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再会。『アルケミスト』

久しぶりにnoteを書こうという気持ちになった。

4月の引越し後、色々とあった。
その色々を書こうと思うと、本題に辿りつけそうな気がしないのでやめておこう。笑

ざっくり言うと、長年の独り暮らしを辞めて東京から栃木の実家に帰り、1ヶ月半は地元の温泉地のホテルで住み込みバイト(リゾートバイトという名のだけど浮かれたその名前とは真逆にかなり過酷だった…笑)をしていた。過酷だったけど、ある意味良い経験をしたし、色んな人達(生い立ち・生き方)に出逢えたので、その事についてはまた後で書きたいなと思う。

今は実家のぶどう農園が忙しい時期を迎えたため、その手伝いをしている。

東京から栃木に帰っての3ヶ月間。
リゾートバイト以外の期間は割とのんびり過ごせていたけれど、何だか常に気持ちのモヤモヤがあった。

大好きなアーティストのライブや友達に会いに行くために何度か東京に行った。
私の家から東京は電車で2時間半くらいで行けてしまうけれど、東京に行く度、以前ひとり暮らししていた小さな家がとても恋しくなった。

両親は私が実家に帰ってきてくれて嬉しそうではあるけれど、独り暮らし歴が長く独りが好きな私は、両親とは離れている方が優しくできるな、と実感している。笑

気持ちもアップダウンがなかなか激しく、「私はフリーダムだ!これからリゾートバイトで色んな土地で旅するように働くぞ~!」とテンションが上がっている時と、「良い歳して仕事も就いてなくて、独り身で、今後私はどうなっちゃうんだ…」とゾンビのようになる時があった。
(友達の間で続々と結婚・妊娠のニュースがあり、嬉しい反面、進んでいる友達と自分だけひとり止まっているような感覚に陥ってしまう事があった)

躁鬱なのか?と思うような自分の気持ちのアップダウン。
そしてゾンビの時に両親に優しくできないと自己嫌悪になってしまう悪循環。

ぶどう仕事が忙しい時はとにかくぶどう仕事を無心でできたので助かった。
ぶどうの粒をプチプチとハサミで切り落とす作業は本当に無心になれる。

そして収穫の時期を迎える前に一瞬忙しさが落ち着く時期がある。
それが今なのだけど、とにかく一人になりたくて、家から近くのスタバに逃げ込もうという気持ちになった。
スマホも触りたくなくて、何か本が必要だと思って、実家の本棚を久しぶりに漁った。

その時に見つけて手にしたのが
『アルケミスト』だ。




私が初めてこの本を読んだのは大学生。
大学の時にアルケミストというアーティストを知り、そのアーティストの歌をよく聴いていた。

そしてある日本屋をプラプラしていた時、偶然そのアーティストと同じ名前の本を見つけた。
当時私はアルケミストという言葉の意味もよく知らなかったし、購入した理由はただそれだけだった。

羊飼いの少年が冒険して宝物を探しに行くのだけど、実は宝物は自分のすぐそばに―

というざっくりした内容しか覚えてなかったし、あまり心に響いた本という印象はなかった。
けれど、何となく不思議な本という印象があった。
私はたまに再読してみる本はあるものの、この本特に再読したいな、と思い出す本ではなかった。

本にホコリがかぶっていたので、パラパラとホコリを落とし、カバンの中に突っ込んで家を出た。

スタバに着くと、クリームをトッピングしたコーヒーを頼んだ。
席に着いてクリームを一口。コーヒーを一口。
鬱々としていた気持ちが、ほんのり甘いクリームとコーヒーで少しほぐされた。

本はパラパラとめくってみるだけのつもりで、あまり内容に期待はしていなかったし、その日に全部読み終えるつもりはなかった。
けれど一度本を開いて読み始めると、私のページをめくる手は止まらなかった。
あっという間に全部読み終えていた。




読んでいる間、私は自分を羊飼いの少年に重ねていた。
羊飼いと一緒に長い長い旅をしていた。

少年は錬金術師やそれ以外にも何人かの賢人と出逢うのだけれど、その人達の言葉が少年に響くように私の胸にもすっと響いた。

少年との旅が終わり、読み終わった後、私の鬱々とした気持ちはどこかへいっていた。

目の前が開けた感覚。

この本に再会できて良かったと思った。

私はこの本を本当の意味で読んだ、と言えるのはこれが初めてだ、と思った。


大学生の私にはきっとこの本は難しかったんだと思う。
きっと賢人達の言葉があまり理解ができなかっただろうし、少年の行動やこの本の1番大切な部分も分からず読んでいたと思う。
だから読んで良かった本!という記憶はなかった。

けれど、何だか大切なものが隠されている感覚はあって、不思議な本、という印象だけ残っていたのかな。


今の私も決して、この本の内容や賢人達の言葉の全てを理解した訳ではないと思う。
けれど、今の私だからこの本が少し分かるようになったし読めるようになった。
今の私だから、この少年と自分が重なり、賢人達の言葉を受け取ることができた。

そんな感覚。





少年は旅の中で自分の心と深く深く対話をするようになった。

私が今、心から最もしたいのはそれだった。
私は私の心と対話がしたかったのだ。

心は私と対話がしたかったのに、心が叫んでいたのに、私はそれを避けるようにしていた。

ここ2・3年、ようやくそれに気付いて、少しは心の声に耳をすませて対話できるようになっていたのに、少しずつ声を大きくしてくれて仲良くなっていたのに、最近の私はまた心の声を無視していた。

私の心は私がずっと無視したり否定したり、押し込めようとしてきてしまったから、だいぶ声が小さいし捻くれてしまっているところがある。

少し仲良くなれたと思ったけど、また私が前の私のように無視したりしていたから、今回も「聞いてくれないならもういいよ」と奥にもぐり込んでしまっていたのだろう。

モヤモヤや鬱々の原因はそこだった。

少年は旅の中でたくさんの学びを得ていた。
「前兆に従うこと」
「何かを強く望めば宇宙のすべてが協力して実現するように助けてくれること」
「神の魂は彼自身の魂であること」―。


思えば、私にも私なりの夢があり、思い返してみるとその夢の方を示してくれている前兆があったように思う。
けれど、私は夢を叶えることに臆病になっていて、その前兆をただの偶然、気のせいだと思うようにしていた。

人々にとって夢を叶えることは怖いことでもあるのだと、この本を読んでいて分かった。
だから、人々は言い訳をして怖い思いをしないように、夢を夢のままで終わらせて、もはや夢という存在さえも見ぬふりをして死んでいく人も多いのかも知れない。


私も夢を叶えることを怖がる1人だった。


私はある賢人が言っていた言葉がとても胸に残っている。
その言葉を載せておこうと思う。

私は過去にも未来にも生きていません。
私は今だけにしか興味を持っていません。
もし常に今に心を集中していれば、幸せになれます。
人生は私たちにとってバーティーであり、お祭りでもあります。
なぜなら、人生は、今私たちが生きているこの瞬間だからです。


本を読み終えた後、目の前が開けた爽快感と、自分の心が喜んでいる感覚を少しの間噛み締めた。

そして、少ししてからあとがきを読み始めてすぐ鳥肌が立った。
この『アルケミスト』を書いたパウロ・コエーリョの『エル・アルケミスタ』が出版された年が1988年と書かれていたのだ。

1988年は私が生まれた年だ。

これも何かの前兆で運命なのかも知れない。


ただの偶然で、前兆や運命なんかじゃないかも知れないけれど、人生はパーティーでお祭りだから。

私が今、このタイミングで、この『アルケミスト』と再会できたことは、私が私の夢を旅するための導きであり前兆だと思っておこう。

そして、この本は夢の旅の道中、道に迷った時、いつでも手に取れるようにしておきたいなと思う。

人生はパーティーでお祭りだから
私は私を最高に楽しませて喜びを感じられるよう、夢の旅を始めよう。

今この瞬間を生きるために。






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