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「受験票なんてマフラーみたいなものさ。」

先日、とある大学で入学試験が実施された。
僕は、試験監督として連日昼夜問わず、終日大学内で受験生への対応に当たった。


業務内容はというと、
✔️受験生が迷わずに試験教室まで行けるよう誘導
✔️迷ってそうな人には声をかけて教室へと案内
✔️試験が始まると試験教室の前で遅刻者の対応
✔️試験が終われば「お疲れ様でした。」と受験生を見送る


というのが大まかな仕事内容である。連日に渡って試験が行われたこともあり、様々な受験生を見た。

例えば、
歩き参考書をしながら教室に向かう人や、
顔の表情が強張ってあからさまに緊張している人、
こちらに快活に笑顔で挨拶する余裕のある人、
「喫煙所あります?」と尋ねる人、
そんな彼らに対応した。

その中でいくつか印象に残った場面と印象に残った人がいたので、紹介しようと思う。


✔️まず始めは、温かい話から。

受験生の中には、親と一緒に来る人が一定数いる。

親は、子の勉強する背中を見てきた分、
応援したい気持ちや心配が交錯して、受験当日は気が気でないと容易に想像できる。

受験生の中には、一人で試験会場に行くよりも、直前まで親がいた方が落ち着く人も中にはいる。


とある受験日の午前中、
僕は大学内で受験生を振り分けていた。

受験する学部によって試験教室が違うため、彼らをそれぞれ正しい方向へと誘導しなければならないのだ。

そこで僕は、階段の下で

**「試験教室の番号が〇〇で始まる人はまっすぐ、〇〇で始まる人はこちらの階段を上がって下さい」 **

と、迫り来る受験生に大きな声で指示を仰いでいた。

すると、ある親子が私の近くに来て、

「この教室はどちらに行けばいいですか?」
と、学生服を着た受験生の方が尋ねてきたので、

「こちらの階段を上って、まっすぐ進んで下さい。」
と教えた。

すると、母親は階段の下で子を励ました後、最後に「頑張ってきてね」と言うと、受験生は大きく頷いた後、母親に背を向けて一段一段階段を上がり、そして上りきってから振り向くことなく歩き去った。

母親は子の姿が見えなくなるまでじっとその場で微動だにせず視線を送り続け、
小声で応援の言葉なのか祈りの言葉なのか分からないが呟いていた。
完全に見えなくなってからも、そちらの方をじっと見つめたまま立ちすくんでいた。

そして、ため息交じりの声で、

「よしっ。」

と言い、振り返ってそのまま帰路へとついた。

僕は、あの母親の、子の背中を見届ける姿が目に焼き付いた。
実体を持たぬ愛が、まさにそこに現れていたと感じた。

僻みや妬み無しに、純粋な気持ちで人を応援する美しさがそこにはあった。

「愛」というと、私はその親子の光景を連想するようになった。


✔️少し変わった受験生の話。


受験生といえば、受験前日は緊張しながらも当日遅刻しないため早く布団に入り、目覚まし時計を何個も入念にセットしてから眠りにつく人も多いだろうと思う。

そして、試験当日目が覚めて身支度をし、試験が始まる一時間以上前に会場入りするよう余裕を持って家を出るのが一般的だろう。

しかし、中には寝坊してしまったり、行きの電車で腹痛に見舞われ途中下車したところ、各駅停車に乗らざるを得なくなり遅刻してしまう受験生も中にはいる。


僕たち試験監督は、そんな遅刻者を何とか一刻も早く試験教室に導くため、大学内を遅刻者と一緒に並走して教室へと送り届ける。

しかし、大学内が広いため、走るか否かは受験生の判断に委ねる。
まあ、ほとんどの人は走るのだが。



Aさん

ある時のこと。

「遅刻した受験生がこちらへと向かっているので、教室へと案内して下さい」

と一報があり、僕は走る準備をして待っていた。

が、一向に受験生は来ない。大丈夫かな、と少し心配になってきた。

すると、向こうの方から大柄な男が、ガニ股でゆったり歩いて来るのが見えた。
そのあまりの余裕感に、その人は在学生だと思ってしまうほどであったが、その方が例の遅刻者だと無線で連絡があった時は驚いた。

その方が僕のところまでやって来たので、

「試験教室はここからまだ歩いて5分かかりますが、そこへ向かうペースは合わせます。」

と僕が言うと、彼は眉一つ動かさないで、

**「歩きます。」 **

と言い放った。
そして、僕はガニ股でゆったりと歩く彼を案内したのだった…。

遅刻した理由は分からないが、あの余裕は大したものだった。

ただ、その人は大学の入り口でスタッフにきちんと「遅刻しました。」と告げていた点はまだ良かった。というのも…


Bさん

あと2分で試験開始という時に一人の青年がのろのろと歩いてきた。

通常、試験開始30分前までにほとんどの受験生は教室に集まっているため、大学内は在学生か試験スタッフしかおらず閑散としている。  

その青年は、手元に受験票を持っていなかったので在学生だと思い見送ったのだが、念のためにと思い後ろから追いかけ、

「受験生ですか?」

と尋ねた。 すると、

「はい。」

と平然とした顔で答えた。

「えっと、試験は2限からですか?」
(受験科目が人によって異なり、2限は午後始まるため、2限からの人は控え室へと誘導する)と聞くと、

「いえ、1限からです。」

と返ってきた。僕は一瞬ナンノコトヤラと驚いたが、すぐさま冷静に試験教室を確認したところ、大学に入ってすぐの建物内の教室だった。
僕が立っていたのは大学に入ってから10分弱歩いたところだったから、彼の遅刻が確実になった。

「どれだけ遅刻しても教室には入れます。なので、教室までの進むペースはお任せ致します。」

と僕が告げると、

「走ります。」

と、ようやく焦った様子を見せ、一緒に並走して教室へと無事に送り届けた。

何が恐ろしいって、もし僕が在学生だと思って声をかけなければその受験生は一体どこに向かい、彷徨っていたのだろうと思うと恐ろしくなった。



✔️タイトルになっている、受験票を忘れて慌てた受験生の話。


受験票を忘れた時の血の気が引ける恐怖感といったら無い

僕自身も過去に英検を受ける時に、鞄を何度漁っても見つからず、絶望感に襲われた記憶がある。

僕が担当していた大学の入試試験は、受験票を忘れても仮受験票を発行してくれて、忘れても気兼ねなく受験する事が可能であった。

受験票を忘れたという受験生がいれば、指定の仮受験票交付所までご案内して、そこで担当の人に引き渡すということをした。

日によってばらつきはあるが、僕の感覚では1日に5人くらい受験票を忘れてきた。

「あの…受験票を忘れてしまったんですけど…」

と、憔悴しきった様子で神様にすがるように涙目で尋ねてくる人が多い。

多分、受験出来ないのではという不安が相当押し寄せた結果であろうと思う。

そんな不安げな受験生に対して、僕はとにかく心を落ち着けてもらうことを意識して、交付所へと案内した。

中にはお喋りな受験生がいて、

「鞄のチャックが全開だったことに気付かず、どこかで落としてしまいました(笑)」

などと、自分から受験票を忘れた理由を朗らかに話す人もいた。

だが、そういう人は例外で、
大抵の人は「大丈夫なんでしょうか…?」と尋ねてくる。

私はそんな彼らに対して、

「仮受験票をすぐに発行出来ますから、何も問題ありませんよ。ご安心下さいね。もう既に7人くらいご案内致しましたから。」

と、笑顔で声をかけた。

もう既に七人…」という台詞は、朝一番で忘れてきた人に対しても同じように言うようにしていた。

他の人にも同じく受験票忘れた人がいるって思うと心が少し軽くなるかなという僕なりの配慮である。



Cさん

タイトルにした受験生の話。

愛嬌のある女子高生の受験生が、慌てた様子ではあったものの、明るい口調で、

「あのお、受験票忘れてしまったんですけど、どうしましょお!」

と、すがりついてきた。

「受験出来ますかぁ?やばいですよね…。」

と、とにかくよく喋る。

それくらい気が動転して、一周回ってテンションが上がっていた。

かなり彼女は焦っているな…と察し、まずは他の忘れた人に言うように、

「心配なさらないで下さい。勿論受験出来ます。本当に大丈夫ですから、ご安心下さい。では、仮受験票を発行するので一緒に行きましょう。」

と、一緒に並んで交付所へと歩いた。 その間も彼女は、ずっと気が動転しており、

「受験票忘れるとかやばいですよね。」

「本当に死ぬかと思いました。」

「家まで取りに帰ろうと思ったんですけど、そんな事したら試験に遅れちゃうから一応来たんですけど…」

と誰よりも饒舌に話し続けた。
そんな焦る彼女に、

「気持ちは分かります。本当に焦りますよね。でも、本当に大丈夫ですよ。」

と笑いながら諭したが、まだ気持ちが落ち着かない様子だった。
だから、僕は何と声をかければ彼女は受験票を忘れた事の小ささを理解してくれるだろうか、と考えた。

そして、彼女にこう言った。


「受験票なんてマフラーみたいなものですよ。」

マフラーを忘れても、少し寒くなるくらいで、試験に何も関係しないでしょう?
それと同じで受験票を忘れても受験できるんだから、マフラー忘れちゃったくらいに思えばいいんですよ。


そう言うと彼女は、「それはそうですね。」と優しく笑った。彼女の心の靄が晴れたように見えた。
そして、交付所へとご案内し、笑顔で見送った。最後に彼女は、

「本当にありがとうございました。頑張ります!」

と、はにかんだ。
僕は右手の親指を立てて「頑張って」と言う意味を込めてジェスチャーを送った。



✔️まとめ

これらの話から分かるように、受験では様々な事が起こる。
試験会場を間違あたり、遅刻したり、受験票を忘れたり。
休み時間にトイレの前で失神し、泡を吹いて痙攣して救急車で運ばれた受験生もいた。
何があるか分からないのが受験であり、人生である。
今回客観的に受験生を見て感じたのは、笑顔で心地よい挨拶をする受験生は余裕があって、そういう人は受かりそうだと思った。
また、試験に遅れても受験票を忘れてもその事について過剰に気にしてもマイナスしかないから、気付いた時に大学に連絡したり、スタッフに聞いたりして、次の策を講じる事を強く勧めたい。

これから国公立試験、私立の中期・後期試験が続く。
受験生の皆さんはくれぐれも体調に気をつけて、あと少しばかりの辛抱をして、応援してくれる人の顔を思い浮かべたり、入学後の自分を想像してやり切って欲しい。

そして、もし仮に受験票を忘れても受験できると分かれば、受験票なんてマフラーみたいなものさと笑い飛ばして欲しい。






あんざい

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