憧れで終わらせなくて、よかった。
パリに来て、もうすぐ2週間。
毎日、どこに行こう、何をしよう、何を買おう、しか考えていない。ここにきてからの1日は、日本の日常の1週間分くらいの濃さをしている。
話したいこと、伝えたいこと、知ってほしいことが、たくさんある。
だけどまずは、今しか書けないことを。
***
物心ついた頃から私の夢の国はディズニーランドではなく、パリだった。
パリはきっと、とにかくおしゃれで、華やかで、美しいところなのだろうとずっと思って生きてきた。
だけどここに来た日に、この街は「きれいではない」と思った。
みなさんご存知の、凱旋門に続くシャンゼリゼ通りにも、パリ最古のターミナル駅であるサン=ラザール駅周辺にも、たくさんダンボール生活の人がいる。初日にオルセー美術館の前を歩いているときにも「お金ください」といったことを書いた紙コップを片手に土下座している人を数人見かけたし、メトロに乗っていて、一度「恵んでください」といったこと話かけられたこともある。今日は駅のホームで寝ている人を見かけた。
スリとか詐欺とかという観点でいくとラグビーW杯が近いこともあって、毎日乗るメトロでは「お持ちのバッグ、携帯電話、貴重品の管理には十分にお気をつけください」と日本語でアナウンスが入るし、ここのところ毎日、メトロの乗車口でRATP(国鉄)の人が各ドアに1人ずつ立っている。
初日にはチュイルリー公園でブラウニーを食べていたら「耳の聞こえない人のために寄付の署名をしてください」と声をかけられた。Sorryと断った。(隣のマダムも無視していておそらくヤバイやつだったので、きっとこの判断は正しかった。)
サン=ラザール駅では、改札の柵をよじ登っていた人をみた。きっと彼は、無賃乗車をするのであろう。ちなみにモン・サン・ミシェルからの帰りのTGV(新幹線)では、窓側のソロの席を予約したはずなのに隣に人がいた。なぜだろう?と不思議に思っていると、チケットチェックにきた車掌さんと揉めはじめて、どうやら私の席の横に座っていた人は無賃乗車だったことがわかった。
カフェにはよくハチがいて、売っているお菓子やパンのショーケースの中にハチがたくさんいることもある。
寮の前の道は、私がパリに到着した日、ゴミが回収されていなかった。そして毎日、帰ってくると"黒人のヤンキー"みたいな人たちがいて、ちょっと怖い。
道を歩いて、喫煙者が普通に路上喫煙していることやゴミのせいで臭いこともあれば、目の前の人の体臭や香水で臭いこともある。
だけど、どうか、ここまでの話で「治安が悪い街だ」とか「不潔な街だ」とか「危ない街だ」と思いこまないでほしい。
正直、私は聞いていたほど「治安が悪い街だ」「怖い街だ」とは思っていない。
先ほど書いたようなダンボール生活の人や"黒人のヤンキー"みたいな人たちのほとんどは、私たちに近づいてこない。モン・サン・ミシェルに行った日、帰りのバスが1時間遅れ、予約していたTGV(新幹線)に乗れず1本遅いTGVに乗った。その結果、危ない駅と言われているパリモンパルナス駅に着いたのは23:05だったし、寮に帰った時間は23:30をまわっていた。だけど、スリの人もダンボール生活の人も見かけなかった。"黒人のヤンキー"みたいな人も、ダンボール生活の人も、日本ではうまく隠され、避けられていて、フランスでは見える形で存在している。ただそれだけのこと。そして彼らは彼らなりに一生懸命生きているだけだ。
「フランス人、とりわけパリジャン・パリジェンヌは英語で話してくれない」と日本でよく聞いたけれど、英語で話してくれるのは当たり前でたまに「ありがとう」とか「おはよう」とか、日本語で話そうとしてくれる人までいる。ルーブルには日本人じゃないのに完全に日本語で案内できるスタッフまでいた。
たまたま、私が出会う人たちが優しいだけかもしれない。たまたま、治安が悪いところに足を突っ込んでいないだけかもしれない。フランス語がほとんどわからないから、英会話力が低いから、知らずに済んでいることがたくさんあるのかもしれない。
それでも1週間と少し過ごしてきた私にとっての真実は今書いた通り。
ここの人たちの優しさや美しい街並みに触れるたび、嬉しすぎて心が震えて泣きそうになる。きれいとか、清潔じゃないとか、治安とか、そんなこと、どうでもいい。どうでもよくなるくらい、この国は、この街は、どうしようもなく美しい。
ただ街を歩いているだけで、写真や動画で眺めているだけだった”憧れたちのほんもの”がそこらじゅうにあって心が躍るんだ。それが何なのかはわからないけれどなぜか美しいと感じるもの、とにかく心揺さぶられてカメラを向けたくなるようなものが、たくさんあるんだ。パリで、パリから見た日本を感じるたびに、パリと日本が相思相愛なようで嬉しいんだ。毎日毎日、生きてここに立てていることに感謝するんだ。こんな景色、こんな気持ち、ここに来なければ一生知らないままだった。
綺麗事に見えるかもしれないけれど、私をここに連れてきてくれたすべてのものに感謝したい。
私に夢をくれたパリという街。
最終面接で内定をくれた内定先の人事部長の人。
滞在費を稼がせてくれたバイト先。
だけどやっぱりなによりも、応援してくれたnoterさんたち、友達、彼、家族、親戚、ゼミの教授。
ありがとう。
すべてを知った今でも思う。私が憧れ続けた街は、憧れてしかるべき街だったと。
もっとはやく、この街を知って、日本に帰ってフランス語をもっと勉強して、再び戻るタイミングが今であってほしかったとも思う。
だけど、マハさんでアートを知った今だからこその景色がある。
マハさんに出会ったあの時からすでにはじまっていて、私はこのタイミングでここに来る運命だったんだ、なんてロマンチックなことを思ってしまう。そう思うとやっぱり、今でよかった。
やっぱりここは、私の夢の国だ。
***
初日にエッフェル塔の前に辿り着いたときに浮かんだ言葉は「やっと会えた」。
そのとき思ったんだ。
ほんの少しの勇気と努力で実行できることは、ぜんぶ叶えてみせる。
そんな人生にしようって。
女優になりたいとか、水泳選手になりたいとか、非現実的で才能がないと叶わない「夢」を叶えた先にはきっと素晴らしい景色が待っているけれど、東京で暮らしたいとか、パリに行きたいとか、現実的である程度 努力で叶えられるような「ただの目標」「憧れ」は叶えた先で色を失うんじゃないかと思っていた。
でも、それはまちがっていたらしい。
きっと、そもそも「夢」と「目標」に境目なんてなかった。
だってほら、夢の続きから見る景色は、こんなにも美しい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?