マガジンのカバー画像

少年Bのエッセイ・コラム

68
少年Bがnoteで書いたエッセイやコラムです。
運営しているクリエイター

#note

変わるわたしと「自分らしさ」

友人から「Bさん、変わったよね」と言われた。

自分でも、変わった自覚はある。ただ、自分はポジティブに。その言葉を発した友人はややネガティブな意味合いでその変化を捉えていたようだ。「変わった」というのはつまり、人から見た「自分らしさ」が変化したということだろう。でも、自分らしさっていったいどういうものなんだろうか。

わたしは、自分のことを短気だと思う。「小さなことでも、すぐにカチンとくるんですよ

もっとみる
価値観のものさし、使い分けてもいいよね

価値観のものさし、使い分けてもいいよね

「自分のものさしが大事だ」

わたしがnoteでよく書いている言葉である。
「みんないますぐ文具屋に行ってマイものさしを買え」という意味ではなくて、自分なりに「自分の評価基準」を作ろうよ、ということだ。知ってるわ。

他人の評価ってのはブラックボックスだ。例えば、noteのオススメなんかもそうでしょう。noteはいまや、1日に1万件以上の投稿数があるという。人力でピックしている以上、すべての投稿を

もっとみる
「わたしの幸せ」をかたちにしたいから、さ

「わたしの幸せ」をかたちにしたいから、さ

書いているものに統一性がない。

「ライターをしています。」というとだいたい「どういうものを書かれているんですか?」と聞かれる。これがまぁ、じつにこまる。
おもしろおかしいバカな記事だったり、交通関係の記事だったり、グルメに散歩、旅行にインタビュー。メンタル系のコラムも書けば、さいきんではプログラミングの記事も書いた。いったいなにがしたいんだこいつは。自分でもそう思う。

noteにしたって、基本

もっとみる
ウェブ記事の名義についての個人的すぎる考察

ウェブ記事の名義についての個人的すぎる考察

ウェブ上になんらかの文章を発表するにおいて、まず悩むことはなんだろうか。
エッセイにするのか、それともレポートにするのかといった体裁だったり、題材の選びかた、文章力を上げる方法……とまぁいろいろあるけども、まずは「名義」ではないかと思う。

たとえば、すでになんらかの仕事をしていて、それと結びつけて文章を書きたいひとは本名一択であろう。お店の経営者だったり、デザイナーだったり、会社の要職についてい

もっとみる
文章力がなくても「いい文章」は書けるんじゃないか

文章力がなくても「いい文章」は書けるんじゃないか

「ライターが足りない」という話をよく聞く。

先週も聞いたばっかりだ。どうやら、ウェブメディアにおいてライターという職業は全体的に人手不足らしい。
その割に「ウェブライターになりたい!」というひとも同じくらいよく見るような気がする。

じゃあなんでそこがマッチングしないんだろう。そこにはたぶん、「ライター」という仕事に対する認識の差が大きいような気がする。
なので、「基本のk」ではあるんだけど、求

もっとみる
ライターになった経緯と仕事の取りかた

ライターになった経緯と仕事の取りかた

フリーライターをしています。

と言うと、よくクラウドソーシングの話を振られることが多いのだけど、ざんねんながらそういうサービスは使ったことがない。
仕事依頼のページに載っている仕事がわたしのすべて。すべて記名で、ありがたいことに指名をいただいて記事を書いている。

「すごいですね!」と言っていただけることもあるけども、ぶっちゃけぜんぜん稼げていない。生計が立っていないので、まったくすごくない。単

もっとみる
あくまでも、1対1の関係性を。

あくまでも、1対1の関係性を。

世のなかには2種類の人間がいる。
「なるべくして成った」人間と「なんとなくなってしまった人間」だ。

なんか自己啓発本の書き出しみたいになってしまったのだけど、これはあると思っている。なんなら、ひとりの人間に対しても「なるべくして成った」一面と「なんとなくなってしまった」部分が同居しているはずなのだ。

ありがたいことに、ライターとして活動をさせていただいている。
でも、最初にSNSを始めた理由は

もっとみる
例えば、僕が歌えなくなったとしても

例えば、僕が歌えなくなったとしても

ライターをしています。

というのが、さいきん自己紹介で定番になっている。
事実だし、単純にわかりやすくて、なんとなくひとの興味を惹く仕事なので、基本的には外さない自己紹介だ。便利なのでよく使っている。
でも、実際のところ、「ライターであること」にはそんなにアイデンティティがない。

noteもTwitterも、「運用どうなってるんですか?」と聞かれることがある。
世間一般の「ライターらしい」ふる

もっとみる

あなたはいま、書くのがたのしいですか?

ちょこっと思うところがあって書いてみますよ。

このタイトルにYes!と答えたひと、ハッピー!いいねいいね。そのまま書きまくってほしい。あなたにこのnoteは必要ないです。ほらほら、帰った帰った!

でも、ちょっと即答できないひと。Noと答えたくなっちゃったひと。
どうしてそう思うんだろう。ちょっといくつか想定した答えと、それに対する回答を持ってきたので書きます。メンタル中心だけど、技術論もちょこ

もっとみる
人間関係、ベン図でよくない?

人間関係、ベン図でよくない?

さいきん、なんでも共感をしなきゃいけない、させなきゃいけないような空気があるように思う。共感がいたるところで氾濫している。共感の過剰供給と言ってもいい。

たしかに、人間はひとりでは生きていけない。だからこそ、なにかに属し、なにかと繋がっていかなければならない。でも、ここんとこすこしばかりその力がつよすぎるように感じている。
否定をせず、相手に合わせて受け取らなくてはならない空気。自分と相手の円が

もっとみる

想像よりも、人生はかんたんに変わる

人生が、目まぐるしく変わっていく。

高校を卒業して入った学校は、介護の専門学校だった。介護士として8年勤めたあと建築士になり、退職をして現在はフリーライターになっている。

方向転換が急すぎる。
高校生のころはもちろん、1年前でさえ、いまの自分は見えていなかった。
「きっと 想像した以上に 騒がしい未来が僕を待ってる」と歌っていたのはスピッツだけど、いくらなんでも騒がしすぎるんじゃないかと思う。

もっとみる
他人のつらい話に共感ができない

他人のつらい話に共感ができない

と言うと、「冷たいひとだねぇ」と言われる。

まぁ、そうか。そりゃあそうだよな。
世はまさに大共感時代。なんて勝手に思っているのだけど。

人と繋がる旗印としての「共感」
インターネットが発達して、自分の好きなものを好きなときに見れるようになった。個の時代の到来。そして、SNSによって、その「個」同士がまた繋がれるようになってきた。小さな世界がたくさんある。いい時代だなぁ、と思う。

そんな小さな

もっとみる
【リレー企画】わたしがnoteを書く理由

【リレー企画】わたしがnoteを書く理由

先日、友達を通じて知り合った、竹鼻さん主催のお花見会にお邪魔してきたところ、参加者の遠山さんというかたからお題をいただいた。

遠山さんの存在はたまたま自由ポータルのおなじ回に掲載されていた「沖縄の名物おばあ」で知った。おお、すてきな文章を書くかただなぁ、という印象。あと、こういうまじめなテーマで載ることもあるんだなぁ、というのは新鮮な驚きだった。よかったらどうぞ。
ちなみにこの回、わたしは焼きそ

もっとみる
大震災と、彼の記憶

大震災と、彼の記憶

8年前。2011年の9月。わたしは宮城県の南三陸町にいた。

東日本大震災からはちょうど半年。勤めていた老人ホームを辞めたタイミングだったこともあり、震災で甚大な被害を受けたこの地に、災害ボランティアとして足を運んでいた。
滞在期間は10日間。125ccのバイクで、下道をまる2日かけてやってきた。
全行程を含めた期間は2週間だ。

一般参加者のボランティア活動はだいたい1日から、長くても3日ほど。

もっとみる