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海外在住の日本人は、なぜか日本人に厳しい

こんにちは、taigaです。
前回の記事は、『海外移住に憧れる日本人に対して僕が思うこと』であった。

さて今回は、海外生活に夢を見ている日本人と全く逆の立場のケース、つまり『海外在住の日本人によく見られる思考』について話していく。
先日シェアさせて頂いた記事から、海外在住の日本人あるあるを一部抜粋して引用させて頂いた。

下記の引用文だが、こちらは原文では「デンマーク」となっているが、僕の場合はドイツだし、読者の皆さんは憧れている国を思い描いて頂ければ良いと思う。

だが、在デンマークの日本人の反応は一般的に手厳しい。「デンマークに来れば幸せになれるとでも思っているわけ?今の移民政策がいかに厳しいか、永住権の取得がいかに難しいか知っているのかなと、お節介オバちゃんは心配になるわけ!」と口角泡を飛ばして語ってくれる知り合いも多い。

なお、ここから先はかなり辛口になるが、これは決して引用元の記事に対する批判ではないと先に伝えておく。彼女の記事はとても読みやすい。

僕は、その記事に登場した、日本人の知人の方々のセリフを読んで、『昔から海外生活において、海外在住の日本人に対して何となく感じていた、言葉でうまく表せない考え』を改めて思い出したのだ。

なので、それについて自分の考えを文章にしてみようと思い立ったわけだ。この趣旨をご理解いただけると嬉しい。

海外歴が長い日本人に対して、僕が思うこと

さて、前置きはこの辺として、本題だ。
上記のような日本人のセリフは、何も珍しいものではない。

これは海外在住の日本人全般に言えることで、全員が全員そうじゃないにせよ、一定数は必ずこういう人々がいるし、多くの海外在住の日本人は口に出さずとも潜在的にはこう思っている(と正直思う)。

事実を述べると、上記の日本人のセリフはまさに的を得ている。いや、本当にまさにその通りなのだ。
ここは僕も大いに納得するし、海外に住んでいる日本人の間ではよくある話題だ。ただ、僕はこの手の話を聞く度にいつも思う。

(え、いやいや。そんなの経験したことないんだから、知るわけがないだろうし、相手が知らないことを『お節介という善意のラッピングに包んで責め立てる』のはいくらなんでも酷いんじゃないか?)

自分たちの知識の範囲内で海外に憧れを持つ、または理想を持っている。海外に住んでいない以上、身をもって経験ができない、できるわけがない。だから海外生活の現実・真実が見えない事はどうしても仕方ないことだ。なぜそこで勝手にアツくなるのか。

そうやって文句を言っている海外在住者は、一体何が気に入らないのだろう。
なぜその人たちは鼻息荒く、海外に憧れを持つ日本人の意見にいちいち反応して、否定するんだろう?

というか、むしろ自分たちだって、海外に渡る以前は、まさに『海外に憧れている日本人』だったはずだ。
もっと言うと、仮に自分たちが海外に出ずに日本に一生住んでいたら、彼ら・彼女らと同じことを言っていたと思うんだが、どうだろう
さすがに自分のかつて抱いてきた気持ちを全て棚に上げて、他人さんの考えをまるで目の敵のように批判するのは、傲慢が過ぎないだろうか?

自分の生活環境と異なる場所にいる人がいたら、隣の芝生が青く見えるのは当たり前だ。さらに僕ら日本人というのは元々、海外(特に欧米諸国)への憧れが歴史的にも長い時間をかけて刷り込まれている。
だから、メディアや様々な影響でそういう国々に理想を抱く人がいるのは、ある意味で当然なのだ。

そりゃあ、海外在住者からすると、海外を知らない日本人の過度の理想・憧れは少々ミーハーに聞こえて「いやそれはちょっと甘いぞ」と思うことは確かにある。
日本のテレビ番組・旅行雑誌などのワクワク感を掻き立てる情報だけでは、本当の現実はわからないからだ(ちなみに一部の『現実』は、前回の記事が参考になるので、まだの人は下記をクリックして読んでみてくれ)。

まあ、それでも、他の日本人が現実を知らなくとも、憧れたって、理想を持っていたっていいじゃないか。何も不快感を露わにしなくたっていいじゃないか。

海外移住に本気な人たちは、いざとなれば海外進出するし、その時に厳しい現実を身をもって学ぶだろう。彼らの人生に、僕たちは直接関係ない。それで良いじゃないか。なぜそれが出来ないのか?

いちいち目くじらを立てて文句を言って、他人さんの希望・ワクワク・憧れにケチをつける権利はどこにもない。

相手の人生の責任なんて持ってやるつもりもない人間が、お節介おばさん・お節介おじさんにわざわざなる必要なんてどこにもない

僕はこの手の『お節介』を「ミュージシャンになりたい?やめときな、食えないよ」と同じ種類の、『人の夢を壊す毒』だと思っている。

もちろん、アドバイスを求められたら、その時はキチンと答えれば良い。
彼らの人生だ。それで良いじゃないか。誰にも求められていないのに勝手にヒートアップするのは、それこそ時間の無駄なんじゃないかと、僕は個人的に思う。

このように、海外在住の日本人を見ていると、日本にいる赤の他人さんが「海外って何か良いよね、羨ましい、住みたい」ということに対して「何も知らないくせに、気に食わない」と息巻いている人が一定数いるように見受けられる。

全員が全員ではない。だが僕が今までそういう人たちを横目で見てきて、肌でなんとなく感じたこの感覚は、あながち間違っていないと思う。

海外在住者の方々、どうだろうか?
たとえ自分はそうじゃない(と少なくとも自分ではそう思っている)としても、そういう人、周りに少なからずいないだろうか?

他人の考えに対して不寛容な日本人

上記のように『海外への憧れを見せる日本人に対して不快感を表す海外在住者』の大半は、留学で、仕事で、あるいは結婚してなど、かなり物心が付いてから海外に出ている組が圧倒的に多い(と思う)。

逆に、生まれてからずっと海外に住んでいて、「年に一度だけ祖父母に会いに日本に旅行しています!」という人々は、そのような日本人に対してネガティブな感情を抱くことは、前者に比べてそこまで多くないのではと思う。

ここで僕が思うのは、ある程度大人になってから海外に移住した日本人が感じる『不快感』の矛盾だ。

自分たちだって当時、留学をするときに「どの国に留学しよう?」とワクワクしていただろうし、海外勤務などでお目当ての国(大概は欧米諸国、アメリカやヨーロッパ)に決まった時は「よっしゃ!」と喜びが隠しきれなかったはずだ。
あるいは海外の恋人と結婚が決まった場合も「海外で新婚生活!」などと少なからずガッツポーズをしていたかもしれない。

このように自分たちも少なからず海外生活に憧れを抱いていた過去が必ずあったはずなのに、何年か経つと、その国の全てを知ったような気になって、

・まるで自分は普通の日本人とは違う、海外に適応した特別感のある人間だと感じてしまう
・そして今度はかつての自分と同じ考えを持っている他人さんに不快感を覚える

このような感じだと思う。
こういうことを考えた時、日本人は両手を広げて「みんな、おいでよ!」とあまりならないイメージがある。もしかしたらそれは『日本人の不寛容さ』が要因の一つなのかもしれない、と思ったりもする。

ちなみに、この場合の不寛容さの一例は、こんな感じだろうか。

・経験して学んできた自分たちが正しく、無知な他人が間違っている
・羨ましがるだけの日本人がいれば「海外も大変だよ」と言いながら『厳しい環境に適応しているすごい自分』でいたい
・だが、正直に言うと、自分たちと同じラインに立って欲しくもないし、築き上げてきたテリトリーに入ってきて欲しくもない
だから海外移住を考えている人が周りにいたら、あえて厳しい現実を伝えて「あわよくば諦めてもらえたら良いな」と思っている

日本人は不寛容で、尚かつ『相手が得をしようとすると、自分が損をしてでもそれを止めようとする傾向が強い』と言うのは、いくつかの研究結果も出ているようで割とよく知られた話だと思う。

先日読んだ別の記事も、本テーマとは逸れるが、日本人の不寛容さについて触れているので、そっとシェアしておく。

つまり、「日本人が私たちの住んでいる国に憧れている?いや、それは甘すぎでしょう。現実見てないでしょう」と言う不快感の本質は、

・とか言いながら、海外生活に不満はありつつも、こっちの生活は日本より住みやすいことは絶対間違いないから、この喜びをできれば知って欲しくない

・こっちに日本人の人口が増えすぎたら、自分たちの「ジャパニーズ」としてのメリットが薄れてしまうから困る(外国人で『日本ファン』は割と多く、それだけでコミュニティに入れたり友達ができたりする一面もある為)

・今まで現地の言葉は『からっきし』または『それなり』で何とか生きてきたが、自分よりもよほど語学堪能な人が突然やって来たら、あるいはメキメキと自分の語学力を抜かれたら悔しい

そう、このような感じで、表向きは『お節介』という体裁を通しながら『実はこのような本音の裏返し』ということも多いのだ。

もちろん全員が全員ではないが、現地に住む一定数の日本人は正直こう思っているという事実は、やはりあると思う。

まとめ

今回の記事はあくまでも、僕が海外に住む中で、周りの日本人の話を聞いて感じていたことを改めて思い出して、つらつら書いただけだ。

しかし、やはり一つだけ言えることはある。
海外在住の日本人は、日本人に厳しい(傾向がある)ということだ。
この都市伝説みたいな話は、やはり残念ながら紛れもない真実である。
(もちろん全員が全員ではない。ここは何度も口を酸っぱくして言っておく)

もちろん、このような『厳しさ』は、海外在住の日本人だけがもっている性質ではない。いつの時代にもどこにでもいる「そんな夢、ムダだから諦めろ」おじさん・おばさんの亜種だと思ったらいい。

だが、先輩ヅラをして「お節介かもしれないけれど」といい人を装いながら、何とかして相手を『自分の意図する方向』に誘導したい人々もいるので、海外移住がしたくて、海外在住者の先輩に相談しても、「なんかモヤモヤする。これは単なるイヤミで助言ではないのかも?」と感じた場合は、素直に聞く必要はない。
(当たり前だが本物のアドバイスもあるので、そこを見極めることは大切だが)

もしあなたが海外移住に真剣な場合、そういう心ない人々に、エネルギーを吸われる必要はない。そんな人々にあなたを止める権利はどこにもないから大丈夫だ。叶えたい目標があるなら、たとえ痛みや苦い経験が伴っても、それに突き進むべきだ。

というわけで最後になるが、海外在住歴がどれだけ長い日本人でも、心も考え方もすっかり丸ごと欧米化して「みんなウェルカム!」では決してない。
むしろ基本的に排他的だし、他所からの日本人は警戒するし、仲良くなるまで時間はかかるし、でも村八分するかされるか的なウェットな付き合いもあるところはあるらしいし、まあぶっちゃけて言うと、絶対的な日本人の分母が小さい分、意地悪な人が目立ちがちだ。優しくていい人も確かに沢山いるけれど。

他の国の方々はどうかは分からない。比べるつもりもない。
だが、たとえ他国がどうであれ、日本人が『他人に割と厳しく、割と冷たく、割と不寛容』である事実は変わらないだろう。
まあ、有り体に言うと、日本人はどこまでいっても、ただの日本人なのだ。
どこに誰と何年住もうが、どんな仕事をしようが、たとえ国籍を変えようが、日本人は所詮、頭の芯まで日本人なのだ。

この記事を最後までお読み下さいましてありがとうございました。 これからも皆さんにとって興味深い内容・役立つ情報を書いて更新していきますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。