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映画『ディリリとパリの時間旅行』

2018年/製作国:フランス、ドイツ、ベルギー/上映時間:94分 
原題
 Dilili à Paris/Dilili in Paris
監督 ミッシェル・オスロ




予告編(日本版)


予告編(海外版)


STORY

 ベル・エポック時代のパリ。
 ディリリはどうしても外国へ行きたくて、ニューカレドニアから密かに船に乗りパリへ来た。
 パリ万博の人間動物園「カナック村」に出演し生計を立てたのち、ディリリはたまたま出会った配達人のオレルと意気投合。一緒にバカンスを楽しむ約束をし、フランス満喫へと順風満帆であった。
 しかしその頃パリでは、謎の集団「男性支配団」による少女誘拐事件が多発していたのである。
 ディリリはオレルと共にパリの有名人達を訪ね、その力を借りつつ、事件の解明へと乗り出すこととなるが・・・

 果たしてディリリとオレルは、事件を解決へと導くことは出来るのか?
 そして、誘拐された少女たちの運命は?


レビュー

 美しく、楽しい作品です。
  実際のパリの風景を監督自身が写真撮影し、その映像とアニメを融合しているため、とてもユニークな雰囲気を持つ作品となっています。
 色彩は非常に繊細でありながら豊かで美しく、観る者を魅了します。またその色彩を駆使し、世界や人々を上手に描き分けており、子どもが鑑賞しても色を見ただけで状況等を感覚的に理解できるよう考慮されています。音楽のチョイスも素晴らしく、目にも耳にも最高です。
 最も華やかだった頃の、綺羅星のごとく画家、作曲家、小説家、デザイナー、学者等がつどっていたベルエポック時代のパリを舞台にしており、登場人物の多くは実在した、今なお世界的に有名な人々です。それ故に大人には発見する楽しみが有り、それらの人々を知らない子ども達にとっては知るきっかけとなります。
 さらには子どもを誘拐する犯罪者等の雰囲気や手口(子どもの「やさしさ」を上手く利用し、騙し、自分の近くへとおびき寄せようとする)、信用できる大人の雰囲気や行動を上手に描きつつ、同時に「人種差別」「女性蔑視」「貧富の差」等の社会的な暗部にも光を当てることにより、子ども達が主人公のディリリと共に様々な状況を知る(見る)こと促し、しかし押し付けではない自然な雰囲気の中にて社会構造(政治)の存在を感じ認識するよう、導いてゆく仕組みとなっています。

 本作には画家や画が多数登場しますけれども、アンリ・ルソーは『蛇使いの女』そしてピカソは『アルルカンの家族と猿』を選択するセンスが素敵です。
 また、ロートレック推しがいい感じですし、彼の絵のモチーフになった人物が複数登場しますが、あえてポスターの絵のタッチにし、画面の統一感から逸脱した感じに表現しているところが面白かったです。
 モネの登場する直前には、柳の木が映るため「あ、これはモネが登場するなぁ」とわかったり、ユトリロの絵のモチーフとなった場所をディリリとオレクが三輪車で爆走したりと、話し出すとキリのないくらいそういった遊びも随所に盛り込まれており、楽しいです。

 音楽とその使いどころも素敵で、酒場にてサティが『Gnossienne No.1』を演奏し始めた時には驚きました。曲の流れる中、火をつけることの出来る強いお酒「アプサント」を飲んでる人が居たり、豪華メンバー(有名人)が集結していたり、おまけにオレクとショコラとのダンスまで添えてしまうなんて・・・。子どもの鑑賞をメインとして制作されている作品にもかかわらず、遠慮なく攻めるなぁと。音楽も含めた全ての要素にオスロ監督の「子どもを子ども扱いしない」「子どもの感性を信頼する」凛とした姿勢を感じ、感銘を受けました。
 ちなみにバーにてオレクとダンスする黒人芸人のショコラは、奴隷の子として生まれるも、フランス初の黒人芸人となった人物で、ロートレックの絵のモチーフにもなっていますし、リュミエール兄弟の映画にも出演しています(ちなみにリュミエール兄弟も酒場に居ますね)。
 『ショコラ ~君がいて、僕がいる~ 』というフランス映画(リュミエール兄弟の撮影した映画が収録されており、本物のショコラを見ることが出来ます)や、『ショコラ 歴史から消し去られたある黒人芸人の数奇な生涯』ジェラール・ノワリエル (著), 舘 葉月 (翻訳)という書籍等に触れていると、このシーンは更に印象深いものとなるかもしれません。
 「美しいパリ、腐ったパリ」という台詞が、深みを帯びて迫ってくる場面でもありました。
 
 それから『さくらんぼの実る頃』という歌も、思ってもみなかった場面にて使用されており、その瑞々しい感性に感銘を受けました。
 またラストにて子ども達により合唱される歌『太陽と雨』の歌詞は、その歌声と共に深く心に残ります(終盤以外にも歌われています)。

 あと彫刻家のロダンが絶賛される場面があるのですけれども、ロダンよりも断然カミーユ・クローデルの彫刻を愛する私は、「カミーユ・クローデルの方が才能ありますから!」と心中穏やかではなかったのですけれども、その直後にディリリが「私のお気に入りはこの作品です」と指さしたのは、なんとカミーユ・クローデルの「ウェルトゥムヌスとポモーナ(【心からの信頼】と紹介されることもあるようです)」で、ロダンをおもいきり持ち上げておいてから叩き落とすその様は、「おぉ・・・そこまでしちゃいますか・・・」と笑うしかなかったです。
 それからカミーユ・クローデルやコレットのシーン、新聞のコルセットの広告シーンには、当時の女性蔑視への批判が静かに、しかし明確に込められており、上手いなと思いました(女性をコルセットから解放する服を発表し、女性の服の流れを大きく変えることとなったポール・ポワレも本作に登場し、美味しいシーンをものにしております)。
 また、誘拐された女性や少女達が無理やり着せられている服はブルカを連想させ、使用されている色彩を含め、色々と考えさせられます。

 マイベストシーンは、サラ・ベルナール、キュリー夫人、ルイーズ・ミシェル達の作戦会議中に、ディリリがチーターにまたがり部屋を廻る探索シーンです。
 大好きなエミール・ガレの「蛾」をモチーフにデザインしたベッドが登場したり(さすがオスロ監督わきまえてる!)、熱帯の植物を集めた部屋が、アフリカの自然が宿す美しさを連想させつつ、ディリリの黒い肌の美しさをも引き立てており(ディリリの感性や内面の美しさも表しているように見えました)、最高です。
 アールヌーヴォーの調度品やデザインだけではなく、小物から何から何まで、とにかくアレもコレもソレも、どれもが素敵ですし、浮世絵やアフリカンアート、マトリョーシカまでもがそれとなく紹介されており、それらを追うだけでも眼福でした。
 背景のみを鑑賞したとしても間違いなく満足出来てしまう、素敵なシーンで埋め尽くされた、とても贅沢な作品です。

 最後に
 本作はハッピーエンドにて幕を閉じ、知恵や知識、教養、芸術の力、そして人が人を大切に思うやさしさや勇気により、社会を良い方向へ導いてゆこうと呼びかけています。しかしそれだけでは上手くゆかないことは、その後の歴史が証明しており、同時に「経済格差」等への考察と言及は作品内に皆無に等しいものとなっております(上映時間やストーリーの都合上、また子ども達の鑑賞への配慮等を考慮しあえて省いたのでしょうし、個人的には省いて正解と思います)。
 ベルエポック時代のフランスの隆盛は、各植民地より搾取した莫大な利益により成り立っていたと言っても過言ではないでしょうし、芸術や学問等が花咲いた煌びやかな表の顔の裏側には、差別、偏見、経済格差が蔓延し、途上国への侵略、文化破壊、搾取が当然のように行われ、奴隷制度も全盛期というとんでもない事実が存在したことも、決して忘れてはいけません(ディリリの出身地ニューカレドニアは現在でもフランスの海外県であり、要するに未だ植民地状態にあります)。
 本作のハッピーエンドから約20年後には第一次世界大戦があり、その後には第二次世界大戦がありました。特に第二次世界大戦では、貧困層の不満を上手く取り込み利用したナチスドイツが猛威を振るい、パリも陥落。屈辱の占領を経験することとなります。
 それから『ディリリ~』の登場人物達は、その殆どが上流階級の白人、そして上流階級をパトロンとして生活していた白人、それから中流階級の白人であるということも心に留めておく必要があり、それゆえにそれらの人々の視点が強く反映される形にて描かれているという側面を持つ作品であることも、押さえておく必要があるように思います。
 しかしながら本作の持つ多彩な魅力と、力強くも優しさ溢れる健康なメッセージには、そういった負の側面を補って余りある見事な輝きがあり、そのプラスの側面を美しい映像や音楽と共に子ども達へと伝えることは、とても重要、且つ価値のあることではないかと思いますゆえ、アニメーション映画の最高傑作のひとつとして、全ての年齢層の方におすすめさせていただきたいと思います。


 

本作に登場した有名人物達(「見落とし多数有」)

 画家
 
ベルト・モリゾ、ジェームズ・ホイッスラー、ルイーズ・ブレスラウ、メアリー・カサット、アンリ・マティス、アンリ・ルソー、アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック、ピエール・オーギュスト・ルノワール、クロード・モネ、フェリックス・ヴァロットン、シュザンヌ・ヴァラドン、エドガー・ドガ、アメディオ・モディリアーニ、マドラン・ルメール、パブロ・ピカソ、ジーノ・セヴェリーニ
 
 彫刻家
 カミーユ・クローデル、オーギュスト・ロダン、アントワーヌ・ブールデル、コンスタンティン・ブランクーシ
 
 作家
 
コレット、アンドレ・ジット、オスカー・ワイルド、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ、マルセル・プルースト、モーリス・メーテルリンク、エドモン・ロスタン、
 
 詩人
 アンナ・ド・ノアイユ、フィリッポ・マリネッティ、ガートルード・スタイン、アリス・B・トクラス(詩人ではないのですけれども、ガートルード・スタインの相方兼「裏で暗躍」していた人。「自伝」が面白い)
 
 音楽家
 エリック・サティ、クロード・ドビュッシー、レイナルド・アーン、ガブリエル・フォーレ、モーリス・ラヴェル
 
 その他
 マリー・キュリー(物理学者)、ルイ・パスツール(細菌学者)、リュミエール兄弟(映写機発明者)、ポール・ポワレ(ファッション・デザイナー)、ルイーズ・ミシェル(無政府主義者)、ギュスターヴ・エッフェル(建築家)、アルベルト・サントス・デュモン(発明家)、マハラジャ・カプールタラー(ジャガジット・シン)、ヴァーツラフ・ニジンスキー(バレエダンサー)、ラ・グーリュ(ロートレックのポスターに描かれたダンサー)、ジャンヌ・アヴリル(ロートレックのポスターに描かれたダンサー)、イサドラ・ダンカン(ダンサー)、ヴィクトール・オルタ(建築家)、エクトール・ギマール(建築家)、アリスティド・ブリュアン(歌手・コメディアン、ロートレックのポスターにも描かれた)、ローザ・ルクセンブルク(哲学者)、ジャン・ジョレス(社会主義者)、ショコラ(コメディアン)、サラ・ベルナール(ミュシャのポスターによく描かれた人気舞台女優)、ミシア・セール(サロン主催者、名だたる画家にその姿を描いてもらっている)、エドワード7世(初代イギリス国王)


ディリリとオレルの巡るパリの名所

 ●建物等(劇中登場順。わかる範囲にて)
 1900年パリ万博の人間動物園「カナック村」、ポン・デ・ザール(芸術橋とセーヌ川)、伯爵邸、凱旋門、コンコルド広場、チュイルリー庭園、ルーブル美術館、フランス学術院、ポン=ヌフ橋、ノートルダム寺院、サンテティエンヌ・デュ・モン教会、キュリー夫人邸、パスティーユ広場、サクレ・クール寺院(画面上の遠景に確認できる)、モンマルトルの丘の階段、洗濯船、モンマルトルの階段(三輪車で爆走)、パスツール研究所、オペラ座の地下の貯水池?(創作と思われるが綺麗だったので追加)、ムーラン・ルージュ、モンマルトルの丘の階段(歌を歌いながら三輪車で爆走)、ヴァンドーム広場、酒場、ポン・デ・ザール(芸術橋とセーヌ川)、地獄の門(ロダンの作品)、ロダンのアトリエ、伯爵邸、コンコルド広場、ポン・デ・ザール(芸術橋とセーヌ川)、オペラ座、オペラ座(大休憩室)、ポン・デ・ザール(芸術橋とセーヌ川)、エッフェル塔、オペラ座の屋根から飛行船へ、エッフェル塔(にて大団円)

 

絵画、浮世絵、ポスター(登場順。わかる範囲にて)

 ミュシャ『椿姫』ポスター (以後、何度も登場)
 ロートレック『ムーラン・ルージュ・ラ・グイユ』ポスター 
 シュザンヌ・ヴァラドン(ユトリロのお母さん。ロートレックやルノワールなどのモデル経験あり)『マリー・コカとその娘』
 ルソー『蛇使いの女』
 ピカソ『アルルカンの家族と猿』
 マティス『赤い部屋』
 葛飾北斎 「神奈川沖浪裏」浮世絵
 モネ『睡蓮、柳の反影』
 ルノワール『田舎のダンス』
 ロートレック『ジャルダン・ド・パリのジャヌ・アヴリル』ポスター
 ジュール・シェレ『ムーラン・ルージュ』ポスター
 ミュシャ 『サラ・ベルナール』ポスター
 歌川広重『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』浮世絵
 スタンラン『ルドルフ・サリスのル・シャ・ノワール (Le Chat noir「黒猫」の意」の巡業』ポスター
 歌川広重『庄野白雨』浮世絵
 ※ (終盤、ディリリ達が梯子を上がる場面の梯子横の壁にある、版画っぽい作品がわからない。川瀬巴水かしら?もしくは新版画の誰かの作品?)
 

音楽(登場順。好きな曲のみ)

 ●下水道にてディリリを励ますためにエマ・カルヴェがオペラ・カルメンの『Habanera(ハバネラ)』を歌う。
 主役のディリリは白人と黒人の混血。エマ・カルヴェの母はフランス人、父はスペイン人。そういった生い立ちもあり、エマ・カルヴェは準主役級の扱いとなったのであろうか。
 カルメンはエマ・カルヴェ当たり役だったらしく、とても上手。某動画サイト等にて、その歌声を聴くことが可能。

 ●ムーランルージュのダンスホールでは『Orpheus in the Underworld(地獄のオルフェ)』が演奏され、華やかにフレンチカンカンが踊られている。『Orpheus in the Underworld(地獄のオルフェ)【地獄に落ちた人々の幸福を暗示する描写があり、体制打倒の意図も含んでいたという解釈もある】』は、グルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』をパロディ化したものであり、さらにその元ネタはギリシア神話の『オルペウス』であるとのこと。
 「男性支配団」の男が「美しいパリ、腐ったパリ」との台詞を言うが、それはムーランルージュがパリの縮図としても描かれていることを示唆しているように思う。表舞台では、女性の踊り子達が主役の華やかなダンスが踊られており、一見すると彼女達が主役のようであるが、それはあくまでも男性への見世物としての主役に過ぎない(作品冒頭のディリリ達の白人達のための人間展示場と似たようなも)。ゆえにその裏(楽屋)では、女性の作家であるシドニー・ガブリエル・コレットが、自分の小説を夫の名前でしか発表できない惨状を告白しており、当時のパリの男女差別に関する表の顔と裏の顔が表現されている。
 ※コレットの夫はアンリ・ゴーティエ=ヴィラール(作家名は【ヴィリー (Willy)】)であり、コレットはその【ヴィリー (Willy)】名義にて『クロディーヌ』シリーズを発表し、作家活動を開始している。
 またロートレックは当時、その身体的な障害により侮辱される経験もしていたようで、それゆえに恵まれない環境にある女性達への共感があったとも伝えられている。本作にてロートレックが他の画家たちよりもピックアップされているのは、彼の素晴らしい作品への敬愛のみならず、そういった事柄への目配せも含まれているのかもしれない。
 というわけで、もしかするとダンスホールの場面は、地獄のような女性蔑視に耐えていた当時のパリの女性達の苦しい心情への共感と、その後多くの犠牲を伴いながら徐々に改善されてゆくこととなる男性中心社会の打倒への流れをも暗示しているのかもしれない。
 
 ●ムーランルージュから酒場へと向かう途中にて歌われる『 Le Temps des cerises(ル・タン・デ・スリーズ【さくらんぼの実る頃】』は、詩:ジャン・バプティスト・クレマン。曲:アントワーヌ・ルナール。
 劇中にて歌われている部分の歌詞の訳(意訳)は、
 「さくらんぼの実る頃に歌えば ウグイスやツグミも陽気に歌う 美しい娘たちの心はときめき 恋人たちの心は満たされる さくらんぼの実る頃に歌えば ツグミの囀りも冴えわたる」
 といった感じであろうか。
 オスロ監督がこの曲を使用した意図は全く想像もつかないが、個人的にこのシャンソンが好きなため大満足のシーンであった。
 この曲はパリコミューンと深いかかわりがあるため、そのあたりの政治的な背景も含んでいるのかもしれない。少し暗い背景を持つ哀愁漂う曲を、楽しく歌い飛ばすように演出したオスロ監督の感性はとても×2素晴らしい。
 
 ●酒場(劇中では店名がアイリッシュ&アメリカン・バーとなっているけれど、ルドルフ・サリスの文芸キャバレー「シャノワール」を模したのか? オレクの部屋にはシャノワールの黒猫ポスターもあるし・・・)にて、エリック・サティがピアノで奏でる独奏曲『Gnossienne(ジムノペディ)1』は、古代ギリシアの神々に捧げる踊りを用いた『ジムノペディア』という祭典の名前が元ネタとのこと。
 それゆえにアレクとショコラは踊るのかもしれない。
 サティの残した『Gnossienne(ジムノペディ)1』演奏時の指示は「ゆっくりと苦しみをもって」。もしかするとこの踊りの場面は、ショコラが人種差別等で受けた苦しみを表現しているのかもしれない。アレクがショコラに合わせて一緒に踊るのは、ショコラがフティットという白人芸人とコンビを組んでいた経緯もあるのかもしれないが、アレクが正義を実行するために法律を学んでいる設定を考慮するなら、ショコラの苦しみを理解し、共に踊ることにより人種差別と闘ってゆく意思を示しているという解釈も出来るのように思う。
 その2人の美しい舞い(踊り)は多くの著名人を魅了しているようであるが、その酒場の雰囲気はムーランルージュの状況と酷似しており「男性支配団」が「美しいパリ、腐ったパリ」という例のセリフと共に、この場面においても同じように情報交換を行っている。その堂々と不正の行われる描写を踏まえて考察するなら、この場面もまた、人種差別に関するパリの表と裏の顔を表現しているようにも感じる。
 サティは、酒場「シャノワール」の経営者であったロドルフ・サリスに対し「私は、ジムノペディストです(古代ギリシャ文化の研究者でもあるピアニスト的な位置づけであると考えられる)」と自己紹介し、自分を売り込んだらしい。なのでサティは当時の酒場にて『Gnossienne(ジムノペディ)1』を演奏した可能性は大いに考えられ、よって本作のバーでの描写は「全てが空想である」とは言いきれないリアリティを内包している。


 ●レイナルド・アーンが、プルーストに披露している『 Premieres valses No5(ワルツ 第1集 5番)』は、曲中の最も美しい旋律の部分を抽出しており素敵だった(監督の好きな箇所かしら?)。兎に角本作は選曲が神がかっている。
 レイナルド・アーン本人による演奏時の指示は「早くなく、シンプルに」。プルーストの小説や、ディリリの話し方の雰囲気を的確に言い当てるかのような指示に思えて面白い。
 弾いているピアノの左上にあるのは、エミール・ガレの花瓶であろうか。 ブルーの澄んだ色と柔らかく温かい光に包まれた部屋の中にて美しいピアノの音色に身をゆだねれば、ウットリと漂うように時は流れ、まさにプルーストの言うところの「charmant(シャルマン)【魅力的】」な世界が立ち現れて、魅了される。
 某有名動画サイトにて「Reynaldo Hahn - Premieres valses」で検索すると、演奏時間が「23:01」の動画が一番上に表示される。その「7:30」のあたりを視聴すれば、映画にて演奏された部分を聴くことができる。映画に近い演奏にて、ワルツ第1集の1~10番までを聴くことが可能。
 ※レイナルド・アーンの曲では『Si me vers avaient des ailes(私の詩に翼があったなら)』『L heure exquise(恍惚のとき)』等も好き



Soundtrack



その他

 チュイルリー庭園の売店に居る怪しい男が読んでいるのは、「聖ニコラウス」に関する本。
 聖ニコラウスは「子どもの守護聖人」として有名で、沢山ある聖ニコラウスの逸話は子供を守る話や、貧しい立場の人々を助ける話が殆どで、サンタクロースの元ネタになった人物でもある。
 しかしこの売店の場面では、子どものおもちゃに対する興味や欲望を利用し、「男性支配団」の男がディリリを誘拐しようと狙う(子どもがつい寄っていきたくなるような店構えをしているのが素晴らしい)。
 子ども達への教訓として「良い人のフリをしている悪い人もいるから、みんなも騙されないように気をつけよう」というメッセージをしっかりと伝えていることに感心した。
 またディリリが「男性支配団」に狙われる時の状況は何れも、守ってくれる大人が近くに誰も居ない、一人きりになってしまっている時に限定されていることもリアルで、子ども達への本当に良い警告となっており、見事であった。

 と、まだまだ記したいことはありますけれども、長くなってしまったため今回はこの辺にて・・・




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