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【非空間】【非時間】【非時空間】《》【実存】としての【言葉】

■非【空間】の【時間】のある「ところ」は【こころ】

「存在の方程式」につきましては、以下ご参照くださいませ。

存在が存在するにあたり、否定できない実際を方程式として表現し、そこから分かることを記していきます。

A = A + 非A + A と非Aの境界(わたくし)

「あおいのきせき」より

それらを既知である「科学」に照らし合わせ、無矛盾であることが確認できれば、それこそが、私たちが見落としていた、「宇宙」のほんとうのありようです。

或いはそれが、今の「常識」=「あたりまえ」とどれほどかけ離れていても。 

■【空間】 = 【空間】+【非空間】+【空間と非空間の境界(Ex.「ことば」)】

【空間】とはこの身体の住まう「宇宙」のことであり【物質】で構成されている所謂【客観】世界です。普通「科学」が対象とするのはこの【界】のみです。今のところ。

繰り返しになりますが、【(時)空間】の存在しか「科学」は認めていません。というより、私たち人類は【(時)空間】以外の実存を知らない、といった方が正確のような気がします。ですから【(時)空間】の「数学的解釈」では【ブラックホール】など【究極のマクロ】【究極のミクロ】といった「特異点」の理解がままならなくなっていると説明すると大変すっきりといたします。

別の言い方をしますと【無限】と【無】に突き当たる「時点」が【微積分】ではたち行かなくなる。或いは「統計」や「確率」では「説明がつかない」ところでの「説明」が求められているのです。

結果、人知(科学とそれに基づいた工学=科学技術)が前に進まない、という言説を否定することは出来ないでしょう。

いま「私たち人類は【(時)空間】以外の実存を知らない」と申し上げましたが、今に於いて「宗教」的言説が「認識できない存在」の実存について語っていることは周知でしょう。

実のところ人が研究するに値する実存は【(時)空間】しかない、という「前提」を人類か採用し始めたのはデカルト以降はっきりとニュートンの後(の西洋哲学)で、それ以前(「近代科学以前」)に於いて、人は、工夫をこらして【(時)空間】存在とは「相容れないモノ」について多くを語ってきたことはよく知られております。(史実として「ニュートン」自身は後年非ニュートン的世界を追求していたようなのですが)

一方、大凡東洋では【主客二元論】の立場を採ることはなく、結果「哲学・思想」をダイレクトに工学へ落とし込む事ができない(できなかった)という歴史的な事実があります。

【非(時)空間】という言葉から指示される対象について、人が知らなかったわけではないでしょう。それどころか、苦労してなんとかそれを表現しようと苦労した跡こそ「哲学・思想・文学」史の王道であるといって過言では無いと思うのです。

西田哲学の有名な「相互否定的な絶対矛盾的自己同一の世界」という言葉の指示する内容は、『「存在」と「非存在」は「私(の精神及び身体)」を境界にして在る』(つまり「存在の方程式」)と同じであると、すっきりと理解できるのです。

【非空間】すなわち「空間に非ず」という直義的な言葉を見つけたことが、「あおいのきせき」の歴史的な所です。そうして【空間】は【時間】と相互関係にあると「科学」は知っています。勿論「言葉」の使い方として【時間】は【非空間】と言って間違いではありません。

■【非空間】である【時間】とは【意識】

【空間】は【非主観】であり【物質(究極波動)】の世界です。
すると【非空間】は【主観】であり【非物質(究極非波動)】の世界であると言うことが出来ます。

五感とその機能を拡張したセンサー機器では認識できない【非空間】は「科学的」にも【意識】と呼んで不都合はないということは、過去記事で散々記したことです。

ここで【意識】とは【時間】のことだと「直感的結論」にたどり着きます。

【客観】と【主観】
【物質】と【意識】
【空間】と【時間】

【対義】関係とは、正確には【名詞(A)】と【非「名詞」(非A)】を言いますから、上に並べた「言葉」は正確には対義関係ではありません。

が、【主観】は【(個に宿る)意識=精神・心】だとわかるとしても【時間】は【意識】と同等であるとは、すぐには納得出来ないでしょう。

いや、僕も、というか僕がそうです。

しかし、そう理解することの、とても理にかなっていることが、「現象」と「認識」と「知覚」を頼りに「事態」を丁寧に検証してみると、腑に落ちるのです。

そう【時間】は【意識】といって「間違いではない」つまり、否定できません。採用するに値する「仮説」です。

■【空間】は【意識】に非ず。【時間】は【意識】

立ち止まってよく考えると【時間】そのものを計るセンサーはありません。時計は【時間】存在を認識するセンサーではありません。それはそうでしょう【時間】こそ【非空間】、【非物質(究極非波動)】なのです。【空間】を探しても「見つかる」訳がないのです。

【時間】は【意識】そのものだったのです!(別の「角度」から「見た」同じ「モノ」)

ちょっとまって!「じゃ、観測主体(=意識)がなければ、時間は無いの?」

そうだと「シュレディンガーの猫」は知っています。この問題を素直に理解する方法が見つかりました。観測するまで時間はない、というものです。

■【言葉】を実存として「科学」の俎上へ載せる事

■【シニフィエ】→【シニフィアン】 = 【非時空間】→【時間・空間】

便宜的言説を採用しますと、

【シニフィエ】と【シニフィアン】の「境界」が【わたくし】になりましょう。

【空間】存在の【わたくし】が喋ったり書いたりすることで【時間】が「発生」します。

【時間】存在である【意識】

【空間】存在である【わたくし】の身体(脳)
を、
「結節点」にして「生じた」
【わたくしの意識 】すなわち【精神・心】
にて、
【シニフィアン】化された【言葉】が
所謂「心内語(心の中のつぶやき)」

と説明可能です。

■一方向の単一時間という幻

唯一客観である一方向へ流れる時間こそ幻だというのは、夢の中で夢が夢であると気づくのが難しいのとにて、なかなかに信じがたい「ほんとう」のことです。

無数の反証が思いつきますが、丁寧な検証により、それらが却下されていくことは、間違いありません。

星の運行がなく、時計もない、他者と隔離した生活をすると、時間に関する「当たり前」がひっくり返るかもしれません。感覚遮断実験に関する考察も役に立つ筈です。

そして、理論物理の世界はむしろ、そう考えた結果、事象の解釈が進みます。

■【非時空間】とは、すなわち、あらゆるすべての【意味】

【非時空間】
【時間】に非ず、かつ、【空間】に非ず、の存在とはなんでしょう?

【物質】と【心・精神】に加えて私たちは【言葉】があるのを「知って」います。その在るのを「知って」いながら、いまだ実存として【言葉】を「科学(物理法則)」に組み込めていません。というか、そもそもそ「(物理)科学」の対象としていません。もちろん【言葉】「そのもの」が「実体」として【空間】存在していないからです。【意識】と同じごとくに、です。

しかし、「存在の方程式」により【非空間】も【非時空間】も存在している、という理解が無矛盾で可能になった今(むしろ、その前提に立たない方が矛盾だらけ)、その前提で「科学」を再解釈すれば、【科学】と同じ「言語体系」に組み込むことも可能です。

人はしかし【非時空間】を知っています。【梵我一如】ということばで指示される対象を「それ」と同じとして無矛盾であることは、「存在の方程式」という「法則」から逆さからたどって理解が出来る事です。

そうして【非時空間】とは、新プラトン主義・プロティノスの言うところの「ト・ヘン(一者)」の指示した対象そのものである、と分かります。

“存在すべて(宇宙・或いは源宇宙)」に一つでも言葉が入ると、世界は割れる。

 言葉が無ければ、

 言葉の無い世界は、

 そのままで「すべて」だ。

 世界の構成要素はゼロ。要素ゼロのままで「すべて」が存在する。

 「そこで」或いは「そこに」Aと言う、

 つまりAという構成要素が「存在すべて」の内部に混入する。すると同時に非Aが生まれる。

 Aと非Aを原因と結果として理解してはならない。そこに時間の後先はない。まったくない。

 Aと非Aは同じものである。比喩的に言えば、非AはAの影。非AはAの見えない一部。

  つまり、ひと言、たったひと言で世界は二つに別れてしまう。

 「A」



「nonA」

 それで世界は2。

 もう1つの形。

 「A」

 「nonA」

 の「境界」を1としてカウントする。

 「A」

 「境界」

 「nonA」

 それで世界は3。”

抜粋:: 金子浩一郎 “あおいのきせき”

■【非空間】【非時間】【非時空間】

■【意識】と【身体】と【梵我一如】の境界が【自己】

非を一言で指示するのは難しい。範囲の限定された、単一の要素が集まった集合で名前のついた一つの非ずに単義の名前をつければ、必ず間違います。

要するに非「犬」は、「猫」に限りません。

けれども「猫」と名付ける。すると非「猫」。
非「猫」を「鹿」と名付け、非「鹿」。。。

これこそ比喩的な意味に於いて「対称性の破れ」の「存在の方程式」による解釈です。

■【意味】の【循環】こそ万物の【エネルギー】

【非空間】【非時間】【非時空間】は【時空間】という「範囲」の明示されない【自己】という【境界】を巡って移動(循環)する【何か】つまり【エネルギー】の、源です。

これについては、より詳しくこれから考察と記述を進めていきたいと思っています。
原田武夫先生が盛んにお話しの平田篤胤の【音義説】は「物理科学」として上に記した構造により、より厳密に言及がされると思います。

【波動】の話です。もちろん【時空間】において【波動】は【粒子】でありますし、今まで書いた事柄からも、既にこの存在の二態である理由はすぐにお分かりいただけるかと思います。

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