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【時を刻む】自己紹介その2 〜学生時代からFREE1YEARまで〜

noteの初回記事の簡潔な自己紹介では、「一風変わったオールラウンド型の経営者」と書いているのだが、もう少し細かくこれまでのキャリアを紹介させてもらおうと思う。これを読んでくれている人のこれからの生きかたやキャリアデザインに少しでもお役に立てたら幸いである。


未来は見通せるものなのか?

学生時代「とにかく英語はやっておきなさい」「いい大学に行って、いい会社に就職しなさい」と、言われた。しかし、中学時代にはすでに、実家の寺の本堂に憧れて(カッコいい建築)、建築家になる。と、意思表明をしていた。(近親者に建築士などいない。「なんかカッコいい」ただそれだけかもしれない)高校では、担任教師に週間ダイヤモンドの業界天気予報図を見せられて建築より→建設へなどと揶揄され、大喧嘩した記憶すらある。(今の時代なら、その指導方法は大問題になるのかも)そして現在、一級建築士という資格を持っているのだが、あの頃憧れていた建築家(それも偶像なのかも)という道の上にはいない。そう、あの頃に今の未来など見通せるはずがない。

業界天気予報図

そもそも何を見据えていたのか

いま思えば、その頃キャリアデザインという言葉はなかった気がする。学校の指導は「将来何になりたいか?(職業一覧から選択)」→「それになるための学科とは?」みたいな誘導だったし、クラスなんかも自分が得意な(成績が良い)科目から、高校時代は文系と理系に分けられた。そして、成績(試験の点数)が優秀な順番に「国公立クラス」「私立クラス」という“暗黙の了解”的なヒエラルキーが生まれ、仕分けがされていた。(これは私が生まれた田舎だからかもしれなく、都市では【お受験‼️お受験‼️】みたいなことが、その頃も繰り広げられていたのだろう。知らんけど)要するに、地方の高等教育(義務教育)は、社会接点の少なさ、職業サンプル数の少なさなどで、将来をふわっと見据えていたようで、おそらく何も見据えられてない。というのが現実だったのではないかと振り返る。

自分らしさとの衝突

そんな多感な高校時代を後にして、それでも大学は建築学科に入り、ようやく専門学として「建築学」なるものを学ぶことになるのだが、ここでも“暗黙の了解”的ヒエラルキーに出会う。入学後、研究室に所属することにより「意匠」「構造」「設備」という3分野に振り分けられるのである。だいたい「デザインの上手い人」の順序で「意匠」から選ばれていく。その時に思ったのは「デザインの上手い下手」とはなんだろうか?どこか、その学校の先生たち(どこの大学からきた教授なのかとか)の思考バランスでつくられているような空気を感じた。特に「私の心地良さとあなたの心地良さは違うよね」という、とても大切な大前提があるなかで、先生たちの主観でこっちの方がセンスがいい。と、集団作用のような思惑で、所属する研究室も決まっていく…。その不確かな論拠に翻弄されながら、さまざまな課題に向き合った大学時代。その設計課題と徹夜とバイトと麻雀とお酒とサークルに明け暮れていた記憶しかないのだけれど。結局「自分らしさ」とは何なのか?という「デザインと向き合う軸」のようなものに出会うことはなかった。

大学時代

デザインを捨てて、修行に入ることにした

なので、大学卒業後、高野山に籠ることにした。唐突だろうが、デザインに向き合えば向き合うほど、自分の幼少期の体験に遡り、実家での体験や真言宗や空海のことを理解せざるを得なくなったのである。(それも今思えば、学生らしい、超飛躍的な「逃げ道とか言い訳」のような気がするが)そして、その選択肢があることも自分らしさと言えば、自分らしさなのである。とにかく、高野山にある、円通律寺という修行寺院に「四度加行」という経験をしに行くことにした。22歳の春のことである。この修行体験のことは詳しくは口外が出来ないことになっているので、ネット情報を調べてみて欲しいのだが、「テレビ、新聞、携帯なし、毎食ご飯・味噌汁・梅干しのみ、自らの行と毎日3座の自坊お勤め・作務をする日々+座学&テスト、私語厳禁、毎日剃髪、禁煙禁酒禁欲」というルールだ。ここで、過ごした濃密な134日の修行は、とにかく、今の自分の基礎をつくってくれたことだけは間違いない。たしか修行開始時、約20人くらいいた修行者は終了時には10人だったことだけは、ここに記しても良いだろう。

修行時代

そして、バックパッカーになる

高野山での修行を終えたのが、2002年8月30日、剃髪していたスキンヘッドの頭が夏の日照りに負けそうになるなか、早々にヨーロッパ行きの計画を立てた。ロンドンから始まり、ベネルクス3国、北欧、東欧、中央ヨーロッパを通って、ギリシャ、イタリア、南欧、スペイン、(ちょっと寄り道アフリカ)ポルトガル、フランス。という旅。そう、バックパッカーである。「建築旅行にいく」という名目でル・コルビジェ、ガウディ、ミース、ゲーリー、アアルト・ロジャース、フォスター、ピアノ、ペイ、BAUHAUS等々、とにかく授業で見てきた著名な建築を自分の肌で感じたかった。その建築ができた背景、風土、文化、歴史、宗教、暮らし、食、いろんなものを感じてみたかった。その旅でのさまざまなトラブルは後日談として、総じて約半年間の単独バックパッカーは、大陸が続き国境がある新感覚と、日本の素晴らしさを再確認し、もっと日本を知りたいという欲求が強くなったことは大きい。“日本のあたりまえのほとんどが世界のあたりまえではない”ことを痛感する旅となったのは言うまでもない。

続きはまた近いうちにアップします…!

次回は【点を繋ぐ】第二弾。Dual Life Journey 糀屋総一朗さんとのラジオ音源をご紹介します。お楽しみに!

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