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『作者のひみつ(仮)』改 第10章
10章 文学の「革命」・理想としての「読者」 いつもの研究室ですが、今日はいつもと違って少ししんみりした雰囲気です。その雰囲気を生み出しているのは、一番寂しそうにしているカオルでした。
―すみません。私から望んで教えてもらいに来ていたのに、勝手にもう来ないことにしてしまって。
―受験ということならやむをえないですよ。でも、そんなに数学が苦手だったんですか。
―はい、この前の模試でも数学が足を引っ
『作者のひみつ(仮)』4章
4章 《仲介者》はいかに作者イメージを広めるか? 1 肖像写真 作者のイメージと顔
わたしたち読者は作者をイメージする時に何を手がかりにするでしょうか。作品の内容や彼らの思想といった抽象的なものよりも、一番わかりやすいのは、作者を描いた肖像画や肖像写真ではないでしょうか。そして、作者がどのような外見をしているか、作者はどういう顔なのか、ということと作品とは関係が無さそうですが、実際は多くの受容者
『作者のひみつ(仮)』改 ある木曜日の午後
小さな大学の文学部の小さな校舎、その中のある研究室でこん、こん、こんとノックの音がしました。木曜五限、もう五時も過ぎた頃です。
「はい」と答えたのは、その研究室の住人、年齢不詳・性別不詳・国籍不詳の人物です。ドアを開けて研究室に入ってきたのは、いかにも大学生風の身なりの男子と、同じ敷地にある附属高校の制服を着た高校生の二人連れでした。
-先生、おひさしぶりです。初年度セミナーではお世話になりまし
『作者のひみつ(仮)』3章
3章 《仲介者》という存在
作者中心の表現観の相対化
前章で説明したように、著作権、特に著作者人格権によって作者と作品とは切り離すことのできない関係となりました。その結果、作品について考える際に作者を通してのみ考えることが主流となるという弊害を生んでいます。
作品について考えるのに作者を通して考えるのは当たり前なのに、弊害というのはどういうことのなのだろう、と思った人は残念ながら作者中
『夢野久作の日記』より(3)
(2)から少し日にちが経って、同じ1926年の後半、あらためて「狂人の解放治療」という原稿の話題が出て来る。精神病棟という閉ざされた空間を舞台とした「ドグラ・マグラ」だが、その執筆は閉ざされたものではなく、家族や友人に読ませて感想を聞くという過程を踏んでいたのがこの時期の日記の記述からうかがえる。
「七月十日 土曜
天気よし。妻に、狂人の解放治療(17)の話をきかす。
七月二十六日 日曜
『夢野久作の日記』より(2)
「ドグラ・マグラ」について『夢野久作の日記』で言及している箇所の続き(引用に際して表記しにくい踊り字を文字に起している)。
今回は最初の草稿を書き上げて清書を終えるまでの1926年5月22日から6月13日までを抜粋。家族で経営している杉山農園の管理についての記述も多く、多忙な日々の中毎日毎日原稿を執筆している。
本当にまじめな生活であることだよ。
「五月二十二日 土曜
朝、川口君と礼子同伴
『夢野久作の日記』より(1)
大学院の講義で「ドグラマグラ」を講読したので、参考に杉山龍丸編『夢野久作の日記』(葦書房、1976年)も読んだ(近畿大学産業理工学部図書館所蔵のものを貸借)。
夢野久作は1936年に亡くなっていて既に著作権は切れている(青空文庫には複数の作品が掲載されている)。また『夢野久作の日記』自体、現在では入手が難しくなっているので、「ドグラマグラ」に関連する部分だけここで紹介してみようと思う。
なお、
何を選んだのか、何を選ばなかったのか。
岩波文庫から8月に出た『大江健三郎自選短篇』の収録内容を遅ればせに確認しました。
各短篇が元々収録されていた単行本名と共に並べるとこのようになります。
I 初期短篇
奇妙な仕事『死者の奢り』
死者の奢り 同
他人の足 同
飼育 同
人間の羊 同
不意の唖『見るまえに跳べ』
セヴンティーン『性的人間』
空の怪物アグイー『空の怪物アグイー』
II 中期短篇
頭のいい「雨の木」『「