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歌って踊る文化とは

私の息子は5歳。
重度の自閉症で、フロリダ州立の小学校の中にある特別支援学級に3歳から通っています。

去年の秋から5歳児のクラス(当時の彼は4歳7ヶ月)にアップグレードされてすぐの数ヶ月は新しい環境になかなか馴染めず、いつも泣いていて、何度も学校の先生と専属のセラピストさんとミーティングで呼び出されていました。

ー担当の先生同士の試みで、定型発達のクラスと特別支援学級を一緒にしたクラスがスタートするー

なぜこんなに自閉症の息子が新しい環境に時間がかかってしまったかというと、各クラスの先生同士の試みで、普通の5歳の子供たちが通うPreK 5(5歳のプリスクール)のクラスと特別支援学級で5歳のクラスを一緒にするという取り組みが行われたのです。

定型発達の5歳児達、身体的、精神的に発達に問題がある5歳児たちも毎日一緒に行動するのです。
もちろん特別なケアが必要な子供には一人に一人づつ専門のセラピストが常に付きます。
それまで、息子のクラスは5~7人という小さなクラスでしたが、一気に17人の大きなクラスになり、毎日慣れ親しんだルーティンも変わったのもあってか、環境に慣れるまで時間がかかったのです。

ただ慣れてしまえば、びっくりするほど本人はその環境を楽しんでいるようで、学校のクラスメイト達からたくさんの影響を受け、それが成長の刺激になっているのは毎日、息子を見ていて手に取るように分かりました。

学校に息子を送りに行き、バイバイする時、息子が泣き出してしまったのですが、定型発達のクラスメイトの女の子が、泣き出す息子を見て駆けつけてくれて、手をつないで一緒に教室に歩こうとすると、息子はピタッと泣き止み、その子と手をつないでスタスタと歩いてクラスルームに行きました。

その後ろ姿を眺めながら、
(障害があっても、少しづつ息子は自分の人生を私の腕の外できちんと歩みだしてるんだなぁ..)
と感動したのです。

そして、ある日をきっかけに、彼はやたらと色んな人の手を握り、その人たちの手にキスをするという行動を起こし始めました。笑

(学校で誰かお友達がしてるのを見たか、してもらったんだろうか…?)
最初は本当にびっくりしましたが、彼にとってこの行為が分け隔てない、出会うすべての人たちへのお近づきのしるしになっているのです。

ーインスタグラムで毎日学校の様子を見ることができるようになるー

そのクラスになってから、担任の先生がアカウント制限をクラスメイトの保護者だけに限定しているインスタグラムを毎日たくさんアップしてくれていて、クラスで息子がどんな風に活動しているのか見ることができるのです。
(このインスタグラムアカウントの登録は事前に同意書も学校側と郡から保護者全員に配られています。もし自分の子供はインスタに載せて欲しくないという場合は、先生はその子をインスタにあげることはありません。クラスメイトの保護者以外がそのインスタをみることはできないくなっています。)

そのインスタグラムを毎日見ていて、アメリカの幼児教育ってこんなに日本と違うの?!ってびっくりさせられるのです。
母親の私は高校を卒業するまで日本で生まれて日本の教育機関で育ったので、本当にその違いは大きいです。

ー根本的に学ぶ目的が違った音楽の時間ー

日本で幼稚園の歌や踊りの時間といえば、先生がオルガンを弾きながら歌うのを、みんなで一緒に旋律に合わせて歌い、踊りといえばお手本で先生の動きを見てそれに従ってみんなで同じ振りで動くように教わります。

それが、息子のクラスでは全くないのです。

歌の時間になれば、歌専門の先生が子供達の中に入り、真ん中に座ってギターを弾いて歌を歌うのですが、そこで子供が先生に勝手に抱きついて歌い始めたり、友達同士が手をつないで勝手に声を出して歌ったり、ある子は立ち上がり自分のエモーションを体で表現しながら歌を口ずさむといった感じで、本当に個人それぞれ何をどう表現してもいいのです。

歌のリズムや音程が合ってる合ってないも全く関係なし。

踊りの時間はというと、キッズ専用の音楽(結構アップビートで大人のクラブばりの音質)と共に、教室の壁にキャラクターや歌のおじさんの画像が映し出され、先生や大人達はクラスルームの隅っこで見守ってるだけ。

もうその場は…、子供だけのクラブみたいな感じです。笑

ある子は手を壁につけて足だけで気持ちを表現し、ある子は友達と手をつないでビートに合わせてジャンプし続け、ある子は独自のステップで思いっきり感情を音楽に乗せて表現しています。

息子は子供用の椅子に座ったまま、手を叩いて
『イェーイ!イェェーイ』
と叫びながらノリノリ。

もう一人の自閉症のクラスメイトも隣の椅子に座り、上下に揺れながら音楽に身を任せています。

(子供って制限しなければこんなに自由に動いて表現できるんだなぁ..。この創造力と表現力は大人は誰も敵わない…)
と思い知らされます。

音楽に興味ない子は全く興味なし。
それでも放置。

先生が笑いながら『もっとやれーっ』て叫んでいた画像がインスタグラムでアップされていたのですが、一人の視覚障害があるラテン系のクラスメイトの男の子は、エレクトリックな音楽が鳴り始めた途端に一人だけ立ち上がり、立派にサルサのステップを踏みながら、両手を思いっきり振り回していました。
それを見て興奮した生徒数人も立ち上がり、それぞれ自由に踊り出していました。

音楽の時間が、
”大人の動きを真似て、みんなで一緒に合わせたり、歌もみんなで一つの旋律を上手に歌い上げるという目的では一切ない”
ということに私は驚きを隠せないのです。

その音楽という時間は、
"思いっきり自分の感情を自由に音楽にのせて表現する時間"
なのです。

もしかしたら同じアメリカでも、カトリック教の私立の学校だったりするともっと違う学習内容かもしれないし、それぞれの州や学校の方針によって違うかもしれないので、アメリカの教育と一言ではまとめられないかもしれません。

これは息子が通う、ごく普通の公立の幼稚園(プレキンダーガーデン)の音楽の時間の話です。


ー私達、大人のミュージックカルチャーにもその影響が映し出されているー

この根本的な文化の違いはポップスミュージックのカルチャーにも分かりやすく映し出されていると私は勝手に思っています。

日本をはじめ、韓国や中国といったアジアのアイドルは、女の子も男の子も同じ衣装を身にまとい、みんなで同じ振り付けで踊り、一つのサビの旋律をみんなで上手に歌い上げます。

その一方でアメリカのポップスミュージックのアイドルはグループではないし(稀に、バックストリートボーイズのようなグループのアイドルも存在しますが、そんなに多くない)、たくさん色んなアーティストとコラボをします。
例えば、ジャスティンビーバーの楽曲は、彼が甘くやわらかい歌声でサビの旋律を彼一人が歌い上げ、コラボする黒人のヒップホップのミュージシャン達が自分の生きて来たカルチャーを表現しながら恋や愛を独自の方法で表現します。
そして個人それぞれが自分たちの個性を表現しながら一つのハーモニーを作り出すのです。

https://www.youtube.com/watch?v=tQ0yjYUFKAE
https://www.youtube.com/watch?v=prmmCg5bKxA

ジャスティンビーバーだけでなく、セレーナゴメスやリアーナといった女の子のアイドルと言われるポップスミュージクのスターたちも他のアーティストとコラボ多い。
https://www.youtube.com/watch?v=WcIcVapfqXw
https://www.youtube.com/watch?v=uelHwf8o7_U

“みんな違って当たり前” が前提で、個人それぞれが一つの音楽を味わい、表現し、1つのハーモニーを創造するって、日本で生まれ育った私にとっては当たり前のようで当たり前でないというか…。

どっちがいい、悪いというのでもないです。

日本のアイドルには日本のアイドルしかない、他の国では真似ができないような独特な魅力がたくさんあります。

日本のお祭りや和太鼓のようにみんなで一緒に作っていくビートのかっこよさなんかは、充分に日本人の情熱と素晴らしさを表しています。

中国の京劇も又素晴らしく、このうえない技術の賜物です。

40歳を過ぎても尚、”当たり前が当たり前でない日常に”その都度、振り回され、勝手に感動して納得する暮らしを繰り返す私がいます。

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