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東京とパリ


東京でひとり暮らしをすることは、幼い頃から憧れていたことのうちの1つだった。

その気持ちは強く、大学入試のときの志望校模試で「日本でおすすめの場所は?」というお題の英作文が出た際には「東京です。東京は日本の首都であり、日本中から最新のものが集まります。人がたくさんいて、建物は背が高く、歩いているだけで驚かされます。とても魅力的で、楽しい街です。」と、幼稚園児のような回答をして、30点中28点を獲得した過去を持つ。


東京は、芸能人が普通に歩いている街。テレビで紹介される美味しそうなレストランや楽しそうなスポット、「日本初上陸!」があるのはいつだって東京。日本の、世界の、トレンドを生み出す街。

スマホやLINEがやっと使われはじめたくらいだった当時の私にとって、テレビはまだまだ絶対的なメディアで、テレビの中の世界がそこら中に溢れかえる東京という街はキラッキラして見えた。




そんな私がディズニーへ行くための経由地としてではなく、東京を東京としてはじめて訪れたのは中学の時だった。私立に通っていた私には入試休みがあってその期間にうまい具合に父の出張が重なったことで、しめしめとついて行ったのだ。


父の仕事が終わるのを待って、父を引き連れて行ってみたかった原宿の竹下通りを歩いた。


記憶に残る限りで初めて行った神戸のルミナリエでは人が多くて危ないからと、肩車をしてもらった思い出がある。


初めて行った原宿はそのときのように人が多かった。もちろん私は父に肩車されることも、手を繋がれることもなかったけれど、父を見失わないように歩いた。

父は私がスカウトされるのではないかと密かに期待していたようで、ゴスロリ姿の子がスカウトマン風の男の人に声をかけられた時に「あらー残念だったねえ」なんて言った。

そんな「竹下通り」は想像よりもずっと狭くて短かった。そのぶん、お店も人も凝縮されていて、毎日がお祭りみたいな場所だなぁと、これが東京かと感心した。


その後、2〜3回東京を訪れた。

家族でのディズニー旅行のラスト1日は父と妹、私と母に分かれて東京で遊んだし、

高校時代には希望者のみの東京研修に参加して、「目標は高く持て」と強制的に見学させられた東大に加え、早稲田も訪問した。企業見学では朝日新聞と日テレに、自由行動では初めてハチ公前に行った。

企業見学の日の朝、日テレ組は出発が遅めだったから、宿泊先の麹町周辺をひとりで散歩した。上智の白いキャンパスがかっこよくて、ほえ〜と見上げた。OB・OG会のあと、外出禁止だったなか、友人と2人でこっそりとホテルを抜け出して東京タワーを見に行った。夜ご飯に困って、四谷あたりのラーメン屋さんで白スープのラーメンを食べた。


東京は訪れるたびに輝きを増す憧れの街だった。



大学入学と同時に上京することを諦めて5年。
ついに東京で就職し、ひとり暮らしすることになった。


しかし最近、私はほんとうにこれでよかったのか、と思いはじめている。



先日、遊びとしては一昨年の春ぶりに東京へ行った。


松潤の展覧会、ポンピドゥー展、ゴッホ展。

それぞれ素晴らしくて満ち足りていたはずなのに、それぞれ終わって外へ出ると歩くたびに疲れていった。

朝食や昼食を食べるために入ったお店で、注文のベルを何度鳴らしても店員同士で駄弁ってばかりで気づいてもらえなくて軽く絶望した。結局15回くらいベルを鳴らしたのち、自分の口で呼んだ。


たくさん写真を撮るだろうとカメラを持って行ったのに、絵画以外はスカイツリーを目の前にしても思っていたほど撮らなかった。



気づけばパリと比べていた。


パリではじめて本格的にひとり暮らしをした私は、日本とも7時間の時差があって、完全にひとりぼっちだった。

だけど寂しさや不安よりも、
今日はどこへ行こうなにをしよう、
今日はどんな素敵なものに出会えるんだろう、というワクワクの方が強かった。それは最初から最後まで変わらず、天気が曇りの日も雨の日も、ずっと心は晴れやかだった。

一歩足を踏み出すたびに、1秒前から50mも進んでいないというのにカメラを構えたくなった。同じものを同じ日の同じ時間帯に何枚も撮りたくなった。

毎日毎日、歩きまわっていたせいでベッドに横たわると秒で眠りにつくほどに身体は疲れていたのに、心が疲れることはなかった。もっともっともっと、1秒でも長くパリの街を歩いていたかった。

寮には湯船がなくてエブリデイ、シャワー・オンリーで、そのシャワーもトイレや洗面台と同じ、狭い空間にあって、シャワーの後には便座や床が濡れまくる。壁は薄くて、隣人のくしゃみが聞こえる。そんな部屋だったけれど、全く気にならなかった。


パリでは不思議とひとりが寂しくなかった。

他の人が行きたがらないようなところでもひとりでなら行ける。同じところに何回足を運んでも顔を顰める人はいない。エッフェル塔はどこから撮るのが1番美しいか(全部美しいけれど)を心ゆくまで探求できる。

この美しさを分かち合える人が隣に居たらいいのに、とは思ったけれど、それと寂しさは別個のものだった。



一方で、東京はひとりでいるにはあまりにも寂しすぎる街で、早く帰りたい、と思った。

景観のために低い建物がメインでどこからでも空とエッフェル塔が見えるパリとはちがって、東京は外を歩けば高層ビルばかりで空が見えず、視界が暗い。建物に見下ろされているようで、どよんとした気分になった。

それは、一昨年春の元親友との東京旅を引き摺っているからかもしれないし、今回の東京アート旅・2日目に新宿の紀伊國屋書店前で気持ち悪いスカウトを受けて怖かったからかもしれない。楽しかった記憶を負の記憶で塗り替えたくなんて、ないのに。



東京で就職して、出勤前にスタバでPCを広げてカタカタする姿を思い描いて生きてきた。実家の自分の部屋はとても汚いけれど、ほんとうに要るものだけを持っていく東京の新居は整理された本棚と整頓されたデスクのあるおしゃれな綺麗な家にするんだ、と決めていた。外食すると高いから、1人の日の夜ご飯は基本自炊して、たまにパンやお菓子を作ったりして、休みの日にはカフェ巡りを楽しむような暮らしにしようと思っていた。


だから、いまさらのように東京に対して抱いたマイナスな感情を認めたくなんてなかった。



そうこうしている間に、提携不動産から物件情報が解禁されて、「ここに住みたい!」と思える家や地域を見つけて。「あ、ここに住んだら思い描いていたような生活ができるかもな」って、また東京暮らしを前向きに捉えられるようになったと思ったのに。SUUMOや不動産のサイトには掲載してあるくせに、不動産に問い合わせたら「もう空いてません」と言われることを、この1週間、嫌というほど繰り返して。審査は99.9%落とされることはない、と言われているのに、審査の前段階で就活よりも落とされているだなんて、絶望しかない。


2日に一度は東京が嫌になって、
次の2日でまた東京での暮らしを夢見ている。


手帳はこれまでずっと「ほぼ日Weeks」派だったけれど、今年から仕事もプライベートも1冊で管理したくて「SUNNY手帳 WEEKLY」に変えた。今のところすごく使いやすくて、なんでも書きたくなるし、選んだイエローはSUNNY手帳のキーカラーで気分も晴れる。


「東京のおいしいお店、すてきな場所をみつける」
「東京で新しい友達をつくる」


そんな、2024年の手帳に書いたWISH。


絶対絶対、叶えてみせる。


東京は、これから私が生きてゆく街なのだから。









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