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サッカー日本代表戦は、父と息子の距離が最も近くなるイベントでした。

「次の日本代表戦っていつだっけ?」
ベッドに横たわる父は細くなった声で私に尋ねた。
「7月にE-1選手権があるけど、国内組中心だから鎌田とかいないよ。」
「ふうん。そう。」
推しの選手が招集されていないことを知って力が抜けたのか、父はゆっくりと目を閉じてふたたび眠りに落ちた。

父はサッカー日本代表が好きだった。
スタジアムに行くほどの熱狂的なファンというわけではなかったけれど、試合の日は仕事を早く切り上げて帰ってきた。テレビに向かってぶつぶつと「プレスが遅い」「足が速いだけじゃん」などなど文句をたれながら、真剣に画面を見つめていた。

『今日の右サイド先発は原口です。ワントップは大迫。』
私が仕事で試合が見られないときなど、気を遣ってか、こんなラインをよく送ってきた。羨ましい実況すんな!と言いたくなることは度々あったが、その度に大人げない気持ちを抑えて既読スルーを決め込んだ。
まあ、自分もリアルタイムで観戦すればこのようにイライラすることもないので、代表戦の日は出来るだけ休みを取っていたのだが。

友人とスポーツバーに行ってビールを飲みながらワイワイ盛り上がろう、そこで可愛いサッカー女子と仲良くなってやろう、そんな発想に至ることはほとんど無かった。日本代表戦はヘラヘラせず集中して見るに限る。ゆえに私は家で観戦した。もちろん隣には父がいて、ケンタッキーや手巻き寿司をつまみながら、眉間にしわを寄せてボールを追っていた。(ロシア大会の時に一度だけHUBへ見に行ったが、なんだか変な感じだった)

「いまのなに?ファール?」と逐一うるさい母を叱りながら、父とじっくり戦況を見つめる。そして時折、選手のプレーについて互いに口を出していく。しかしそれはただの大きな独り言であるため、会話として成り立つことはない。盛り上がりに欠けるコミュニケーションではあるが、この独特な雰囲気が私は好きだった。

我々親子が日本代表戦で一番燃えたのは、ワールドカップ南アフリカ大会のカメルーン戦だった。
右サイドで松井がボールを受け、逆脚のクロスから本田がワントラップ。
まさかのゴール前ドフリー。
そして放った待望の一閃。
カメルーンのゴールネットが揺れ、思わず身体がソフアーから浮く。

よっしゃああああああああああ!!!!!

ドンドンと飛び上がって思いきり歓びを表す。当時は高校生だもの、近所迷惑なんてこれっぽっちも考えなかった。
壁に声が当たって、強く大きく響く。
嬉しくて、嬉しくて、思わず父の方を振り返る。

初めてだった。
あんなに叫ぶ父を見たのは。
初めてだった。
一緒に雄たけびを上げたのは。
どんなスーパーゴールが決まっても寡黙を崩さなかった父が、立ち上がって小さくガッツポーズを作っている。

歓びを分かち合いたいけど、抱き合ったりするのは恥ずかしかったから、なんとなく勢いで握手を求めた。すでにソファーに着席していた父は、一瞬私の手を見てたじろいだ。父は私に目も合わせず、画面の方へ笑みを浮かべたまま黙って握手に応じた。
一分一秒と時間が経っていくにつれ少しずつ得点の興奮が冷めてくると、なんだか先程の行為が無性に恥ずかしく思えてきた。今まで握手なんかしたことないのに、なんで急にしちゃったんだろう。今までの父子間の距離がギュッと縮まったような感覚がして、どうにも落ち着かない。
前半終了の笛が鳴ると、私は一旦そそくさと自室に逃げた。
握られた手の力強さは、
未だに妙なむずがゆさを私に残している。

2022年カタール大会。
日本代表がワールドカップに挑むけど、それを楽しみにしていた父はもういない。ベッドに横たわりながら「今年までは生きられるから」と弱弱しく呟いていた父。 


・・・どうしても見せてあげたかった。

もうちょっと経済的援助とか頑張ってれば、病気持ちの身体を無理して働かせることもなく、多少はなんとかなったのかもしれない。良くない思考だと分かっているのに、いろいろ考えだして止まらなくなってる。

父の写真をリビングのテーブルに移動させて、目の前に灰皿とグラスを置いて、ドイツ戦を一緒に観戦した。
あれやこれや言い合いながら前半を終え、死闘の末たどり着いた勝利に心から歓喜した。抱き合うことも握手をすることももう叶わないけれど、思い込みでもいい、私たちは歓びを分かち合えたと勝手に感じている。

「すごいよね。まさかドイツに勝っちゃうなんて!スペイン戦はさすがに厳しいだろうから、次回のコスタリカ戦がベスト16の鍵かなぁ・・・。ってか、今まで散々文句言ってきたけど、今回ばかりは森保と浅野に謝らなきゃダメだわー!」

ひとしきり喋って写真に目をやると、父は優しい目をしてにっこりと息子に微笑んでいた。

こちらは父が亡くなるまでの連載記事です↓
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