「自己精神分析」
紅顔の哲学者を目指して#14
2024年5月4日(土)
この哲学日記を書いている頃は本当に辛かった。
せっかく症状も治って元気になったのに、また再発するとは思ってもいなかった。
この哲学日記を書いてから2ヶ月ほど経つ今も全然治らなくて、また暗い洞窟に入ってしまった気分だ。
今年は今まで病気でできなかったことをいろいろできる良い年になるだろうと思ってウキウキしていたのに、このザマかと思ってしまう。
今まで不幸の連続でやっと幸運が訪れたかと思ったのにそれも一瞬でチリとなってどっかに飛んでいってしまった。もう少し幸運が続いてほしかった。いつまで不運が続くのだろう。
今日載せる日記が最後の哲学日記になる。
毎度のことひどい文章なので多めに見てほしい。
それと哲学日記の後にその日のことを書いたのだけれども、少し長くなってしまったのは許してほしい。心のケアのためにも書く必要があった。
2024.3.2
この哲学日記、また随分と間が空いてしまった。
前回書いたのが去年の12月9日となっている。ほぼ3ヶ月間この日記をほったらかしにしていたことになる。だから当然前回書いたことの内容すら覚えていない。確認すれば良い話だが、それはとても面倒くさいので、また今度読み返した時に行うことにする。
今回は特に書くことは決めていないが、書きたいことはたくさんあるので、どれにしよう。
それでは、今悩んでいる事と哲学とをからめて書くことにする。
哲学というよりは精神分析といった方が良いだろう。
もしかしたらこの日記で書いたかもしれないが、僕は以前"社会(交)不安障害"を患っていた。いわゆる精神疾患だ。
"患っていた"と書いた訳だから治ったのだ。今年の1月頃に完治した。
だがここ2、3週間くらいだろうか、また"社害"の症状が出始めてしまった。
なので今週は結構つらかった。
火曜日に派遣のバイトに行ったのだが働いている最中に精神的にギリギリの所まできてしまった。さらにその日は派遣のバイトに加えて、通常のバイト(書店)が遅番で入っていたので、正直休みたいなとは思わないでもなかった。
なぜ、1日にバイトを2つも入れていたかというと、単純にお金がなくて、お金が欲しかったから。
でもちょうど派遣のバイトを始めたのと症状が再び出始めたのがかぶってしまった。だから、もっと派遣のバイトを入れようと思っていたのに今のところ厳しくなってしまった。(はやく回復させて働こうとは思う)
火曜日のバイトの後は2日間ずっと家にいた。家族以外の人に会いたくなかった。ほぼずっと寝込んでいたと思う。
めずらしく本も読んでいなかったと思う。
2日間こもった後は、精神的には不安定だったとしても身体はとても元気だからかさすがに金曜日はリハビリという名の散歩をした。(用事もあったからちょうどよかった)
電車は使わず、自分の足をつかってひたすら歩いた。2日間こもった時にあまっていた薬を飲んでいたからか、わりかし楽に歩くことができた。
今日と明日本屋でのバイトが入っていたから、働けるかどうか少し不安だったが、薬を処方したからか、今日は無事働くことができた。明日も大丈夫だろう。
ここ数週間の"社害"の症状を客観的にふり返って見ると確かに以前完治したはずのものと同じ症状がでているのだが、少し違う部分もある。
以前の長い期間患っていた"社害"はそれに加えてうつっぽい症状もあった。
でも今回はうつっぽいかといわれるとそうでもないと思う。
それはおそらく、定期的に散歩をしているから、身体が以前の時よりも丈夫になったのだと思う。
"社害"の症状が出ている今も、うつ状態だったとしてもそれに身体がたえられているから感じてはいないのかもしれない。詳しいことは分からないがそんな気がする。
心と身体はつながっているとよくいうがやはりそうなんだなと改めて実感した。
それと同時にこのような不安定な時代なのだからいつ精神病にかかってもいいような健康的な身体を常に維持しようと思った。
このまま書き続けても長ったらしくなってしまうし、今日も薬を飲んでいて症状に加えて副作用のだるさみたいなものがあるので、メンタル的にもたないため早く切りあげたい。
こんな用語はないかもしれないが「自己」精神分析の最後になぜこの症状が再発してしまったのか考えたい。この自己精神分析については次の日記でできるかは分からないが今後の日記でやる予定なので簡潔に書き記すと、自分のことで精一杯なのに他人のことを考えすぎた結果そうなってしまった。
もしくは、まだ"社害"が完全に治っていなかったという可能性も考えられる。
おそらくというか自分の中ではまちがいなく前者だと考えている。
この文章をここまで書くのにかなり体力をつかってしまって疲れた(笑)ので、今日はここで切り上げて、次回以降再び「自己」精神分析をしよう。
最後に、哲学日記の中でも触れた派遣のバイトに行った日のことを書こうと思う。
派遣のバイトはスマホやタブレット周りの商品を棚から選び取ってただプラスチック製の箱に詰めるだけというごく簡単な仕事だった。
場所は家の近所といわけではなく50分ほどかけて行かなくてはいけない場所にあった。
正直言って、僕のような精神疾患を持っていない人にとっては楽すぎて困ってしまうような仕事だと思う。だが、この時の僕にとってはめちゃくちゃ辛かった。
あと、もっと辛かったのは仕事が終わって派遣先の工場から帰る時だった。帰りは無料のバスが出ていてそれで最寄りの駅まで行くことになっていた。行きもそのバスで工場へと向かった。
行きは乗る人が少なくてすぐに乗れたから良かったが、帰りはちょうど仕事が終わる時間だったためにバスを待っている長蛇の列ができていた。僕も当然並ぼうと思った。そして、2台目のバスを待っていたが、このあとある本屋のバイトに間に合うかなという不安と精神的に不安定だったので列に並ぶのも辛かった。だから歩いて駅まで向かおうと思った。
地図でどこらへに駅があるかなと調べたら割と近くにあったので頑張って歩くことにした。歩いて20分くらいだった。
外を出ると人が全くいない工場が周りにひしめくとても無機質な風景が広がっていた。工場から漏れている光しかなくて暗かった。すごく怖くて孤独感に襲われた。暗い道を歩くことに抵抗はない方だけれど、工場に囲まれた人気がなくたくさんのトラックと頼りない街灯しか無いあの場所は苦手だなと思った。もう二度とあの場所を夜に歩きたくない。
工場が醸し出すあの感じはなんなのだろう。何とも言えない怖さのようなものがある。
確かこの日はコートを着ていたけれど、かなり寒かったのを覚えている。手袋を持っていなかったのを後悔した気がする。工場で精神的にギリギリの状態で働いてとても疲れていた上に寒かったし、次のバイトに間に合うために一刻も早くこの場所から離れたかった。だから、自分ができる1番早い歩き方で歩いた。なんな色々と条件が最悪だった。もう最悪すぎて訳が分からなかった。とりあえずある駅まで歩くしかなかった。
駅にやっと着くと携帯で何時にバイト先に着くか調べた。この日は20時からのシフトに入っていたのだけれど、ギリギリ間に合いそうだった。
電車の中では携帯すらいじらなかった。とりあえず疲れをできる限り軽減するために目を閉じて寝ようと試みた。
バイト先の最寄り駅まで後数駅のところで別の電車に乗り換える必要があった。ホームで電車を待っていたが、なぜか電車が混みすぎていて乗れそうになかった。ホームは人で溢れかえっていた。バイトの時間まであと10分くらい。まずいなと思った。もう歩くしかないかと思った。歩いていける距離ではあるか、絶対に間に合わないことはわかっていた、30分以上はかかる。そしたら、残された選択肢はタクシーしかなかった。
タクシーに乗ると決め携帯に入っているタクシーを呼ぶアプリを開いて場所を指定してしばらくまった。その間に仕事の後の空腹を満たすため、駅を出てすぐのところにあったコンビニに入り、おにぎりとチキン、お茶を買った。まだ、タクシーは来ないのでその間にバイト先に遅れることを連絡しようと思い、すぐに電話をした。
コンビニでしばらく待っているとタクシーが到着したという通知が来た。
乗り込むと場所を運転者さんに告げた。タクシーに乗っている間はとても居心地が悪かった。2人しかいない空間はこの時の僕にとってはとてもキツくて、なんとも表現しにくいが張り詰めた緊張感のようなものを僕が醸し出していてそれを相手も気づいていてとても居心地の悪そうにしていた。ただの勘違いとかだったら良いのだけれども、絶対そうではないことは分かっていて申し訳ないなという気持ちでいっぱいだった。
そして、お店の付近まで来てその前で降ろしてほしいところだったが、そこの大通りは車が止めれなかった。だが、たまたま信号が赤だったので脇には逸れず信号待ちの中、運転手さんがいまだったら降りれますよと言い、僕も急いでいたのでクレジットカードで代金を支払い、すぐ近くのバイト先までダッシュで向かった。もう10分ほど遅れている。
急いでお店に入り事務所まで向かう。入ると遅れたことを謝り、出勤ボタンを押して急いで働く準備をした。
僕が準備をしていると、中にいた女性スタッフはお疲れ様でしたと言い帰って行った。本当は8時までの勤務だったのに申し訳ないなと思った。事務所に僕1人だけになる。
働く準備ができ、2時間頑張って働こうと思ったが、精神疾患の症状がでていて辛いのと工場での勤務の疲れも少しあったので、働けるような状態ではなかった。正直前の仕事の疲れが原因でというよりも精神的に無理だった。
だから、もう1人のアルバイトの子に体調が悪いから裏で休んでいて良いかと聞き、事務所で休ませてもらうことにした。椅子に座って休みながら、今日は1人で電車に乗って帰れそうにないなと思い、父親にラインをした。迎えに来てほしいと送ったらちょうど仕事が終わったところらしく来てくれてることになった。
休んでいると9時過ぎになってしまい返品作業をしなくてはいけなかったので、とりあえず裏でできることをやろうと思い作業をした。とても体が重くて返品作業をするのもギリギリだった。
この日は一回もレジにはいらなかった。ほとんど裏にいて休んでいるしかなかった。閉店の時間になり、締め作業は2人でした。
終わってお店の玄関を閉めお互いお疲れ様でしたと言い別れた。僕は店の近くにいる父親と落ち合うためにとりあえずお店の前で待った。
父親と合流すると、彼は電車で帰るつもりだったのかすぐそばの地下鉄の入口へと歩き始めた。僕はその時電車のような場所はとても苦手で乗りたくなかったので別の方法で帰りたいと伝えた。タクシーは高いから当然無理で、そうなると歩いて帰るしかなかった。ただ、バイト先から家まで歩いて帰れるような距離ではなく、10キロはある上に2時間くらい歩かないといけない距離間だった。でも、電車に乗って帰るよりはそっちの方が僕にとっては楽だった。迎えに来てくれただけで感謝しないといけないのに、僕の症状のことを顧慮してわざわざ仕事終わりで疲れている中一緒に歩いてくれた。今考えると本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
仕事が終わってお腹も空いていたから途中でコンビニによってご飯を買い、それを食べながら2人で色々と話した。
話したことをここで書いておきたいが、長くなってしまうのと、あまり良い話ではないし、2人で熱く語りすぎて何を話したか覚えていないといのが正直なところだ。
無事に家に着いたが、もうとっくに日付が変わっていた。足もかなり疲弊していてた。この頃は歩けたが、今これをやったら絶対に足がもたなかったと思う。
ここまで書いて気持ち的にスッキリはしたが、とても疲れた。こういうことを書くのはとても精神的な体力が必要だ。
僕は哲学日記のなかで"自己"精神分析と書いているが、しっかり自分のことを精神分析できているかと言われたらできていないと思うし、それをするにはもっと知識が必要なのは言うまでもない。
フロイトもラカンも、木村敏もおそらく他者の治療をする精神科医である前に、自分が医者となり自分自身を治療する患者であったはずだ。
僕は精神科医になるつもりはないが、自分という未知の存在を研究・探究することで僕自身の思想体系が出来上がるのではないかと思う。そしてそこから新しい発見がたくさん見つかるのではないだろうか。
ここまで、飛ばさずに呼んでくれた方がいたら本当に感謝したい。こんな読むに耐えない僕の文章を読んでくれてありがとう。そしてこれからも応援してくれると嬉しい。
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