学化を支持した研究者の一人であり、あらゆる戦いに通じる原則を、より厳密に、より客観的にまとめようと試みています。モンテクッコリの説によれば、戦争で最も重要な原則は敵の後方を遮断して孤立させ、糧食の補給を途絶させることで敵部隊を弱体化させることにありました。敵の後方を遮断することの重要性に関しては現代においても妥当であり、それ自体は間違った見解ではありません。ただ、これを全戦争に共通の原則のように見なすことは、やや行き過ぎた単純化であったと言わざるを得ません。
 すべての研究者がこのような戦争の「科学化」を支持したわけではありませんでした。対照的な立場として位置づけることができるのは、あらゆる戦争に一般的に適用可能な原則を見出すことは不可能であるという立場です。18世紀にフランスで活躍した軍人のモーリス・ド・サックスは、戦争において科学的アプローチを適用することは不適当であり、あらゆる戦争の事象は心理的、精神的な要因からしか説明できないと主張しました。サックスが反発したのは、軍事学を研究する一部の研究者が固執する形式的な原則論であり、客観的に把握することが難しい兵士の士気、指揮官の精神状態といった要因が戦争の推移に与える影響こそが重要だと考えていました。したがって、戦争は直感や才能に基づく技術で遂行されるものであり、戦争の結果を理論的に説明することはあまり意味がないと考えられていました。
 プロイセン国王フリードリヒ二世は、ちょうど両者の意見の中間を採用しており、軍事学を軍隊の教育に取り入れる改革を進めました。フリードリヒは、自ら軍事学の教育に携わり、さまざまな教範を書き残しています。彼の著作の一つが『プロイセン王より将軍への軍事教令』(1747)であり、そこでは我が軍の後方を掩護しつつ、敵の軍の側面や後方を脅かすという原則が取り入れられていますが、戦争術の重要な課題は兵士の戦意を保つことであり、戦闘力を維持するための兵站と人事が重視されています。フリードリヒは、忠誠心が弱くなった兵士は糧食の配給などが滞れば、たちまち部隊から脱走するので、それによって部隊の戦闘力は低下すると論じています。また、フリードリヒは戦闘を挑むことに極めて慎重であり、戦争においても軍隊の消耗を抑えることを常に考慮すべきだと考えていました。

(3)ナポレオン戦争の衝撃
 フランスの皇帝ナポレオン一世の戦争術は多くの面でフリードリヒの軍事学の影響を受けていましたが、敵をあくまでも撃滅することを追求する徹底した決戦主義という部分で違いがありました。ナポレオンはモンテクッコリやフリードリヒ二世と同じように敵の後方を遮断することの意義を論じていますが、戦闘間、あるいは戦闘後において敵の部隊を追撃し、二度と再編成できなくなるまで撃滅すべきであるという原則を確立しました。
 戦略の面で見ると、ナポレオンは敵軍を殲滅してから、無防備になった敵国の首都を軍隊で占領し、降伏を強制していました。このような戦略は過去に例がなかったわけではありませんが、ナポレオンほど妥協を許さずにこの原則を遵守した軍人はほとんどいませんでした。このような戦争を続けていれば、敵だけでなく、我にも多くの犠牲を出ますが、ナポレオンはフランス革命以降の新体制で採用された徴兵制を通じ、自国だけでなく外国でも兵士を動員しました。やがてナポレオンと敵対する国々も続々と徴兵制を採用して対抗したので、これ以降のヨーロッパの戦争の様相はそれまでとはまったく異なったものになりました。
 歴史的に興味深いのは、軍事学においてナポレオンの戦争術が一つのモデルとして見なされるようになったことです。彼自身はまとまった著作を残していません。研究者はナポレオンの戦史や、あるいはナポレオンが残した軍事関連の文章から箴言を抽出した『ナポレオンの軍事箴言集』を編纂し、新しい軍事学の体系を作り出そうとしました。フランス軍の幕僚として勤務した経験を持つスイス出身の軍人アントワーヌ・アンリ・ジョミニは、ナポレオンの軍事的手法をいち早く分析した研究者であり、『戦争術概論』(1838)の著者として知られています。彼は我が軍の主力を戦域の要点、あるいは敵軍の後方に機動させることこそが一般原則であると主張し、個別の戦闘においては我が軍の主力を適切に集中すること、敵軍を分散させることによって、各個に撃破することができると論じています。
 この思想はジョミニ以降の研究者にも受け継がれており、ナポレオンの戦略、戦術を模倣することが重視されました。アメリカの南北戦争(1861~1865)に参加した軍人に大きな影響を及ぼした軍人デニス・ハート・マハンは、ジョミニの軍事理論を元にした議論を展開しています。彼の息子であり、海軍軍人となったアルフレッド・セイヤー・マハンは海軍の戦略で成果を残しましたが、そこで参照されていたのも、やはりジョミニの軍事理論でした。マハンは艦隊の運用において戦力の集中を最も重要な原則として位置付けることを主張しています。

(4)クラウゼヴィッツの軍事理論
 プロイセンの軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツは、ジョミニと同じようにナポレオンの戦争術を研究しましたが、ナポレオンの手法をモデルと見なすことには反対でした。彼が注目したのは、ナポレオンの戦争術の背後にあった社会的状況です。クラウゼヴィッツの古典的著作である『戦争論』(1832)は、軍事学の分析の対象を軍隊の制度や運用だけに限定することなく、社会的状況を幅広く考慮に入れたという点で画期的な研究でした。
 クラウゼヴィッツの見方によると、ナポレオンがヨーロッパを征服するために動かしたフランス軍は、フランス革命によって誕生した国民国家という新たな国家形態の下で組織化された軍隊であって、国民の幅広い協力と貢献がなければ、ナポレオンは殲滅戦略を実行することは到底不可能だったはずです。軍隊の制度や運用を研究する場合、このような戦争と社会の関係を考慮しなければ、戦争の形態が時代によって変化してきたことを理解することはできません。
 戦争に多様性があるということは、あらゆる状況で適用可能な戦いの原則を考えることが適切ではないということも意味しています。例えば、戦域において我の戦力を可能な限り一点に集中させることにより、敵に対して戦闘力を最大限に発揮する集中の原則があります。これは現在でもよく知られた原則ですが、それを機械的に当てはめようとしても、意味のある軍事行動を立案することはできません。なぜなら、何のために戦争を遂行するのか、その政治的目的がなければ、軍事行動の指針を立てることはできないためです。政治的目的も考慮せずに戦力の集中を考えたところで、それは本質的に軍隊の運用を最適化することにはなりません。クラウゼヴィッツは、戦争を政治的交渉の延長として捉えることの意義を主張しました。
 クラウゼヴィッツの研究が特に革新的だったのは、交渉の過程において達成しようとしている政治的目的によって軍事的手段をどこまで使用してもよいのか、その許容範囲が変化することを明快に説明したことです。もし政治的目的もなく敵対する交戦国がただ力の限りを尽くして敵を殲滅しようとしているならば、そのような戦争は無制限の暴力的な相互作用であり、交戦国のどちらかが完全に殲滅されるまで続くでしょう。クラウゼヴィッツはこのような戦争状態を絶対戦争と呼んでいます。
 戦争の歴史を振り返ると、このような形態の戦争は起きておらず、少なくとも滅多に見られないものであると分かります。これは無目的に戦争を遂行しているわけではないことを示しているとクラウゼヴィッツは主張しています。もちろん、絶対戦争に近い形態をとる全面戦争は歴史上何度も発生していますが、全体としては例外的な現象にすぎず、多くの戦争は暴力の規模、烈度、範囲が制限された限定戦争として遂行されていることが分かります。つまり、絶対戦争にならないのは政治的交渉を有利にすることが交戦国の本当の関心であって、戦争の結果がどのようなものになるのかが明らかになってくれば、それ以上交戦することに意味がなくなるのです。
 クラウゼヴィッツは戦争が絶対戦争とはならない理由に関して、政治以外にもう一つの要因が重要であると述べています。それは戦争が一度きりの戦闘で完結するのではなく、ある程度の期間にわたって続くためです。その間に何度も敵と味方の軍隊の動きが止まり、戦局が動かないことも珍しくありません。戦争で軍隊が一度の戦闘で決着をつけることができないのは、軍隊の戦闘行動に攻撃防御という異なる形式があり、同じ戦闘力を発揮する部隊であれば、攻者よりも防者の方が優位に立ちやすいためであるとクラウゼヴィッツは説明しています。防御する部隊は事前に兵員、武器、弾薬を準備し、地形を偵察し、陣地を構築して敵の攻撃を待ちかまえることができるため、攻撃前進する部隊に圧倒的な優位がなければなりません。
 クラウゼヴィッツは、戦争には大きな不確実性があり、不完全な情報で意思決定を下すことを迫られると、人間は行動を起こす気力を失う傾向があるとも述べています。このような心理も攻撃を妨げ、結果として絶対戦争の実現を妨げることになります。つまり、指揮官の精神状態、性格の強さ、あるいは情報処理の仕方も戦争を構成する重要な要素であり、敵の部隊がどこに展開しているのか、どれほどの勢力を有しているのか、どのような計画を立てているのか不明瞭にしか分からない状態においては、たとえ軍事的に必要であるとわかっていても、積極的な攻撃を実施することには困難を感じるものです。
 以上のクラウゼヴィッツの軍事理論は現代の軍事学の礎となりましたが、それは直ちに広く受け入れられたわけではありませんでした。しかし、19世紀の後半にクラウゼヴィッツの研究成果を引き継いだ研究が続々と生み出されたことによって、その意義は少しずつ認知されるようになり、第一次世界大戦以降に戦争の形態が大きく変化したときに真価を発揮するようになりました。

(5)現代の軍事学へ
 クラウゼヴィッツは感染症でこの世を去り、『戦争論』は未完成のまま出版されたために、さまざまな誤解も生まれました。ジョミニはクラウゼヴィッツの軍事理論は難解なだけで実際には役に立たないと批判しており、自らの理論の優越性を主張しています。このような見方は19世紀を通じてかなり根強くありました。またプロイセンではヘルムート・フォン・モルトケのように、ジョミニの軍事理論に批判的な態度をとる軍人もいました。
 モルトケは戦争術を簡単な原則に置き換えることに対して懐疑的だった軍人の一人であり、形式にとらわれない創意を発揮することこそが、戦争において欠かせないと信じていました。モルトケの著作『大部隊指揮官のための教令』(1869)では地位が高い指揮官であるほど、簡潔明瞭な命令で部隊を指揮し、部下が命令を実行する際に、裁量の余地を可能な限り多く残しておくことが重要であると主張しています。これはクラウゼヴィッツが指摘した戦争の不確実性に対処する上で有効な方法であり、訓令戦術の原則として今日に至るまで評価されています。
 また、ドイツの歴史学者ハンス・デルブリュックは、『政治史の枠組における戦争術の歴史』(1900~1920)で、戦争史に見出される戦略を消耗戦略殲滅戦略という二類型によって分析できることを示しました。彼は時代によって採用される戦略が必ずしもナポレオンの殲滅戦略に限定されているわけではないことを指摘し、その選択は彼我の戦力の優劣だけでなく、政治的、経済的、社会的な条件によって左右されることを明らかにしています。他の学問の研究成果を取り入れて歴史上の戦闘を再構成する彼のアプローチは、戦略の研究だけでなく、その後の軍事史学の発展に寄与するものでした。イギリスの歴史家ジュリアン・コーベットの著作『海洋戦略の諸原則』(1911)はマハンと同じく海軍の戦略を分析した研究ですが、ジョミニではなくクラウゼヴィッツの軍事理論を採用しています。コーベットは、戦争の目的によって戦争の形態はさまざまに変化する性質があると主張し、必ずしもすべての戦略家が攻勢をとるとは限らないこと、あえて防勢に回り、敵を消耗させる戦略を採用する場合があることを論じています。ちなみに、クラウゼヴィッツは陸軍の運用を念頭に置いて議論していましたが、コーベットは海軍と陸軍の運用を総合的に研究することの意義を説いており、統合運用に関する先駆者でもあります。
 第一次世界大戦(1914~1918)が勃発したことで、軍事学の歴史は新たな段階に入りました。陸上戦は一地点、あるいは数地点で一日から数日で終わるものではなくなり、連続した前線に沿って数週間から数か月にわたって続くようになりました。海上戦も一日の艦隊決戦で決着がつくものではなくなり、潜水艦が敵国の商船を狙う通商破壊を仕掛け、それに対抗して海上護衛が行われるといった駆け引きが長期にわたって繰り広げられました。画期的だったのは航空機が出現したことであり、これによって陸軍と海軍の作戦に変化が生じました。
 また、イタリアの軍人ジュリオ・ドゥーエは『制空』という著作で陸海軍に並ぶ空軍という新しい軍種を創設することを主張し、将来的には空軍の能力だけで勝敗を決することが可能になるという大胆な仮説を打ち出しています。こうした時代の変化の中で、ジョミニの学説は一部の内容を除いて次第に学ばれなくなっていきました。しかし、クラウゼヴィッツの業績はむしろ再評価されるようになり、第二次世界大戦(1939~1945)以降には核兵器の問題を考える上で最も重要な理論的基礎と見なされるようになりました。

(次回に続く)

見出し画像:DoD photo by Cpl. Zachary Scanlon, U.S. Marine Corps

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