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仏教からひも解く「精神年齢の低さ」とは?

こんにちはAKIです。
今回も読みにきて頂きありがとうございます!

みなさんの周りで、精神年齢が高い人や、逆に低い人はいますか?
また、それはどんな人ですか?
僕も身の回りで、
「あいつも大人になったな」や、
「いつまでもガキっぽいな」などの話をよく耳にします。

精神年齢が高い人と、低い人の違いは、与える人か、貰う人かの違いです。

実年齢と、精神年齢は必ずしも比例するとは限りません。
人間は生きて行く中で、様々な経験を積み、失敗をし成長していきます。その過程で徐々に周りの人の事も考えられるようになっていきます。

「精神年齢が高い」と言われたら嬉しいですし、そう言われたいですよね!僕もそうなれるように努力しています・・・。

そこで今回は、仏教の話を少し交えて、精神年齢が高い人と低い人を考察していきます。

精神年齢の低さとはなにか?

精神年齢が低い人とは?


大人とガキは対比として使われることがあります。
「あいつも大人になったな」や、
「いつまでもガキっぽいな」など、実年齢で言われるよりも、精神年齢について指摘されることが多いですよね。

その違いは一言で言うと、「与える人」か、「貰う人か」です。

仏教では、与える人を「精神年齢が高い人」、貰う人を「精神年齢が低い人」と呼びます。

旦那は「与える」が前提


インドのお釈迦様の言葉で、サンスクリット語でダーナと言う言葉があります。これは旦那の語源となっており、布施と言う意味があります。
施すと言うことがダーナで、与えると言う意味です。

なので旦那とは、本来与える人、施す人を意味しており、奥さんや子どもを養い生活を支える、与える立場にある人を言います。

ダーナが英語になって、臓器提供者をドナーと呼んだり、寄付をドネーションと呼んだりするのは、ダーナから派生した言葉であり、同じ与えると言う意味だからです。

今、この記事を読んでいる世の旦那さんは、一家の長であり父であり、与える人と言う自覚がなければなりません。

餓鬼は「貰う」が前提


一方で、ガキも仏教から来ている言葉であり、餓鬼から来ています。
飢えて苦しんで欲しい欲しいと自分の事しか考えられない人で、自分が食べられれば他の人はどうなっても構わない。この思想の人が仏教では餓鬼と呼ばれています。

子どもは、基本的に自分のことしか考えていません。周りのことを考えられるまでまだ成熟していないので、それは仕方のないことです。
泣きたい時に泣き、笑う時には笑います。
まだ周りを配慮することはできませんよね。

しかし、大人であれば、ここは我慢して感情を押し殺さなければならないシーンがあったりします。腸が煮えくり返っていても、ニコニコ握手することもあり、笑ってはいけない場所で、笑いを堪えることもあります。
大人ならできますが、子どもはそこまでやることが難しいです。

従って、精神年齢の低さとは、周りに配慮せず欲しいとばかり訴える人と言えます。

体は大人頭脳は子ども


その名は名探偵コナン!

どこかのアニメのキャッチフレーズのように聞こえますが、違います(笑)

欲しい欲しいと言う餓鬼が生活できるのは、与える旦那がいるからこそです。旦那がいるから子どもが育ち、その子供もやがて旦那になっていきます。なので、旦那はそう言う自覚を持たなければなりません。

「なんで俺の言うことを聞かないんだ」
「俺にもっと構え」
「もっと○○してくれよ」
など、もっと気を遣えと要求ばかりしていたら、もうその人は餓鬼です。

ここで一つ、僕が好きな作家の城山三郎さんの言葉を紹介します。

一つの会社に孜々(しし)営々と十余年勤めてていると言うこと、
そして妻子をかかえて暮らしていくということ、
それはじゅうぶんに人間としての重さを感じさせて良いことだ。
人間としての確かさを認められていいことではないか。

城山三郎

学生時代に読んでもピンと来ませんでしたが、結婚した今となっては、なんとなく、その意味が分かるようになってきました。
ですから世の中の人たちは、大変な思いをして子どもを育て、家庭を支えており、人間としての確かさを認められて良いのだと感じました。

精神年齢が低い人と高い人の見分け方


最後に、精神年齢が低い人と高い人をハッキリと見分けるポイントがありますので、紹介します。これを参考に是非、「精神年齢が高いね!」と言われる人になっちゃいましょう。

その差が出るのは、失態を晒した時です。
人生の中で、失態を晒すときがあると思います。
今までなかった人もこれからあると思います。
そんな時にこそ、その人が大人(旦那)であるか、餓鬼であるかがハッキリと分かります。

信用を落とす、或は立場を失う。そんなピンチに陥った時、我々は一体どういう行動をとるのでしょうか。

一つは、ごまかし責任転嫁言い訳をして無かったことにしたいと思い、それが行動に出てしまします。人間である以上これは自然のことであり、山ほど出てきます。

「なんとかあの人のせいにできなだろうか」
「なにか情状酌量できるような言い訳ないだろうか」

これは、自分だけ良ければ良いと言った、自分の保身が欲しいのであり、周りに配慮していないため、餓鬼だと言えます。

一方で大人(旦那)は、心からの謝罪と対処ができます。
迷惑をかけての謝罪や対処は相手のことを考えており、相手に配慮し、与えようとする行為です。

これが決定的な違いです。

まとめ

いかがだったでしょうか?

ごまかし、責任転嫁、言い訳をする心から回れ右をして、相手に寄り添い相手に配慮した心に切り替えること。

自分の失態が晒された時に、自分が試されているのだと気づきました。

未熟で餓鬼な部分はないか。大人(旦那)になれているのか。自分の行動を振り返る日々が続きます。

最後までお読みいただきありがとうございました。
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では、また次回の記事でお会いしましょう。

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