小さな親切を誇らしく感じていた幼い頃の日々
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こんにちは、旅人先生Xです。
今日は「子どもとの触れ合いから感じたこと」について書いていきたいと思います。
良かったら、のんびり目を通していってみてください。
目次は、以下の通りです。
子どもたちの様子を見ていて感じたこと
学校で仕事をしていると子どもたちが授業の準備や片付けをよく手伝ってくれることがあります。
自分はあまりそういうことをしていた記憶がないので、頑張っている子どもたちの姿を見ると純粋に「すごいなぁ」という気持ちが込み上げてきます。
作業をしている時や終わった時にお礼を述べると、子どもたちがちょっぴり嬉しそうな顔をするのですが、私はその瞬間にいつも心がほっこりします。
何だか素敵ですよね。
このような「ちょっとした親切」が増えていったら、親切にする人も親切にされる人も笑顔になるわけですから、結果的に全体のハッピーな気持ちが増えるんじゃないかなぁと感じています。
小さな親切を誇らしく感じていた幼い頃を思い出す
学校ではあまり手伝いらしい手伝いをした記憶がないのですが、祖母の家や自分の家の中などで、小さな親切?のようなことをしたことは朧げにですが、記憶の中に残っています。
当時のことを思い返してみると自分がちょっと人に親切にした時は、そのことを誇らしく思っていた気がします。
「なんか、ちょっといいことができた気がする」
「自分も役に立てた」
小さな親切をした時は、こうした気持ちが胸の中にあった気がします。
今思えば、手伝ったことで逆に手間をかけていたこともあったかもしれません。
実際にやっていたことも大人から見たら、きっと些細なことだったでしょう。
でも、当時の自分はそれを誇らしいと感じていたのです。
そして、その気持ちや経験は、間違いなく他の行動にも影響を与えていたと思います。
学校で見かける親切をした時の子どもの姿。
その姿を見かけた時の子どもの心の内は、もしかしたら、過去の私が抱いていたものと似たような気持ちなのかもしれないなぁと思いました。
そうだとすると、「子どもがしてくれたこと」に対して感謝を述べると同時に、彼らの「次」や「これから」に向けて、ちょっとだけ言葉を付け加えるのも良いのかなと感じました。
例えば、
「手伝ってくれて、すごく助かったよ。ぜひ、他の時にもやってみてね」
「気付かない人もいるかもしれないけれど、こうしてやってくれている人が実は色々な場面でいるから、応援したり、一緒にやってあげたりしてね」
「こういう行動をしてくれた〇〇さんに、元気をもらえたよ。とても嬉しい気持ちになったよ。」
みたいなイメージですね。
実際にしていることやタイミングなどの兼ね合いもありますが、お礼にプラスして、これからの原動力になるような言葉がけができたらいいなと考えています。
目立たなかったり、気付かれないこともある小さな親切。
だからこそ、大切にしていける人でありたいなと子どもたちの姿を見て、改めて思いました。
今回は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございます😊
ではまた、次の記事でお会いしましょう。
みなさま、皆様、良い一日をお過ごしください。