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[絶望]教育現場の現実

まず大前提で書いておきたい。
教育業界と言うのは「大切なものだ」と言うことは揺るぎない事実だ。

その上で、教育業界を持続可能な形で維持する仕組みが今あるのかと問われると、俺自身は「否」としか答えられない。

何しろ現場を良くするからくりと言う物が存在出来ていないというのがある。

例えばだ。
成績をつけるって行為があるじゃんか。

何日間かにわたって息子の通う学校の校長先生や学務主任の先生と会話させてもらう機会を得た。

まあ、要するにこの間の続きの話だ。

この話の続きで、より現場で働いているヒトの話を聞くことが出来たんだ。

この現場よりのヒトの話で、完全に俺の中で学校と言う場所に対する期待ってのが途切れたんだよね。

そして、そのことについて何人かのヒトの話を聞いてその思いが俺の地域だけの話じゃなくて、全国の学校現場でも起きている話だってことを実感してしまったんだ。

今回は、学校現場の抱えている闇について考える回だ。

ちっと、俺たち日本人が置かれている絶望的な立場ってやつについて考えておこうぜ。


学校組織が決定的に変わり得ない状況

今回のやり取りで確信したのは、学校というのが「計画」について完全に重要視するからくりが無いってことだった。

たとえば、各学期ごとに何をどうやって教えるかってのは文部科学省からのお達しである程度が出てくるわけだけれども、それを日割りのスケジュールに落とし込んでいるなんてことは、俺の聞いた範囲ではどこの学校もやっていないって事実だ。

もしこの記事を読んでくれたあんたが知っている範囲できちんと日割りのスケジュールを立案しているケースがある場合は教えてほしいんだけれども、俺の聞いた範囲では少なくとも「一校も」日割りスケジュールなんてのを作っていなかった。

何月何日までに何をどういう手段で教えると言う計画ね。

ぶっちゃけ、日々行われている小テストも先生個人の裁量に任されていて、なんでその小テストが必要なのか、なんでその回数で問題ないのかも含めて第三者の目を通されていない。

要するに教師のヒト個人の「感覚」で運営されていて、その教育方法の正当性のチェックも教育の実施状況のチェックもまるで野放しだったんだ。

言っている意味がわかんないって?

例えば国語だとかで漢字の試験とかやったじゃん。
あれって文科省からは「この漢字はこの学年で教えてね」ってことだけ降りてきていて、実際に何月何日までに学習進捗率が何%になって、その実績と計画の差異がどのくらい起きていて、その差異に対する対策を組織的にチェックして、その方策について検討がなされて、実際にその方策がうまく行ったかとか言うことを「完全」にやってないんだ。

PDCAサイクルを回す。
この考えが本当に全く「存在」していない。

そして、そのことについて学校の現場で働くヒトもそれを管理する校長、副校長も、なんならその上の教育委員会も問題視していない。

そんな絶望的な状況で今の子どもは教育を施されている。

恐ろしいことに、この実態は公立だけの話じゃなく、いわゆる超一流と呼ばれる進学校でもあんたの隣りにあるかも知れない私立学校でも起きている悲劇みたいだ。

やったつもりがまかり通る教育

俺がそのことを聞いたときに校長先生に聞いたわけよ。

「何を持ってその教育方針で問題ないのかを誰がいつ承認しているのか」って。

で、そもそも承認と言う行為が全くされていない。
更に言うなら、教育がきっちり計画に対して進行しているのかを見るタイミングもない。

そして現場の先生の言葉が決定的だった。

「我々は教員免許と言う国から認められた資格を有しているので、現場の裁量で進めることを認められている」と。

校長先生も同じ趣旨だと思うんだけれども「運送業者が運転免許を持っているので、そこで交通ルールを守っているかなんてチェックしない」なんてことを普通に言い放っていた。

そこで俺は確信するわけだ。

この国の教師は誰にも「管理」をしていないのが現実だって。

文部科学省も大方針を出しておしまい。
学校も教育計画っぽいなにかがあれば、それが遂行されているのかはノーチェック。
そもそも計画が計画として成立してるのかって第三者チェックもされていない。

学校によっては最初の1年間は指導教員みたいな補助の教員が授業風景を眺めて、そこで指摘を入れることもあるらしいけれど、それですらその指導教員の「感覚」とか「経験」とか全然何の明文化もなされていないものを基準に言われるだけ。

つまり、組織として「教育をこうするべき」と言う具体的な手順書がまるでない。

立てて加えて、成績だ。

成績をつける基準そのものも教師個人でルールらしきものを作り、そのルールがそもそも正しいかも組織的なチェックをしていないし、ルールが正常に運営されているかの定期点検もない。

内申点ってのがあるじゃん。
要するに「その教師にどれだけ気に入られたか」でそれが決まるって現実なわけだ。

ひどい話、50点満点のテストで1学年の平均点が9点なんて数字が叩き出されても学校として何一つ手を打たないんだぜ。

そんなの、組織として成立しているなんて誰も言えないと思わないか?

で、じゃあ塾に通わせてどうこうするかって見ても、学習指導計画のチェック状況は塾も似たような状況らしい。

もうさ。
この国、終わってるって思っちまうやつじゃんか。

生徒を管理するってことは形の上でしているところはあっても、その指導方針そのものについての改革のからくりが全くない。

もうね。
完全に腐っている。
この国の教育組織はどこからどこを切り取っても腐っている。

学校にも頼れない。
塾にも頼れない。
親が計画を立案しようにも、その専門性をともなった計画の正当性をチェックする第三者機関もない。

そこに来てのパンデミック。
ただでさえ統制の聞いていない教育業界が、さらに正当性を誰も保証していない教育を施したって時期が人類を襲った。

そして、そのときに中高生だった生徒が早ければ数年後には社会に出てくる。

何が起きるんだ?
もとから腐っている学校教育なんだから、何も変わらないだろって?

ちっと自分ごととして考えてみ?
大袈裟な言い方すると、「言葉が通じない」ってやつらが俺等の仕事仲間として来るんだぞ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは何をすればこの地獄の様な現実に耐えることが出来るんだろうな?

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