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考えたこと

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北村透谷の話その2 吾人は生命を信ずる者なり。

北村透谷の話その2 吾人は生命を信ずる者なり。

前回

に続いて今回も話題のメインとなるのは透谷とザ・俗物こと山路愛山の論争、いわゆる「人生相渉論争」の話です。

「純文学」という言葉を聞いたことがない、という人はいないでしょう。良い印象を持っている人もいれば、悪い印象を持っている人もいるかもしれません。

実はこの「純文学」なる名称、透谷が生み出したものなのだそうです。

具体的には、前回紹介した「人生に相渉るとは何の謂ぞ」が「純文学」なる言

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北村透谷の話その1 歌へ、汝が泰平の歌を。

北村透谷の話その1 歌へ、汝が泰平の歌を。

今日から2回にわたって北村透谷の話をしたいと思います。

北村透谷は、日本におけるロマン主義運動の先駆けのような人です。島崎藤村の小説「春」に登場する青木駿一のモデルとしても有名ですね。詩人として、批評家として多くの人に影響を与えたのですが、若くして自殺してしまったのでした。

今日話したいのは、彼が書いた「人生に相渉るとは何の謂ぞ」という評論についてです。

このタイトル、要するに「人生に役立つ

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これって私の感想ですよね。

これって私の感想ですよね。

今、中公バックス世界の名著のベルクソンを読んでいます。

まだ読み始めたばかりなのですけど、読み始めたらすぐめちゃくちゃ面白かったのでその話をします。

この本に収められているのは「形而上学入門」「哲学的直観」「意識と生命」「心と身体」「脳と思考」「道徳と宗教の二つの源泉」の5タイトルです。

最初の「形而上学入門」の冒頭で、ベルクソンは言うのです。僕らは何か形而上学的な対象について考えるとき、二

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奴隷のたとえ話

奴隷のたとえ話

すごく好きな奴隷のたとえ話があります。この話は、僕が自分で考えたのではありません。かつて、どこかから仕入れてきたはずの話です。しかし、僕は、いつ、誰が、どこで言っていた話なのかはまったく覚えていないのです。

それは、こんな話。

人は奴隷の身分に落とされると、領主に対して反発します。当然です。誰も、自分が奴隷に相応しい人間だと考える人なんていないのですから。だから、第一世代の奴隷というのは、とに

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動物化したポストモダンの行方

動物化したポストモダンの行方

先日、東浩紀氏の「動物化するポストモダン」と「ゲーム的リアリズムの誕生」を読みました。

「動物化するポストモダン」は2001年発行ですから今から23年前、「ゲーム的リアリズムの誕生」は2007年発行ですから今から17年前の本です。

だとすれば、「動物化するポストモダン」の発行年に生まれた人はもう社会人になっているし、「ゲーム的リアリズムの誕生」の発行年に生まれた人はもう高校生になっています。

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善悪について考えることは可能か

善悪について考えることは可能か

今日は善悪というものについて考えてみます。

僕は、実は倫理学みたいなものがあまり好きではないというか、あまり魅力を感じないのです。

というのは、多くの場合、倫理学を自分ごととして考えると、それは自明のことをわざわざ難しくしているように感じるからです。というか、あれってなんか根本的におかしくないか? と思っている。

たとえば、有名なものにトロッコ問題とかありますけど、あれって僕が思うには、どっ

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考えることの醜さについて

考えることの醜さについて

考えるとは何だろう。今度はそんなことを考え出してしまいました。そうして、ふと気づいてしまったことがあります。

それは、「考えることは醜い」ということです。

そんなことを言うと、世の中には脊髄反射的に「けしからん!」と怒り出す人もいるのかもしれない。

多分、考えるという行為を「醜い」なんてネガティブな言葉で表すのは、多くの人にとって違和感があるでしょうから。

まあでも、ちょっと「考え」てみて

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「価値がわかる」ことと「理解できる」こと

「価値がわかる」ことと「理解できる」こと

今日は「価値がわかること」と「理解できること」との違いについて書きます。

僕は過去二回の話

で価値というものは僕ら自身の見識が広がることでよりたくさんわかるようになる、と述べました。でも、このことは「勉強すれば色んなことが理解できるようになる」ということと同じではありません。

なぜなら、実際には

①価値もわかるし理解もできるものごと

のほかに、

②価値はわかるけど理解できないものごと

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どうして僕らは独断と偏見ができるのか

どうして僕らは独断と偏見ができるのか

前回

僕は価値とか本質というものは僕ら人間には多分認識できないものであり、僕ら自身がそれを発見していくものなのではないか、という話をしました。

でもそれは、もしかしたら最初の設問からずれてしまったのかもしれません。つまり、前回の例えであれば「そもそもキュウリが何かを知らないのに、それを発見すれなんて無理じゃん」ということになる。なので、もう一回改めて考えてみようと思います。(別に結論は同じなん

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僕らは誰もが当たり前にものの良し悪しを判断できるって本当?

僕らは誰もが当たり前にものの良し悪しを判断できるって本当?

今日はちょっと最近考えていることについて書きます。別に、具体的な何かについてではないのですが。

そもそも、価値とは何か。あるものに価値があり、あるものに価値がないとはどういうことか。また、僕たちは一体どのようにして価値があるとか、あるいは価値がないとかを判断するのか。そのようなことは果たして可能なのか。可能であるとしたら、なぜそうなのか。

僕は昔から思っているのですけど、多分、この世界の多くの

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吾輩は読者である。名前はまだない。

吾輩は読者である。名前はまだない。

一夜文庫さん、という一箱古本市や間借り古本屋さんに出店されている読書家の方がおられまして、その方が「読みたい夜に」というZINEを出しておられるんですけど、僕もお誘い頂いて、そのZINEの末席に寄稿させていただいています。「瞬光(またゝき)集」という、140字小説と短歌を合わせた10篇のお話です。

で、毎回ね、そこにプロフィールというのを載せて頂いているわけですが、今は

って載せて頂いてます。

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まるで石を集めるように

まるで石を集めるように

先日、ある有名な歌人の方のTwitterを見ていたら、その方が、自分にとって歌を詠むということは、きれいな石を拾ってきれいに磨いて、ほら、これきれいでしょって見せるような感じだ、というようなことを言っていて、ああ、それってなんか分かるなあ、と思いました。

その感じ、別に短歌だけじゃなくて、表現するというのは基本的にそういうことですよね。きっと。

で、人によってどんな石が好きかって違ったりする。

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面白い話はどうすればできるのか

面白い話はどうすればできるのか

今日は、すごく好きな本の話をします。米原万里さんの「必笑小咄のテクニック」という本です。

米原万里さんといえば、ロシア語の通訳者でありながらたくさんのエッセイを書いた方としてよく知られていますよね。

本書は、そんな米原さんがどうやって面白い話を考えているのかを包み隠さず教えてくれている本です。

面白い話ができるかどうか、というのは、実はそれなりにテクニックの問題なんですよね。でも、そんなこと

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恋愛でもお笑いでもないコンテンツ

恋愛でもお笑いでもないコンテンツ

結構前からずっと考えていることなのですが、どんなジャンルであれ、コンテンツとして絶対強いのは恋愛とお笑いですよね。恋愛に絡めて人の共感を引き出せる人や、面白いことを言える人は強い。

でも、僕はどっちも自信ないんですよね。そのどっちかに自分を振ってその方面の猛者に勝てる気がしない。

じゃあ、どうしたらいいんだろう。そういう人は、どんなコンテンツを生み出せるのだろう。そんな奴が表現しようとすんじゃ

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