性悪説

義務教育は「性悪説」からできた教育

*前回記事を読むと、話が紐付きます。

突然ですが「性善説」と「性悪説」を知っていますか?


人間が先天的に持っている心、つまり人は生まれながらにして「善」なのか「悪」なのかを説いたものです。

善悪どちらかを生まれながらにして持ち、後天的な学び(環境)で人格形成をしていくとの論理です。

「性善説」
人は生まれながらに善である。後天的に学ぶ事(環境)で悪に汚染されると言う事です。中国の儒教者、孟子の首唱です。
「性悪説」
人は生まれながらに悪である。後天的に学ぶ事で善となる。中国の思想家、荀子の首唱です。

*性善説派・性悪説派によって解釈は違います。


ここで本題の義務教育についてです。

私の考えでは義務教育は「性悪説」からできた教育だと思います。人は生まれながらに悪である。そのため「悪」を押さえつけなければならない。思考させないよう教育で詰め込み洗脳する。

*洗脳とは脳を洗う、つまり子供のようなピュアな心へと戻す考えです。本来の意味ではマインドコントコールが正しいのですが、世間の認知度から「洗脳」と表現します。

答えのある正解を上から詰め込み思考を「覚える」ことに集中させる、言ってみれば自我を停止させる教育です。そして集団行動・逸脱者を排除する、疑問を持たせないような教育スタイルとなったのではないでしょうか?

そのため前回のnoteで書いたような富国強兵(戦争教育)がまかり通るようになりました。

しかし、当時の概念では現在には通用しないのは周知。このまま引きずってしまうと本当に取り返しのつかないことになる気がします。

義務教育を受けた人間の政策・親では「創造」する思考は困難です。1人でも多くの人が疑問を持ち、新しい日本を「創造」する力が必要です。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。今月中に「脱。義務教育」を継承している人の活動を紹介します。

多くの方と、議論してダイバーシティを高めたいと思います。コメントいただけると嬉しいです。

皆様のお役に立てるnoteになれば幸いです。