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私が占い師になったワケ(闘病記⑭障害者雇用の面接に落ちた日 27歳)

20代の中頃になると私はよく友達を誘って都内の占い館へ足を運んだ。

そしてこの時はまだ漠然ではあるが「先生のような占い師になりたいな」と思ったいたのだが。

ある日突然、ネットで知り合った占い師に(とは言えどもちゃんとタロット本も出版している)1度自宅に来るようにと誘われ足を運んだら、私が幼少期より患っている病気のことを知るなり、すぐさま新興宗教を勧められた。

今ならば自分自身がプロの占い師なので、周囲には相談できる相手も沢山いるが、その当時の私は占い師になりたければ誰もが皆、新興宗教に入らなければならないのか、と思っていた。

もちろんそんなはずもなく、お金が底をつき、たった2年で実家へ戻らなければならなくなった私はこのことを理由にこちらの占い館で働くことを断ったことがある。

とにかく20代の頃、東京で生活していた時は、大変だった。

引っ越した時期が悪かったと言うこともあり、群馬から東京へ引っ越した翌日に右足の骨が融け始め、都内の大学病院へ通っていたら、通院するたびに毎回嘔吐を繰り返すようになり、のちにこの病院で院内感染があったことが判明。

今思えば、東京で暮らしていた2年間は、謎の咳にも悩まされ、足が悪かった私は、2か月ほど歌舞伎町の入り口にあったコーヒーショップで働いていたが。

これ以上、立ち仕事は無理だと思った為、何か座って働ける仕事はないだろうか、と友達に相談するとコールセンターの仕事を紹介してくれた。

それから毎日のように新宿のオフィスで働いたが、働き出して1年が経った頃だろうか。

私は昼夜問わず原因不明の咳に悩まされることとなった。

もちろんあまりにも酷い咳だったので、病院でも結核を疑われ、結核の検査もおこなったが、すべて陰性。

もしかしたら大学病院がテレビで謝罪会見を開いているのを見て、あの時の咳は感染症だったのかもしれないと思ったこともあったが、私のまわりで咳がうつったような人は誰もおらず。

結局のところ、よくわからないまま、時は過ぎた。

都内の総合病院の整形外科では足根骨に注射をしてもらい、右足の手術も勧められたが、半年も入院しなければならないと言われたので、当然のことながらそんなお金はどこにもなかったので断ったことがある。

またそれと同時に大学病院では潰瘍性大腸炎の疑いや甲状腺の疑いをかけられたり、採血では研修医の練習台になったりして、手の甲の血管で10本くらい一気に採血をしたら、右手首から上の感覚がまったくなくなってしまったこともあった。

とにかくこの当時の私はバス代も節約し、病院まで自転車で通っていたのだが、どうしても足の調子が悪く、バスに乗った際、80代くらいのおじいっちゃんが私に席を譲ってくれたことがあった。

若いのに杖をついていたからだろう。

それでも私は「大丈夫ですよ」とお断りすると「私は年寄りですが、こう見えてもどこも悪くないのですよ。だからあなたが座りなさい」と言って吉祥寺からの帰り道。

席を譲ってもらったことを覚えている。

私も歳を取ったら、あんな人になりたいな、と思った。

東京から群馬に戻ると、身体障害者手帳の交付と同時に特定疾患の診断もついたこともあり、健常者として普通に働くと言う選択肢はなくなってしまった。

そのため、ハローワークに足を運んだり、市役所の福祉課へ行くと、障害者雇用の面接を勧められた。

だがしかし以前にも書いたように私は下肢に障害があるのだが、その当時の日記を見直しても週に3日以上は病院へ通っており、週に5日働けるような状態ではなかった為、面接は全部落とされてしまった。

それでも一緒に付き添ってくれた職員の人は良い方だったので「鈴木さん、諦めずに頑張りましょう」と言って励ましてくれたが。

当時から気の短い私は、もう二度と障害者雇用の面接は受けないと決めた。

そこで思いついたのが、占い師になる道なのだが、25歳くらいの時から独学で勉強はしているものの、どうすればいったいプロの占い師になれば良いのか、まったくわからなかったので、私は以前に東京へ住んでいた時、鑑定をしてくれた2人の先生に会いに行った。

先生たちは当時「カリスマ占い師」と呼ばれており、占い師を夢見る私にとっては憧れの存在だったのだが、2人も自分のペースで仕事のできる占い業を勧められ、1人の先生が「ルネ・ヴァン・ダール研究所ならば、通信でも受講できるよ」と教えてくれた。

この時の私にもう迷いはなかった。

私はすぐさま研究所の門を叩いたと言うことは言うまでもない。

その後、私はプロの占い師になり「あのとき障害者雇用として今すぐ採用はできなくてごめんね」と断られたお店のイベントに「占い師 鈴木あろは」として呼ばれたことがあった。

イベント終了後、主催者の方にこのときのエピソードを話に行くと、当時のことを思い出したようで「あなたがそのときの鈴木さんなのね」と言ってくださった。

「まさか自分が会いたかった占い師さんがあの時の鈴木さんだったなんて」と言って喜んでくれた。

ちなみにプロの占い師になってから、一緒の雑誌に載ることもあったので、あのとき私に占いの道を勧めてくれた先生に会いに行くと、私が「鈴木あろは」というおかしな名前を名乗っている為、菓子折りを持って事務所へご挨拶へ行くと開口一番。

「あなた、意外にちゃんとしているのね」と言った。

この時鑑定も申し込んでいたのでお願いすると先生は「同業者価格で良いわよ」と言い、「でも、私はまだ占い師になったばかりなので、ちゃんとした鑑定料金をお支払いします」と言うと「1年目だって、10年目だって、プロはプロよ。だからあなたもしっかりやりなさい」と言って背中を押してくれた。

「カリスマ占い師」という理由が手に取るようにわかった瞬間である。


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