「出てけ!」親はこどもに言える?甘えと社会の迷惑と躾(しつけ)の関係性を読み解こうとしてみた
はじめに
~こどもがどうにか大人になるまでの私の価値観形成の自己分析~
家から/出ていきたいor追い出されそうな君への手紙に代えて
親といつも喧嘩ばかりな君を想像しながら記事を作って書いてみたよ。
家にいてもつまらないかい?
家の居心地はよくないのかい?
だからといって家出をしたらキミに都合よく優しい「おとな」が相談に乗ってくれるかい?
ちょっと待ってほしい。
そうとも限らない。実家は危険でその外が安全である可能性は極めて稀なんだ。
実際に家出をする前にそうたいの創作記事を読んでおいてほしいなあ。
もしも感想があったり相談があったらできる限りのお返事をしたい。
力になれたら頑張るよ。
さて、続きをどうぞ。
私の両親へ
「今までありがとう…おかげでやっとおとなになれる気がする。」
「私は改めて自分の家庭を設けます」
あれ?
そうたい、今日は急にどうしたん?
嫁に行くん?
中年独身男性って言ってたのに。。。いつもと違うね。
とうとう頭が躁病で?
→違うそうじゃない。「違う、そうじゃない」(鈴木雅之♫)だよ。
婿入りするわけでもないよ。結婚も婚約もしてないよ。
だけどね。良くも悪くも私はしつけを躾をされてどうにか社会性を身につけることに慣れつつあるんだということが頭だけでなくて体でカラダで理解できるようになりつつあるんだな。
勉強が嫌ならさっさと出てけ!
≠あなたはここにいても良い、むしろ、いてほしい
つまりだ。自分の支配に従う限りは家にいてもいいという交換条件を出すような有利立場をいつも親というのは維持できる。
生まれたこどもははじめから不利な状況のままなんだね。
自分の父は
「勉強するのが嫌でぼうっとしてるなら家から出てけ」
「コックでも大工でも好きにすればいい、ゴロゴロしてないで働け!」
「中学過ぎれば義務教育は終わる。嫌なら、家庭(うち)から出てけ!」
そんな口癖でした。
こどもたちは大きくなりました。親たちは今小さくなりつつあります。
復讐するは我にありです。
あなたのこどもに勉強させたいのは点数かせぎのためだったためか?
つまりだ。他者へ自慢する材料としてこどもを利用したんだよね。
ウチのこどもはXX大学へ合格したと自慢したいだけだよね。
べつにどの学科だってよくてこども自身が何を望んで大学選びをしたのかまで関心がないんだから。
どの学部学科だろうとがっかりさせないような有名大学ならそれでいい。
そしてだ。
そもそも私は父親の気分につきあわされてびくびくしながら生きてる。
今もなお恐ろしい存在である。でも、もういいや。
今もなおまだ自分のこころを支配していこうとする親。
特に家長であるわが父。圧倒的な力で自分を飲み込もうとする。
未だに生死を決め自分の決定に対して適宜忠告をしてこようとする存在。
どんなに自分が頑張ろうとその過程を認めないで私とは絶対に違う物差しdで私の価値を値踏みしようとする存在。
それが私の父という幻想なのだった。本当にこれらは幻影なのか?
私は私と宣言し心の独立を取り返せ!
こどもは暴力以外に躾(しつけ)られることは果たして可能なんでしょうか?
暴力は暴力でも肉体的な暴力もあれば精神的な暴力もあります。
私は幼少時母親にムチを打たれて育ちました。
父親には殴られて反省させられました。
母は父に「この安月給が」と罵りました。
→男は結局収入ありきなのか…母よ。
父は母に「そうじもしない、料理はまずい、自分に対する愛情を示さない」
→女は結婚して無料で使える家政婦なのか…父よ。
言いたい放題言い合いながら喧嘩してるのを聞いて思春期をすごしたのです。
私自身はおしなべて過保護には育てられてはいないような気もします。
これだけは言いたい。過保護でなく過干渉だった。
不思議なもので暴力をふるった当の本人はどれほど暴力で傷つけれたのか怖い思いをしたのか痛い思いをしたのか
まるで関心がないんですね。
子どもが大人になったらもう忘れたとでも思ってるんですか?
あ?
一生忘れられるもんか。
きちんと死ぬまで覚えてろ。
すいません、自分の心の中のこども(いわばインナーチャイルド/innerchild)を見つめ直していくうちに自分の心に蓋をしておいた自分がいたんでまるで炭酸水の栓を抜いたかのような気持ちが弾けてしまったようです。
「だれのお陰でおとなになれたと思ってるだ?」なんて親がいそうですね。
次のように切り替えしましょう。
「じゃぁ、生まれたこどもが、いつまでも大人にならずに
そのままでいられたら困るのは
いったい誰なんだ?」
子ども自身?ほんとうに?
親の心子知らずということわざもあるそうです。
それは愛情をちゃんと適当に与えることのできた親へ与えられるべきもの。
子育てができて物心がつき一人でトイレにいけるくらいまで
あそこの毛が生えて本人はとまどってるくらいの年頃ま育ったらば子は親に対してとっくに育てた恩を返してるという言説をご存じないようだ。
こどもは生まれた時から無力です。そして本来身勝手な存在です。
こどもらしい、そんなこどもは果たしてどれくらいいるんだろう?
こどもは急にはお金を稼げません。選挙権、被選挙権も投票権もありません。
ましてや機嫌を稼げません。
図々しく身勝手であったりピュアであったりもします。
そして、ちっちゃくて、あいらしい。(かもしれないのです。)
脱線しますがどこぞの有名人が家庭でこどもを生まれたら選挙権を複数人分所有したいなんていう思考が私には信じれられないです。
赤ん坊に立法者の適宜不適宜が判断できるわけでもなく、その分を親がもらって一人投票権を1票よりも多く持とうだなんて暴論もいいところかと。
ちょっとしか年齢を重ねないままで天才の子役っているにはいる。
だけれど例外的な存在です。
こどもなのにPVがん稼ぎできるYoutuberもいる。
だけどね。
本来親はこどもが好きなことをして稼ぐ能力を身につけるさせるために教育の機会を「無制限に」与える義務があるんですね。
個々の家庭の事情に応じた経済的な制約というのは存在します。
親ガチャというのには一部説得力はありますね。
つまりは、年頃の娘さんがいる父子家庭で貧しい経済事情から生理用ナプキンが買えないなんて悲惨なお話もあります。
もっとも教育を受ける権利があるのは本来大人もこども関係もないんです。
また、イギリスの事例で定年になったら小学校の先生になりたいというお話を聞いて最初はワケがわかりませんでした。
今になってようやくそんな志望動機を理解できるようになれました。
定年を過ぎたおじさん、おばさんがもう一度大学を受験して教員免許状を取得し念願の壇上にたつって聞いてるだけでワクワクしてきますね。
そのような年齢に区別なく教育を受ける権利があるというのに理解を示し要求に応えるのは公務員だけではありませんよね。
おしなべてすべての日本の国民が適切に教育を受ける権利があって、それにこたえていくことが国民の義務なのだから誤解してはいけません。
さて、noterの香坂兼人さんが教育の現場への不条理について以下の記事でおっしゃっています。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoin/20220913-mxt_kouhou02-1.pdfより。
教員養成課程でたった4年間で卒業して教員免許状をもらう。
大学院でさらに上の教員免許状をもらう。
ほとんど社会経験をもたずに純粋培養で育ちすぐに教壇で何が教えられるというの?
ただ、個別の教員一人ひとりは真面目に自分の範囲で教育に取り組む当事者を責めるつもりはないですけれども。
しかし構造的に欠陥があるとわかっていながら放置し続けるのが日本の現状と言えると思います。
おしめがとれない、ひとりでトイレにいけない、怯えたこどもたち
夜怖くてトイレにいけなかった思い出はありませんか?
私は怖いながらも誰かについていってもらった記憶がないんです。
いつもトイレは一人でした。
(小さな声ですが)中学生の修学旅行でも夜尿症に悩みました。
(さすがに男だから当然耐えろとまでは言われはしませんでしたけれど。)
隣で兄弟姉妹が寝ている中、長男だった私は弱音が吐けませんでした。
私なりに中高年が世間の防波堤でなければ私の下の世代に迷惑がかかってしまいます。
善悪の区別さえつかないこどもの精神性
社会に迷惑をかけるなという言葉のもつ2面性。
「勝手わがまま謹んで。」
これはよろしい。こういう節操がないと社会は社会なり得ない。
一定のルールを守るのは必要なことだよね。
ただしがんじがらめのルールは困るなぁ。
公園で大きな声を出すとそこの近くの高齢者がうるさいといったニュースを見て結構私は驚いたんだね。
しかし、こどもは元々身勝手なもの。
スーパーのお菓子売り場やおもちゃ売り場を想像してみよう。
「パパーっ、ママーっ!」
「お菓子買って」
「買って」
「かってぇー」
結構泣きわめく強者がいるなぁ。
(勝手に言ってるなぁ)
でもこの時期を通り越して大人に向かって歩いていくんだろうなぁ。
業務連絡です。)
過保護のかほこ、かほおを公言してるnoterの頭文字Kさんや、娘三人が可愛くてしかたのないSパパさんならば?
特にお二方はどうやって大人に育てていらっしゃるのだろう?
もし今回の創作をご覧になっていらっしゃったなら、ぜひともコメントください。
勝手な🙏お願いをしてすいません。
そして、私がフォローしているアユミさんのnoteを訪問していたらタイトルからして何かピンとくるものがありました。
アユミさんの記事を読んでいくうちに自分の生育歴と甘えと躾と社会への迷惑という問題にぶち当たりました。
公共の施設で小さなこどもが叫ぶ勢いで泣いてるとこころが痛みます。
でも、今のうちにすきなだけ泣いてみてはいいという評価だってできるようになりつつあるみたいです。
私の個人的なアプローチとしては
「幼少時は徹底的に甘えを満たす方針で!」
あなたはここにいても良い、むしろ、いてほしいのメッセージを浴びるほど与える。(キスや)ハグをするです。
言うは易く行うは難しですよね。
「本当の生命の危険のようないたずらだけはきちんと釘を指しておく」
怒りのコントロールであるアンガーマネジメンット/anger managementや、
相手をせめるのではなく自分の気持ちや状況を先に示す
アサーション/assertionなどをフル活用した理想の叱られ方でそだったおこさんがもしも育って成人を迎えるとしましょう。
そんな親から教育を受けられたなら、そだっていく「子ども」ならば
もうそれは迷惑な存在どころではないはずです。
きっと社会の宝ですね。いわば子宝となってすくすくと育つことでしょう。
褒めて叱ることのバランスが家庭により曖昧です。
さじ加減も難しいのでしょうね。
え、結論は結局どうなってるん?
まぁそう慌てないで。
アユミさん、素敵な記事をありがとうございます!
おかげ様で5000文字を超える記事が創作することができました。
脳内がスッキリ!です♫
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