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私が占い師になったワケ(闘病記④専門学生時代)

私は小さい頃から音楽が大好きだった。

小学生の頃、担任の先生が「あろはちゃんは歌がとてもお上手ね」と
褒めてくれたのがきっかけだ。

幼稚園の頃からエレクトーンを習い始め、小学生の頃はマーチンバンドでありとあらゆる楽器を担当し、足が悪いのにも関わらず、指揮者も担当していた。

中学生時代になると、吹奏楽部でフルートを吹き、それと同時にバンドブームが到来。

ベースやギター、そしてシンセサイザーにハマり、中学生の頃はGONTITIがやっていたテレビ東京の番組で私の歌詞が採用されて、人生初のドッキリ番組に引っかかった。

これがきっかけとなり日本のこぎり音楽協会に入会。
ミュージカルソウと出会う。

高校の頃は渋谷にあった音楽出版の部長に可愛がられ、よく歌詞を書いていた。

そのため、専門学校は東京を選んだ。

群馬から東京までの片道は約2時間半。

今、思えば、週に5日の長距離通学は、足の悪い私にとっては間違いだったと思う。

なぜならば通い出してから1か月もしないうちに私の体重は何もしなくても5kgも減ってしまい、通い続けている間、増えることはなかった。

その当時はよく学校が終わり、自宅に戻って来ると、時間外ではあったが、内科の外来で毎日のように点滴を打つことが多くなっていった。

その時の主治医は「痩せすぎているから病気になったのではないか」と言ったが、ステロイド太りをした今でも病気は治っていないのだから、瘦せ過ぎていたことは関係ないのだろう。

とにかく10代で毎日のようにステロイドを打つと言うこと自体がおかしな話なのだが、この頃の私は点滴をすると少し体調が良くなり、次の日もまた東京の専門学校に通えると思うと、打たないと言う選択肢はなかった。

ちなみに今だからこそ病気のこと私はすべて包み隠さずに話しているが、この頃の私はどんなに親しい人に「なんで足を引きずっているの?」と聞かれても、「ただの捻挫だよ」ということにして、決して本当のことを言うことはなかった。

どうせそのうち大人になれば治るのだから、という主治医の言葉を信じて疑わなかったのだろう。

とにかく自分が病気を患っているなんて誰にも知られたくはなかったのだ。


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